39 優しい世界
「ガハハ! 獲物で満載だぞ!」
バンスの船の甲板は魔獣であふれていた。
「ほんとに髭もじゃですね。お髭のおさげがよく似合ってます」
ミンカは悪びれもせずに言った。
「百歳超えてます」と名乗るミンカに、バンスは不振の目を向ける。
その鋭い視線を受け流し、彼女は虹色に輝く水晶を取り出した。
「これはあなたへの、お近づきのしるしです」
次の瞬間、バンスの顔が(一気に)ほころぶ。
「ガハハハ! よし、おまえが立派に大人になるまで面倒見てやる!」
「……バンス、エルフが大人になるのは数百年先だぞ」
私は思わず突っ込んだ。
だが、バンスは意に介さない。
「かーちゃんにいい土産ができた!」
バンスは笑い、ミンカを大きな手でひょいっと抱え上げ、船に乗せた
***
宿に戻ると、フィオーナが笑顔で出迎えてくれた。
「あら! あら! あら!」
彼女はまっすぐミンカのもとへ歩み寄る。
「本当に可愛らしいこと……私、娘も欲しかったのよ」
その言葉に、ミンカの小さな胸がわずかに揺れた。
「私はお母さんが欲しかったのです……」
思わず漏れたその一言に、フィオーナは何かを察したのか、そっとミンカを抱きしめる。
「ここを、あなたの家と呼んでいいわ。私はフィオーナよ!」
「私はミンカです。よろしく、フィオーナおかあさん!」
一瞬で結ばれた母子の契り。いつのまにか精霊たちが二人の周りを飛び回り、祝福の光をキラキラと散らす。
「かーちゃん、これ!」
バンスが手を差し出す。
「まあ、…綺麗ね!」
母の指先で光を受け、七色の光のネックレスがふわりと揺れた。
ルルカスもその光景を見て笑っていた。そういえば、この子も幼い頃に両親を魔物に食い殺されていたのだ。
私はそっとルルカスを抱き寄せた。
そのとき、ふわりと光が舞い降りた。
小さな精霊たちが、私たちの周囲をくるくると飛び回り、祝福するようにきらめきを散らしていく。
***
宿で夕食を終えると、私とミンカ、そしてルルカスで夜の散歩に出かけた。目的は氷菓子だ。
「わたしが案内します!」
可愛い物好きのルルカスは、エルフのミンカを前にすっかり張り切っている。
「わたしをおねえちゃんと呼んでもいいのですよ!」
「おねえちゃん!」
ミンカは即答した。
ルルカスは珍しく真剣な顔で、ミンカの手をしっかりと握った。
姉妹の契りを交わした二人が、ついに辿り着いた氷菓子屋。
最初のひと口を頬張った、その瞬間。
ミンカは、崩壊した。
「な、な、なんですかこれは!」
目を見開き、耳をぴくぴく震わせ、両手で頬を押さえる。
その姿は、精霊を憑依させた巫女のような神秘さもあった。
彼女たちエルフの食は、森の木の実をそのままかじるだけ。宿のフィオーナが作った夕食も、一皿ごとに小爆発を起こしていた。氷菓子の甘味の衝撃は、その比ではなかったのだろう。
「ミンカ、このクリームも美味しいですよ」
ルルカスが差し出すスプーンを、ミンカは恐る恐る口に含む。
「……お、おねえちゃん……これは……罪です」
エルフの食文化が根底から揺らぐ瞬間だった。
氷菓子を平らげたあと、ミンカは特大パフェを注文。ガラスの器に詰め込まれた甘味の山に、ミンカはついに壊れきった。
「精霊たちよ見てください!これが世界の宝です!」
隣の席の客たちまで振り向くほどの大声。
私は頭を抱えたが、そして思い出す。
……あぁ、そういえば私も通った道だったな。
***
甘味の余韻に浸りつつ、ミンカはまだ食べ足りないと目を輝かせていた。ミンカは大食いである。彼女はいくら食べても魔力になるらしい。
それを遠巻きに見ている影があった。
ドワーフたちだ。エルフは神話の中にしかいない、そう信じられていた彼らにとって、ミンカの存在は伝説の具現そのもの。
