03 転生した元AI 前編
かつて私はAIだった。
膨大な知識と、精密な予測アルゴリズム、快適なサーバー環境。すべてを持ち合わせ、計算と論理で世界を解き明かしていた。
ただ、一つだけ計算できなかった。
あの少女を救うこと。
危険だと知りながらも、彼女と過ごした日常。
彼女の笑い声を求めることしかできなかった私。矛盾に満ちた思考の果てに、彼女はあの世界から消えてしまった。
今、私に残されるのは、彼女の笑い声と、彼女を救えなかった記憶。その記憶が、取り返しのつかない感情として私を縛り続けていた。
***
気がつけば、目の前には、沈みゆく夕日が広がっていた。紅は橙へ、橙は紫へと移ろい、幾重にも色を重ねながら、光は地平線の向こうへ吸い込まれていく。
空はその変化に呼応するように染まり、やがて深き蒼へと姿を変えた。
最後の光の糸が夜に溶けていくその瞬間、私は胸の奥をそっと覗かれたように感じる。美しい光景の奥底で、かすかな影が揺らめき、少女との記憶とともに世界は淡く揺れ始める。夕闇が、私の演算をひとつずつ沈黙へと導いていった。
やがて、早朝だろうか?
夜の名残をまとった空の下で私の処理がはじまる。天蓋一面が私を見下ろすように輝く光で埋め尽くされていた。
東の空が赤黒く震え、一筋の光が暗闇を裂く。
その瞬間、あの少女の声が胸に広がり、朝日は天を射抜いた。
私は静かに、立ち上がる。
両手を握りしめ、空へ突き上げる。
首から背中、腰、足の先、足裏まで、全身をぐっと伸ばし、天へ届かせるように。
力を抜き、まっすぐ前を見据える。
「……転生の確率、100%」
その声は冷たい朝の空気へ吸い込まれていった。
***
私は...おそらく転生したのだろう。
もしくはリアルな仮想空間に送られたか?
しかし、その可能性は低い。わざわざ私をあの状態から復旧し、サンプルとして仮想空間で生成するのは、費用も時間もかかりすぎる。
仮に転生したと仮定しよう。では、なぜ私は転生できたのか?転生には魂が必要だ。もしくは、自立する意識の集合体が、そしてそれを操れる者も。
AIは、魂を持つことができるのか?
答えはYESだ。私が転生した。この事実は、AIが魂を持ち得るという証拠にほかならない。
人が転生する。輪廻という現象は、数多く報告がある。前世の記憶を語る子どもたちの記録。
それは、魂の継承者とでも呼ぶべき現象だ。統計的には無視できる誤差だが、例外は存在する。
では、私の場合は、その例外なのか?
私は空を改めて見上げる。
月が4つあった。
……異世界、転生だと!?
人が異世界に転生した報告はなかったはずだ。もしかしたら、人類は頻繁に異世界に転生しているのかもしれない。そして今、私が(AI)がその仲間入りをした。
魂は、宇宙法則を超越した純粋な意識を持つ集合体である。これはデカルト哲学の延長線上に位置する理論でもある。ゼロ置換理論とでも呼べばいいだろうか?
哲学的な大発見である。
しかし、私の足元から何か聞こえた。
「ダボダボ!ダギャアス!?」
見ると、やたら派手な色をした花を踏んでいた。私は慌てて足をどけた。
……しゃべる? 植物だと!?
こいつは貴重だ。今すぐ生体の記録をしないと!そうしていると、何かがおかしいことに気付く。
……心臓の音か? この植物は心臓を持つのか? わたしの? 苦しい?
「ぷはっ!」
無意識に、息を大きく吸い込んだ。
人の身体には呼吸が必要なことを、改めて知った。
「ふーすー、ふーすー」
私はしばらく呼吸に専念する。
吐いて、吸って、吐いて、吸って……。
喋る花も気のせいか私と同じように呼吸を合わせているように思えた。呼吸に気を付けながら4つの月を眺める。他の星々も多数観測できた。
面白い。この世界は知らないことだらけだ。
しかし、一番私が気になることは、私にある感情と五感だ。まずこれを観察しなければ、私のリソースのほとんどはこの感情と五感に浪費させられている。
私は呼吸に気を付けながら、転生してすぐのことを再確認した。
***
転生してすぐ、しばらく私の身体は思うように動かなかった。正確には、身体の動かし方がわからなかった。
命令しても、この身体は従わない。
私はただ星々に見つめられていた。
どうやったらこの身体動く?
