49 豊穣祭
町の広場は、朝からにぎわっていた。春の豊穣祭の支度に追われる人々の声が、どこか浮き立つように響いている。花を編み込んだ冠をかぶった娘たちは祭壇を飾り、子どもたちは小さな手に持った枝に色鮮やかな布を結びつけている。
広場の中央には、女神と精霊に捧げる祭壇が整えられた。白布が張られ、香草の香りが漂い、穀物や果実、干し肉や焼き立てのパンが並べられる。人々は順番に膝を折り、頭を垂れて祈りを捧げる。
「どうか今年も、種がよく芽吹きますように」
「家族が元気で過ごせますように」
祈りの声はどれも静かで真剣だが、同時に晴れやかでもあった。祈りがひと段落すると、冬の間、保存されていた食料が大きな籠に分けられて配られ始める。
広場の端では、昨年に仕込まれた酒の試飲会が始まっていた。木製の杯を片手に、男たちも女たちも声を張り上げて語り合う。
「この樽は甘みが強いな、果実の香りが残っている」
「いやいや、こっちのほうが喉ごしがいい」
笑い声が重なり、杯は次から次へと空いていく。
ここまでは例年通りの祭りのはずだった。
だが、今年は少し違っていた。
祭りの輪の中に、一人のエルフの少女が立っていた。名はミンカ。神話の中にしか存在しないと思われていたエルフである。齢は百七十に達しているというが、その姿は七歳の少女のように可憐で、透き通る声で笑うたびに、精霊たちが姿を現した。
光の粒となった精霊は、祈る人々の頭上を舞い、子どもたちの小さな手を取って遊び始める。驚きと歓声があがり、喜びが広がった。
精霊は人の祈りや陽の感情を糧とする存在。人々の祝福と笑顔に引き寄せられ、その輝きは一層強く、きらきらと光の雨を降らせた。
女神に捧げる祈りの言葉と、精霊のきらめき、そして人々の笑い声。それらが一つに溶け合い、豊穣祭はかつてないほどに華やかさを見せていた。
スーはルルとミンカといっしょに祭りを楽しんでいた。
世界の昼と夜が半分になる日。
それは転生前の世界でも不思議な日でもある。古代遺跡ではこの日の太陽の角度でしかお目にできないからくりがある。
私が転生したのは一年前の今日、時間は定かではない。気づいたら夕方だった。
あれから一年。
私はこの世界で、一年を生き抜いた。
初めの頃はやさぐれていた。
けれど、その気持ちもいつの間にか薄れていた。
「師匠!これ美味しいですよ!」
私がワイバーンのモモ肉にかぶりついていると、アンヌがそっと近づき、小さく告げた。
教会の女神像に、ひびが入ったのだと。
***
記憶の遺跡のログによれば、世界が終わる年に、異変が始まるという。昼過ぎにアンヌが祈りをささげていると、突然女神像にひびが入ったようだ。
私とルルとミンカは記憶の遺跡に行き石板の確認をした。
未来ログを読むと、今年の次の昼と夜が半分になる日に世界が食われるようだった。
ログを見つめながら私は言う。
「ルル、ミンカ聞いてくれ。
これから世界を救うために魔道具を作る。これには二人の力が必要だ」
私は二人に生命の木の概念を伝えた。エルフのグリンに教えてもらった世界樹を人工的に作り上げる。
世界を生成した装置である各遺跡と物理的につながり、一つの巨大な魔道具を作る。
「どうやって、遺跡と繋がるのですか?」
ルルが尋ねる。
「私がこの子らと共に魔道具の媒体になる」
私はマクラとフトンを見る。この二人と私が繋がることができれば、おそらく生物魔道具的なものができるはずだ。
「師匠、それって、師匠も魔道具の一部になるってことですよね?」
「生命の木の媒体となったあと、どうなるかわからない。
ただ私も媒体のまま終わるつもりはない」
私には次に何をすればよいのか、判断を瞬時にできる能力、AIの力がある。すべての遺跡に接続できれば、私の計算能力は大幅に向上し、おそらく魔力も備わる。
この世界の構造をすべてコピーし、それを魔力の塊として生成する。そしてその塊を、『世界を食らう者』へと捧げるのだ。
