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「私はバグか?」祝福された世界で、元AIの少女はエラーを吐く  作者: Manpuku
第3章 遺跡の歩き方

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46 伸びた髪、届かせた先の指のぬくもり

水の遺跡での潜航失敗を経て、私たちは次なる目的地、ストルナ高原へと転進した。

そこには「風の遺跡」が眠っているはずだが――。


「……遠目からでもわかりますね。歓迎されていません」


眼前に広がるのは、絵に描いたような絶景ではなく、荒れ狂う暴風の壁だった。ミンカの観測によれば、吹き荒れる雷鳴と風は濃密な魔力と複雑に絡み合い、意志を持っている、と。


私たちは水の遺跡での苦い経験から、魔導船に新たな魔法陣を組み込み、結界への対策を講じてきた。だが、ストルナの嵐はそれらすべてを嘲笑うかのように跳ね返す。


それは、純粋な防御というよりは、「悪意のある加護」と呼ぶべきものだった。


「水の遺跡もそうでしたが、この二つの遺跡には、侵入を拒む何かが存在します」


船体が暴風に叩かれ、魔導エンジンが悲鳴を上げる。 海では水圧に屈し、空では嵐に拒まれる。どうやらこの遺跡は、理不尽な悪意で塗り固められた拒絶の空間でもあるらしい。


ミンカは峻険な嶺の頂に立ち、荒れ狂う嵐の壁を無言で見下ろしていた。

「この嵐……精霊たちが、反応しないんです」

彼女の呟きは、風の咆哮に掻き消されそうだった。魔導船での侵入は不可能。残された道は、嵐の影響が比較的少ない山肌を縫うように進む、「山越え」の陸路しかなかった。


ルートを確認していたその時、背後から聞き慣れた、だが少し気恥ずかしそうな声が届いた。


「師匠!」


振り返れば、そこには食事以外眠り続けていたはずのルルが立っていた。


「……ルル? 体調はもういいのか?」

「治ったも何も、別になんともありませんでしたよ」

「仮病か?」

私の直球の問いに、彼女は悪びれもせず、むしろ誇らしげに胸を張った。


「いや、だるかったのは確かですよ。でも、だるいなーと思っていたら、皆がやけに優しくしてくれるじゃないですか。だから、だるさが完全に消えるまで、その優しさに甘えようと」


さすがは元「へっぽこ」だ。その徹底した他力本願、合理的すぎる甘えの構造に、私は感心を覚えた。そしてそれが彼女の特性であることを完全に理解した。


「で、今は魔力が身体に馴染んできたので、だるさも消えました。万全ですよ」

「うむ」

「……それで、師匠。一つ質問です。

私たち、ずっと一緒にいられますか?」


唐突な問いだった。ルルの瞳が、嵐の空を映し沈んでいる。

「何を言っている。ずっと一緒にいるじゃないか」

「そうじゃなくて、この先の話です。ずっと、ずっと先」


私は、その不安の正体を演算するのをやめた。ただ、静かに頷く。


「ルルが私の側を離れない限り、ずっと一緒だ。例え私が何かの事情でどこかへ消えたとしても、お前がついてくるというなら、私はそれを拒まない」


ルルは私の顔をじーっと見つめてきた。

その視線は長く、そして……痛い。

(なんだ、これ……魔力か?)


解析不能なプレッシャーに冷や汗が流れる。

やがてルルは満足したように、微笑みを浮かべた。


だが、その笑顔は、私に「引っかかり」を残した。

それは安堵の笑みというよりは、何かを覚悟した者の美しさに見えた。


「約束ですよ、師匠!」


ルルはそう言い残すと、弾けるような足取りでミンカのもとへと駆けていった。


魔導船を作ったが、各遺跡で魔導船を拒む結界を確認した。何かしら観測値が見えればいいのだが、残念ながら私は魔力が扱えない。


「魔法の結界か……。

エンタープリンスよ、おまえのその翼も思うようにはいかぬようだ」


私は自身でエンタープリンス号と名付けた愛船の光り輝く装甲にそっと手を触れた。


***


夜明け前の早朝。 私たちは、魔導船を教会の畑の奥にある、主のいない空き地へとそっと降ろした。


「ドエエエ!」


不意に、懐かしい鳴き声が静寂を破る。

「……モウフじゃないか!」


思わず駆け寄った。かつて山越えの苦楽をともにした、あの白い獣との再会に、私の胸が熱くなるのを感じた。


「仲間を連れてきたみたいですね。奥さんに子どもたち、それに若い連中も」

ミンカが、アルパたちと自然に言葉を交わしながら微笑む。

モウフは誇らしげに子どもを披露し、周囲の獣たちも楽しげに尾を振って私たちを歓迎した。


「あ、スー!帰ってきたの?」


野菜かごを抱えたリンが、ドタドタと音を立てて駆けつけてくる。

話を聞けば、一週間ほど前にモウフたちが突如として町に現れたのだという。


彼らが身につけていたアクセサリーを見た人々が、「女神の使者に違いない」と教会まで案内したらしい。今は使っていない小屋に住み着き、畑の雑草を食むことで「除草作業」という名の手伝いをしてくれているのだとか。


「スーが作っていた女神様のアクセサリーに、『スーの友達』って刻印があったから。それで教会で預かることにしたのよ」


リンが快活に笑うと、モウフたちもそれに合わせるように「ドエエエエ!」と声を揃えた。


「リン、紹介する。エルフのミンカ。それと、ルルだ」

「ミンカです、よろしくお願いします」

「師匠の愛弟子、ルルです!」


リンはぱっと目を輝かせる。

「わあ!エルフ様ですか!?耳触っていいですか!?

