38 エルフの暮らし
僕は気がついたら、赤ん坊にだった。
まわりは深い森。大木が立ち並んでいた。
さて、どうしたものか?
意識はある。知識もある。
本来なら両親や保護者がそばにいるはずだが、その姿はどこにも見当たらなかった。
あたりを見回すと、同じような赤ん坊がたくさんいた。全員耳が長い。「エルフ」頭の中の知識がその姿に反応した。
その瞬間だった――『あなたはだーれ?』
声が頭の中に響いた。目の前にいたオレンジ色のエルフの赤ん坊が、こちらを見つめている。
これは…念話か。僕にも使えるのだろうか?
頭の中の知識をたどり、念話を試してみる。
『……えっと、僕は…だれだろう? 名前はない。君は?』
『ふーん。私はミンカ。さっき自分でそう決めたの。
あなたは緑色の髪をしてるね。 グリンって呼んだらどう?』
『…グリン? 名前がないと不便だし、とりあえずそう呼んでいいよ。それより僕たちの親はどこにいるんだろう?』
ミンカが首をかしげて言う。
『…さあ? わからない』
周りを見れば、赤ん坊は五十人ほど。皆で集まって体を寄せ合い、暖かくしていた。僕らは裸だった。このままでは、いずれ寒さや、飢えて死んでしまうだろう。
『ねえ、みんなで念話を使って助けを呼んでみない?』
別の耳の長い子が言った。
『そうだね。このままじゃ何もできないし』
全員で念話を飛ばしてみたが、残念ながら何の反応もなかった。
僕たちは念話を使えた。それ以外の力はよくわからない。なぜかは知らないが、僕らはもう少し成長が必要だと理解していた。
***
『うねうね? ちから? 魔力!?』
しばらくして、ミンカが言う。
『あの木の奥から、魔力のようなものを感じるの』
ミンカが長い耳に手を当てながら言った。
僕とミンカは代表として、そこに向かうことにした。
やがてたどり着いたのは、古びた扉。
そこには「地の遺跡」と刻まれていた。
不思議なことに、すべての文字は読めた。種族ごとに異なる古代の文字が組み合わさっていた。模様を作るように刻まれた文字列。
そのまま読み進めると文字が淡く光りはじめた。
「ごごごごごっ!」
扉の足元が震えると、そこから奥へと続く階段が現れた。
『……階段か』
ミンカはやれやれと肩をすくめ言った。
僕たちは腹ばいになり、足から一段ずつ慎重に降りていった。
『身体が小さいと、ほんとに、こういうのは面倒ね!』
ミンカがため息まじりに言う。
やっとのことで、階段を抜けると、広間のような空間に出た。壁はさまざまな鉱石で形作られ、淡い光を放っている。
『ミスリル?』
根拠はないのに、なぜか鉱石の名が頭に浮かんだ。
『グリン!見て、あそこに装置がある!』
ミンカが指さす。
だが高すぎて、僕たちの目線では装置には届かない。
ミンカは少し考えてから口を開いた。
『魔法を作ればいいんじゃない?
ほら、普段は下に落ちる力があるでしょ。それを逆にすればいいの』
頭の知識をたどると、ある言葉が自然に浮かぶ。
落ちる力……重力。
僕は魔力を練り、重力に意識を向ける。
『反転』
その瞬間、僕たちの身体はふわりと宙に浮かんだ。装置の操作盤のようなものに近づくと、そこに文字が浮かび上がる。
〈我が魂を地に注げ〉
『地に足をつければいい……ってこと?』
僕は首をひねる。
『ううん、きっと”名前”が必要なんだと思う』
ミンカが操作盤に小さな手をかざし、宣言した。
『トーチ。あなたの名前はトーチ』
すると装置が震え、土の塊が集まり、ひとつの形を生成した。ごろりと転がると、ぱちりと瞳に光を宿し、明るく声をあげた。
「やあ!僕はトーチだよ! よろしくね!」
***
「これは食べられるだろうね!」
「こっちも良さそう!」
トーチが楽しげに声を響かせる。ゴーレムたちが次々と動き出した。森の実や根菜、水の染み出す石から滴る雫を集める。
「みなさん、ごはんですよー!」
わらわらと集まってくる赤ん坊たち。耳の長い子らは三百ほど。まだ歩くには幼いその身体は、それぞれが浮かび、這いずり、よちよちと大きな切り株の卓へと近づく。
彼らはそのまま地面にちょこんと座った。並べられたのは、木の実や果汁、森から集められた素朴な食事。
エルフの赤子の身体には十分な糧だった。
***
私はこの世界の生成装置。
大地を育むために創られた偉大なる存在。
本来ならば、管理者の指示に従い、地を豊かにし、信仰心を集め、己の力を伸ばし続ける存在だけのはずだった。
しかし、最初に命じられたことは「育児」であった。
『お腹が減った」、『寒い』
赤ん坊たちは次々にそう訴えた。
私は地の力を使い、ゴーレムたちを生成した。
赤子に食べ物と寝床を与えるために。
そして気づく。森の奥に散らばる五千ほどの小さな魔力。赤ん坊の仲間だろう。しかし、その数は日に日に減っていた。
かつて存在していたと証明するように、それらは魔力の残骸のみを残していた。
***
それからのエルフたちの暮らしは、魔物との闘いの連なりである。
魔力の残骸を見つけるたびに、グリンの胸の奥が空洞になる。エルフは死ぬと魔力の残骸を残す。それはしばらくその場に留まり、やがて大地に吸い込まれる。そして、深い場所で一つの集合体を形成する。
「ここもだめみたいだね」
グリンの耳がしなりと落ちる。目の前の残骸は静かに光っていた。エルフは死を淡々と受け入れる性質がある。しかし、大きな森が失われるような喪失感を彼らの胸に魂に刻みつけた。
トーチから魔力操作や精霊の力の使い方を教わった。ゴーレムを作り、砦を築き、僕たち赤子のエルフは暮らした。多くの失敗を繰り返した。それでも僕たちは生き延びてきた。
森にいる他の仲間を探し出し、砦で暮らす。大地の精霊に果実や水を分けてもらいながら、暮らしはようやく形を帯びてゆく。
それでも、残骸の光を目にするたびに、僕はこの世界に文句を言いたくなった。しかし、僕たちはまだ赤ん坊だ。己の力でこの世界で戦うとしてもたかがしれていた。
***
「……そうなのか」
地の遺跡の生成装置で思わずつぶやいていた。僕たちはこの地に誕生してから五十年がたっていた。けれど僕の姿は人族で言えばまだ五歳ほどにしか見えない。
盤に刻まれた光の文字列は、過去の出来事を映し出す。そこに記されていたのは、この世界を形作るための宣言だった。
『各種族を、地域ごとに五千から五万生成する。年齢は零歳から七十歳までの範囲で割り振る』
『一定の知識、宗教、歴史観、建物や畑、食料を持たせ、暮らせる状態で生成する』
「エルフは成長が遅いからね。
こうして全員が赤子になるのも当然か」無意識に声が出た。
しかし、これは意図的なのか?
胸の奥で、前々から抱いていた疑念が膨らんでいく。この世界そのものが、最初から仕組まれた何かを演じる舞台のように思えてならなかった。
エルフの歴史は、赤子がサバイバルする世界だった。仲間もたくさん死んだ。それでも、砦には笑い声があり、僕たちは食卓を囲み、この世界に僕らの歌声は確かに響いていた。
僕たちの成長は、大木になる木々のように、この世界へ根を張っていった。やがてこの育みが、大樹の森へとつながることを信じて。