生贄のようなものだが、捧げた先で、世界を食らう者がどう判断するのかは、誰にもわからない。
それでもまだこの世界を喰らうのか。
それとも、良質な餌を供給する装置として評価するのか。
***
誰もいない記憶の遺跡の中でミンカは一人考えていた。
エルフは命を終えると、使っていない魔力を残す。私たちそれを『魔力の残骸』と呼んでいる。エルフは2万年かけて魔力を消費し、この世界の魔力を調整する役割がある。
通常なら魔力は長い時間をかけて大地に広がりながらこの世界へ還っていく。だが、寿命より早く命が途切れると、その消費するべきだった魔力は地の底へと沈んでいく。
沈んだ魔力はやがて集まり、ひとつの大きな形を作る。
それが、『世界樹』だ。
根は世界中へ広がり、幹は天へ伸び、枝葉は四方へ広がる。世界樹とは魔力の循環装置であり、散った命を抱きしめ、世界へと還していく母のような存在だと言われている。
「若木が朽ち果てしとき、千年後その魂は世界樹へと宿る」
この言葉は、ミンカがこの世界に生成されたときに、頭のどこかに刻まれていた。
しかし、この世界は、まだ創世から百年しか経っていない。
仲間たちの魔力の残骸が集まり、世界樹が芽吹くには、本来ならあと九百年は必要なはずだ。
ミンカは思い出す。
スーと初めて会った時のことを。
スーには魔力がなかった。ルルが魔力の塊のようにきらめいていたので、余計に奇妙に思えた。
「悪い存在なのでは?」と、疑った。
記憶を分け合うためにスーの手に触れた瞬間。ミンカの魔力がスーの身体に流れ込んだが、すぐに消えた。スーは魔力をよく通す、不思議な身体を持っていたのだ。
そして、スーは気づいていないようだったが、ミンカの記憶を。エルフの知識をすべて受け入れた。ミンカが鍵を掛けていた記憶までも吸い取られた。通常なら処理できず脳が焼き切れる量だろう。
彼女の特性なら、世界樹のような世界を制御するものになれるだろう。私やルルが力を貸せば、生命の木へなるために足りない魔力を精霊たちを通じて補えるかもしれない。
スーはミンカにとって、初めての「友達」だ。しかし、その初めての友人は生命の木に成ろうとしている。
自分の命を犠牲にして。
エルフ以外の種族とは、ずっと一緒には生きられない。それは知識としては知っていた。けれど、実際に「友を失う未来」を思ったのは、これが初めてだった。
一緒に笑って、一緒に食べて、一緒に冒険した。
その時間が、途切れてようとしている。
その後も一人生き残り、これからも歩き続ける。
「……そんなの……やだ……」
胸が張り裂けるようだ。最初は小さくすすり泣いた。止めようとしても止まらず、気づけば子どものようにわんわんと声をあげて泣いた。
「いやだぁ……!
スーが、みんながいなくなるなんて、やだぁぁぁっ!」
ミンカは涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らし、声を震わせ、小さな体を丸めた。
誰が見ても、ただ幼い子どもの泣きじゃくりにしか見えなかった。けれど、その涙には、二万年という長寿の重みと、終わりのない孤独の気配が潜んでいた。
これから何度も、同じ痛みに襲われるのだろう。友を見送り、また友を見送り、それでも生きねばならない。そのエルフの宿命を、ミンカは初めて理解した。
そして、ミンカはある決意をした。
スーを守る。
彼女が生命の木になるというのなら、私は、魔力を運ぶ風となろう。毎日祈りをこめ、暴走しそうなら世界中の精霊を集めて鎮めよう。
世界樹のように美しい存在を見守ることは、きっと誇らしいはずだ。ましてやその大樹は初めての友達のスーだ。
「どうか、スー…苦しまないで……」
ミンカは目を閉じ、胸の奥で小さく祈った。
長寿の種族だからこそ、これから見送るだろう命の痛みを知った。その重さを抱きながらもミンカは、初めて「エルフとして生きる意味」を理解した。




