37 火の遺跡 後編
「敵意はありません。地の遺跡の精霊から、火の遺跡が解放されたと伺いました」
そう告げたのは、愛らしさを結晶にしたような少女――ミンカ。
ふわりと光をまとい、“かわいい”がそのまま歩いているみたいだった。
続いて、透き通る緑髪の中性的な子が現れる。
「あっちの遺跡に転送装置があったからさ。僕らはさっそく遊びに来てみたんだ……まあ、暇だったしね」
整いすぎた顔立ちと、理知的に光る瞳。
自らをグリンと名乗ったその子は、どうやら「僕っ子」のようだった。
「私はスーだ。ついさっき、この火の遺跡を解放したところだ」
私は、手のひらサイズのマッチを紹介した。
「こっちの小さいのがマッチ。火の生成装置が意思を持った姿だ。……さっき生まれたばかりだがな」
すると、小さな火の玉――マッチほわりと揺れた。
「皆様、ご挨拶申し上げます。私はマッチと申します。……本日は私の誕生日です。来年も、再来年も、私のことを覚えていてくださると幸いです」
マッチの声は、どこまでも慇懃だった。
「なお、誕生日プレゼントにつきましては、ゆっくりと燃え続けるもの……そう、太陽のような、あるいは世界樹の薪などをご用意いただければ、これ以上の喜びはございません」
ミンカとグリンは、自分たちがエルフたちのまとめ役であることを明かした。 ルルカスは、すでに他のエルフたちと楽しそうに打ち解けている。
……さて、何から話そうか。
私が迷っていると、二人は人差し指の先に小さな光の玉を灯した。
「危険はありません。これは『記憶の玉』と呼んでいます。 お互いの記憶を情報としてやり取りできるものです。伝えたくない情報には無意識に鍵が掛かるので、共有される心配はありません」
グリンとミンカは指を合わせ、さらに輝きを増した玉を生み出す。 「どうぞ」
私はその光る玉に触れた。魔力を持たない私が、魔法という現象にこれほど直接触れる機会はそうない。私は興味津々だった。
玉に触れた瞬間、エルフたちの情報が奔流となって流れ込んでくる。それは、転生前のシステムが処理落ちする寸前の感覚を思い出させた。
脳内に洪水のごとく溢れる情報。
だが、どのデータが重要か、自然と脳内で優先順位が浮かび上がる。
膨大なデータを捌いていく。
心の奥で、懐かしい冷却ファンが回るような音がした。
情報の濁流の中で、ミンカの声が届く。
「これで、私たちのことはわかりましたか?」
「……本当に、ただ遊びに来ただけなんだね」
私が呆れ混じりに言うと、二人は揃って頷いた。
「では次は、あなたの記憶を読ませてもらいます」
ミンカが私の手を握ると、私の額に新たな光の玉が生成された。 二人がその玉に触れる。頭がふっと軽くなるような感覚があった。
私の記憶を読み取ったミンカとグリンは、何事かぶつぶつと呟き始めた。
「あなたは……スーは、『記録の遺跡』の解放者でもあるのですね」
ミンカが呟く。
「そして、スーは世界を救おうとしている」
グリンが、なるほど、と得心がいったように頷いた。
二人はしばらく話し合った後、私に向き直った。
「僕は、スーがやろうとしている方法で世界を救えるか、検証してみるよ」 グリンがそう言うと、ミンカは少し考えてから声を上げた。
「私は、しばらくスーと一緒に動いてもいいですか?
ドワーフの街を観察したいですし、今後エルフたちが外と交流できるかどうかも知りたいのです」
私の思考は止まっていた。
世界が滅亡するという事実。
それを――誰かと共有できた。
それだけで、肩の力が抜けていく。
肺の奥に溜まっていた空気が、やっと外へ逃げていった。
私が隠していた真実を、この二人はすでに受け入れている。
二人の瞳を見返し、静かに言う。
「では……私も協力をお願いしたい。
世界を救う道は、私だけでは辿れない……」
その瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
音がした気がした。
支えていた柱が、一本残らず折れるような。
……ああ。
挫折した。
私はずっと、一人で救おうとしていた。
無理だと、最初から分かっていたのに。
何度も「If」を重ねた。
乱数操作も繰り返した。
だが世界救済という解には、かすりもしなかった。
転生前の失敗から、私は学んでいる。
他者に頼ること。
それが、人として生きる唯一のアルゴリズムなのだと。
今回の挫折は、前向きな挫折だ。
だから私は――これを受け入れる。
……そう、思った。
気づけば、うずくまっていた。
指先が震えている。呼吸が浅い。視界が揺れる。
ミンカとグリンが、心配そうに眉を寄せた。
「……ずっと、一人で抱えてきたんだね。
皆の日常を守るために、自分の感情を切り離して……そうやって保ってきたんだろう?」
グリンの声は静かだった。
事実を確認するように、落ち着いた響きだった。
けれどその言葉は針になり、私の孤独を正確に刺した。
「人に頼るなんて、してこなかったんでしょう?」
ミンカが一歩近づく。
「でもね、人は一人じゃ生きられないの。
どんなに強くても――心って、そんなふうにはできてないのよ」
迷いのない声だった。
ミンカのまっすぐな言葉が、
折れた心の隙間に熱を流し込む。
立っていられなかった。
私は地面に座り込んだ。
理性で処理できない。
ふたをしていた感情が、壊れた堤防みたいに溢れ出す。
頬が濡れていた。
ふがいなさと、他者のやさしさが同時に押し寄せる。
初めて――“泣く”という行為を理解した。
二人が、そっと私を抱きしめる。
涙で濡れても、ミンカはさらに強く抱きしめた。
グリンは背に手を添え、静かに呼吸を合わせる。
声が出ない。
喉が閉じてしまった。
……ありがとう。
声にならない。
私は胸の奥で、何度も繰り返した。