そしてお弟子さん?神話みたい!」


「え? えへ、えへへへ……」

褒められ慣れていないルルは、顔中の筋肉を緩ませ、不自然極まりないデレデレ顔を晒していた。


さて、落ち着く場所を決めねばならない。私が「しばらく彼女たちと私の自室で過ごす」と告げた瞬間、リンは全力で首を振った。


「だ、だめです! あそこは危険なんです!」


リンの脳裏には、おそらく私の研究室の光景が浮かんでいるのだろう。 棚を埋め尽くす怪しげな瓶詰め、不気味に輝く未知の素材、そして時折、どこからともなく聞こえる呻き声……。


「スーも皆さんも、どうか客室を使ってください! あそこは……人が住む場所じゃありません!」


私たちは半ば強制される形でリンに案内され、教会の中へと足を踏み入れた。


「スー、お帰りなさい」

「アンヌ! それに子どもたちも……みんな、久しぶりだ」


離れていたのは、たった三か月。

それなのに、胸の奥で保存されていた記憶の断片が一斉に輝きを放ち、濁流となって私を包み込む。


かつて別の世界にいた「演算機」としての自分と、この場所で土にまみれて暮らしていた「自分」の時間。その断絶していた線が、今、一本の道として繋がったような気がした。


「……顔つきが変わったわね」


アンヌが静かに言った。その声は、長い年月をかけてこの言葉を温めていたかのように、深く、穏やかだった。

「そうかな?」


不意に、自分の頬が熱を帯びるのを感じた。内側から溢れ出す熱量。アンヌは私の肩にそっと触れ、はしゃぐ子どもたちには聞こえないほどの小さな声で、言葉を継いだ。


「あなたは、自分の道を見つけたのね」


私は、思わず息を飲んだ。

それは祝福でもなければ、叱咤でもない。ただ、この教会という揺り籠から旅立ち、己の足で歩き始めた者だけが授けられる――いわば、卒業の儀式のような響きを持っていた。


「……ありがとう。アンヌ」


私はその「儀式」を受け入れ、短く答えた。

言葉にならない感謝が静かに定義されていく。


「髪も少し伸びたみたいね。それにしても……」


伸ばしかけた手を止めて、アンヌはふっと言葉を濁した。

その理由を、スーが理解することはない。


ただ、アンヌの胸の内では、ある一つの像が鮮明に重なっていた。(……もし、女神様が少女の姿でこの地に降り立つとしたら)

初めて出会ったあの日から、アンヌの目には、スーがどこかそのように映っていたのだ。


それは理屈に基づいた確信ではなく、祈りの中に宿る微かな直感のようなものだった。旅から帰ったスーは、以前よりもわずかに背が伸び、その髪はまるで淡い光を帯びるように柔らかく流れている。


その立ち姿は、アンヌが長い歳月のあいだ祈りの中で描き続けてきた「女神」の面影と、必然的な導きのように重なっていた。


スーは無意識に、アンヌの伸ばしかけた手をじっと見つめていた。

その手がかつて、凍てつくような孤独の中にいた自分を救い上げた暖かさであったことを、彼女の身体のどこかが、理屈を超えて記憶していた。


アンヌは、その熱を帯びた視線に気づき、ほんの一瞬だけ躊躇した。目の前にいる少女は、もう以前の「スー」ではない。旅を終え、未知の道を進む一人の独立した存在なのだと、理性では理解していた。


――それでも。


次の瞬間、アンヌはいつも孤児たちに注いできた慈愛そのままに、スーの頭をそっとなでた。その指先が触れた瞬間、スーの肩の力が、目に見えない糸が切れたかのように静かにほどけていく。

アンヌは迷いを捨て、スーを優しく抱き寄せた。


「……おかえりなさい。本当に、無事でよかった」


その声は、重なり続けた祈りがそのまま形を成したかのように、わずかに震えていた。


抱きしめる腕の中で、アンヌは気づく。この少女の身体が、あまりにも軽く――そして、あまりにも尊いことに。


スーはゆっくりとアンヌの背中に腕を回した。かつての自分なら、この体温を単なる「熱源」としてしか感知できなかっただろう。だが今は違う。


「……アンヌ、ただいま」


その言葉を口にした瞬間、私の中の「孤独」という名の未解決データが、完全な沈黙へと至った。


アンヌは、長きにわたる無数の祈りが、スーとの抱擁の中で静かに集約されていくのを感じていた。


そして、確信に近い予感に打たれる。


(この子はやはり、私が描き続けてきた「あの方」に似ている……)


アンヌはスーの背にそっと手を添えながら、その温もりが思ったよりも淡く、指先からこぼれ落ちていくような錯覚を覚えた。


この子は、もう遠くへ行く。


そんな直感が、氷の刃のように胸を掠めた。


理由は分からない。ただ、静寂の中で培われた信仰の感覚が、冷徹にそう告げているのだ。次に会えたとしても、今日と同じ距離で触れ合うことは、もう叶わないだろう。


それは、静かで小さな予兆。

アンヌはその不吉な、あるいはあまりに神聖な思いを言葉にはしなかった。


ただ、ほんの少しだけ、抱きしめる腕に力を込めた。

(……行きなさい、スー。あなたの選んだ、あなたの道へ)


スーはその力の意味に、気づかない。かつてのAIとしての演算機も、今の少女としての心も、この暖かさの中に秘められた「諦念」を解読することはできなかった。彼女はただ、母のようなアンヌの体温に、深く胸をうずめていた。

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