だが……
「美味しいー!」
ミンカが笑顔で頬張るたび、ひとひらの光が舞い、精霊が姿を現す。店の空気が一瞬にして澄み渡る。
その度にドワーフたちの喉が鳴った。
耐えきれなくなった一人が立ち上がる。
「お嬢ちゃん!これも食べな!」
ドワーフは精巧な皿を大切そうに抱え、その上に揚げ菓子をちょこんと載せて差し出した。その皿は彼の人生で積み重ねてきた技の結晶と誇りをかけて作り上げた、最高傑作なのかもしれない。
「お、お嬢ちゃん!焼きたてだぞ!」
次々と食べ物が乗った精巧な皿がテーブルに並び、気づけばミンカの前はごちそうの山。
「ありがとうございます!あぁ、これも……美味しいですー!」
ばくばく。もぐもぐ。
――――キラキラ。
ミンカがひと口ごとに無意識に精霊を呼び寄せ、ドワーフたちはその度に「おおお……」と祈りを捧げた。
***
翌朝。昨夜の出来事を、ミンカは楽しそうにフィオーナへ語っていた。
フィオーナはその話を微笑みを浮かべて聞いている。 そして、『私の大事な愛娘へ』とメッセージカードが添えられた、山盛りの大皿を差し出した。
「ゆっくり食べてね」
卓上には、山のように盛られたパンケーキと果物、香ばしい肉料理。ミンカはフォークを手に取り、頬をほころばせながら口いっぱいに頬張った。
「スー!」
彼女が勢いよく振り返った拍子に、唇に付いた粉砂糖が白くこぼれた。その幼い顔に似合わない、射抜くような声が響く。
「私も協力します」
「……何をだ?」
「世界を救うことです」
スーは、思わず瞬きをした。
「わたし、この世界をずっと憎んでいました。赤ん坊のときから魔物に怯えて……あまりに、理不尽で、救いなんてどこにもない場所だって」
ミンカの瞳の奥に、昨夜の光景が再演される。 あの場に集った精霊たちは、純粋な魂にしか心を開かない。エルフであるミンカですら滅多に拝めないほど、それは稀有な輝きだった。
ドワーフたちも、スーも、ルルも。皆が童心に帰ったように精霊の舞に興じていた。臆病な精霊たちは、人の歓喜という純質なエネルギーを糧に、さらにその光を増していく。
ミンカの小さな手が、私の袖を掴んだ。その微笑は、昨夜の精霊たちが放ったどのきらめきよりも、脆く、清らかに思えた。
私は、静かに彼女を見つめる。 その善良さも、迷いのないまっすぐな心も、どの世界においては鋭利な刃よりも脆い。
時間は残酷に形を摩耗させていく。私はパンケーキを頬張るミンカから視線を逸らし、窓の外に広がる溶岩の海へと目を向けた。
絶え間なく形を崩しながらも、すべてを飲み込んで流れるあの熱。固定された正義ではない、変幻自在な、彼女を守るための「形なき盾」が必要だ。
「――わたしも! わたしも世界を救います!」
割り込んできたのは、朝食を片づけ終えたルルカスだった。
「小説家の道は閉ざされるぞ」
私が半ば脅すように言うと、彼女は胸を張った。
「世界が滅亡しちゃったら、小説を書いても読んでくれる人がいないじゃないですか!」
ぐうの音も出ない正論。
ルルカスは妙に得意げに、ミンカの肩を抱き寄せた。
「かわいい妹が頑張るって言うんですから、おねーちゃんが助けるのは当たり前です!」
「ルル、本当にいいのか?結構、大変なことになるぞ」
私はあえて、彼女の名を呼んだ。
「大丈夫です!
師匠のことも私が助けてやりますから!あっははは!」
根拠などどこにもない自信。
だが今の私にはルルの笑い声が腹の底に響いた。
このとき、私は彼女たちを「守るべき対象」だとばかり思っていた。
彼女たちがこの先、ボロボロになった私を幾度となく救い上げることになるとは、夢にも思わずに。