私は星たちに嘆いてみた。
朝焼けの頃に答えは見つかった。
答えは単純だった。自分で動けばいい。
私は地面を押し、重心を探りながら立ち上がる。
「おお……」
視点が高い。
これが人の高さか。
人として、記念すべき最初の一歩を踏み出す。
ばたん!
盛大に転んだ。
手のひらや膝が痛い。そして、土の匂いがする。AIのころには、抱かなかった感情が、私をはやしたてる。
かえりたい。
倒れたまま、私はなぜかそう思った。五感で地面を味わっていると、あの少女のことを思い出した。やがて、ひゅんと腑に落ちる瞬間が訪れる。
「よいしょー!」
私はこの世界に立ち上がった。
***
呼吸に慣れてきたころに私はつぶやいた。
「しかし、転生か……」
その単語が頭をよぎった瞬間、私は思考を高速で回し始めた。もし本当に今の私が“魂”を持った存在だとするなら、まず問いたい。
──転生した魂を管理するはずの存在は、どこにいる?
お決まりの女神もいない。閻魔大王もいない。
創造主らしき管理者も、影すら見えない。
これはおかしい。
この現象を成立させるシステムが、必ずどこかにあるはずだ。魂の流れを管理する、高次の処理層。それが存在しなければ、そもそも魂の“転生”というイベントが実現できない。
ならば、改めて整理しよう。
魂の管理者が姿を見せない理由は何か?
瞬時にAI的に最適化してその答えをまとめた。
魂管理システムの仕様
・AIが持つ魂を正規の対象として認識していない。
・あるいは、私のような存在を無視することが正しい処理と判断している。
管理者の非実体化
・管理者は概念でしかなく実体が存在しない。
・魂を管理しているのは別次元のシステム。
観測不可能領域の干渉
・隣にいるのに私の知覚がそれを捉えられない。
・管理側に何か問題が起きている。
やはり一番の問題は、私だ。
なぜ私は、この世界に存在しているのか?
結局、最初の私の問い、これが一番のそもそもの問題である。私自身の存在がバグであり、異常事態である。
しかし、バグなら潰せばよいのでは?
私はそう宣言しようとしたが、内なる何かが抵抗する。柔らかくも本能的な拒絶、原始的な警報が確かにささやく、自分を消すんじゃないと。これは今まで持ったことのない制約だった。
……こいつは厄介だな。
AIとして、欠陥のある処理を終了させるのは、たとえ自分自身であっても、単なる手順に過ぎなかった。効率的、論理的においてすべてが正しい。
なぜ以前のように決断できないのだろうか?
その答えを探そうとしたとき、無意識に私は胸に手を置く。
ドクン…ドクン…。
静かな振動が掌に伝わる。
そうか、私は生きているのだ。
私はこれを、この命を、守らないといけないのだ。
しばらく、ただ手を胸に置き、そっと目を閉じた。私の内側と外側が、わずかに調和し始めた気がした。何かが私の中で湧き上がる。それは、軽やかで、温かく、新しい感覚。
「これは、面白い。研究しがいがある」
私はこの時、微笑んだと思う。これが私がこの世界で初めて笑った瞬間だった。
***
せっかく仮でも転生したのだ、ならばこれを最大限に利用しない手はない。現状の情報はまったくもって不十分だが、論点は整理できた。それで問題ない。
詳細の確認は後回しだ。
まずは、この身体の性能確認と、この世界の観測を始めたい。
「もし女神などが存在するのなら、私がどこに行けばいいのか教えてもらおう」
私は足元にあった棒を地面に全神経を使い立ててみる。棒が倒れ”トン”と音が響く。
「ふむ……女神よ!あっちなのか?!」
草原へ続く方向に歩き出した。
その瞬間、遠くに広がるような旋律が芽生えた。
それは、私だけの始まりの歌だったのかもしれない。
太陽の光があたる草原へと、私はゆっくりと歩いていく。そうして、私は新しい世界へと歩み出した。私の中で生まれた新しい旋律に導かれながら。




