36 火の遺跡 中編
炎に包まれたかと思うと、私たちは遺跡の中にいた。脳が揺れるような、独特の浮遊感。
その遺跡は、すべてが炎で形作られていた。奥には一枚の巨大な石板が立ち、その周囲では無数の炎が生まれては消えていく。
石板の前では、小さなひよこたちがわさわさと騒がしく動き回っていた。
「師匠、ちっこいのがこっちに来ますよー」
ルルカスが嬉しそうに声を弾ませる。私がその群れを警戒していると、立派な鶏冠を持った一羽が声を上げた。
「なんだ、お前たちは!」
「私はスーだ。こっちはルルカス」
「お前は誰だ、ひよっこ?」
問いかけに対し、ひよこは不満げに胸を張る。
「誰がひよっこだ! 俺は火の精霊だ! それに今は忙しいんだ!」
私たちに害がないと判断したのか、その精霊は石板の前へと戻り、他の仲間たちとせわしなく立ち働き始めた。その様子は、小さな個の力を数で補い、必死に公務をこなしているかのようだった。
石板の前まで進み、そこに刻まれた文字を眺める。
ひよこたちは文字を念じて石板に浮かび上がらせ、火を生成しているらしい。石板の表面には、
火1
の記号がひっきりなしに書き込まれていた。
なるほど、おそらくこれは「世界の火の生成装置」なのだろう。
ここは管理者が不在のまま、放置された場所に違いない。生成量の不足を「数」で埋める人海戦術。数えきれないほどのひよこたちが、世界の需要に応えるため、物理的な労働力でシステムを支えていたのだ。
私はルルカスに頼み、魔力を用いて石板に一文を書き加えさせることにした。
火(n+1) = 火(n) + X ♢
文字が石板に刻まれた瞬間、周囲の炎は安定し、自動で生成が始まった。ひよこたちの脆弱な力に頼るより、この一行の数式の方が、ほぼ永久に効率よく火を生み出し続けられるはずだ。
「お前、何をした!」
先ほどの鶏冠が血相を変えてやってきた。
「手伝っただけだ」
他のひよこたちは状況を理解したのか、次々とその場にへたり込み、休み始めていた。
無理もない。彼らは火の生成を、文字通り「1」から積み上げていたのだ。あれほどの生成量を維持するために、たった「1」を足し続ける作業がいかに過酷だったかは想像に難くない。
文句を言いに来たはずの鶏冠も、毒気を抜かれたようにぺたんと座り込んでいる。
私は石板の傍らに、制御装置らしきものがあるのに気づき、歩み寄った。
「おい! これはなんだ?」
座り込んで休んでいる「ひよっこ」に問いかけた。
「わからない。ただ、そこから俺たちの仲間が生まれてくるんだ」
ディスプレイのような透明な板に、ぼんやりと文字が浮かんでいる。
『汝、我の魂に火をつけよ』
その問いは、声ではなく直接私たちの脳裏へと響き渡った。
ルルカスはしばらく考え込んでいたが、やがて女神信仰の知識から導き出した「ひらめき」を口にした。
「……魂に火をつけるのは簡単です、師匠。名を与えるのです!」
私は沈黙し、思考を巡らせる。
名か。この、火の遺跡の心臓部に対する名……。
ここは世界の生成装置の一部。本来なら管理者たる「女神」のような存在が振るうべき、強大な権能そのものだ。
「ならば、名を与えよう」
私はルルカスにその名を伝え、彼女が魔力とともに装置の深淵へとその文字を刻み込んだ。
「マッチ」
石板が眩い光を放ち、その炎は周囲の空気を震わせ、高潔な人格を持った「火の概念」として立ち上がる。
同時に、火精霊の眷属たちも次々と産声を上げた。
フレアリス(火の大妖精): 生き物に加護を与える、火の羽を持つ美しき妖精。
カーマグナス(レッドドラゴン): 豪火を纏い、力強い翼で火域を見守る守護竜。
ブレイザール(炉の精霊): 世界の熱源を安定させ、秩序をもたらす精霊。
ラヴァルゴン(溶岩の精霊): 地底の怒りを司り、荒ぶる火行を制御する巨躯。
ひよこたちも進化した。「火の鳥」へと姿を変えている。
マッチは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべるように炎をゆらめかせた。
「……これで、世界の火は安定いたしますぞ」
その荘厳な声が遺跡に響き渡る。
火の生成装置は名を得て、確固たる魂と高い知性を手に入れた。
……だが、小さい。
生まれたての彼らは、全員が手のひらサイズだった。
マッチはただの「喋る小さな火の玉」だ。大妖精フレアリスはルルカスの指先にちょこんと乗り、炉の精霊はまるでカプセルトイの景品のような佇まい。溶岩の精霊にいたっては、周囲の景色に紛れてどこにいるのかさえ判然としない。
そして守護竜レッドドラゴンにいたっては、まだ卵だった。
「これ、いつ頃孵化するんだ?」
私が尋ねると、マッチは穏やかに微笑むように静かに言った。
「それは、誰にもわかりませぬ」
***
私はマッチから生成装置の操作法を習得した。マッチという人格(OS)が誕生したおかげで、もはや直接的な魔力供給は不要となり、私は慣れ親しんだパソコンを叩くような感覚で端末を操作している。
「師匠、何をしてるんですか?」
「……ログだ。過去の記録を洗っている」
「どんな内容なんですか?」
「いいかルルカス。これを知ってしまったら、お前は小説家にはなれないぞ」
私は深刻な顔で弟子に警告した。
「……それじゃあ聞きません。私の夢は、高潔な小説家になることですから!」
そう言い残すと、彼女は足早にどこかへ行ってしまった。
『警告。地の遺跡より、未確認の転送信号を検知しました』
マッチの声が、突如として遺跡内に響き渡る。
それと同時に、周囲の床に無数の魔法陣が浮かび上がり、目も眩むような光を放ち始めた。
「えっ……?」
『転送開始まで、10秒前』
「ルルカス、用心しろ!」
私は反射的に杖を構え、迎撃の体勢をとる。
『3、2、1……転送実行』
光が炸裂するように溢れ出し、一瞬ののち、収束した。
魔法陣の中央に姿を現したのは――大勢の、耳の長い子供たちだった。
その数、およそ五十。
子供たちは口々に「わー!」「あったかーい」「ここ、どこー?」とはしゃいでいる。
全員、耳が尖っている。
……もしかして、エルフか?
私が困惑して立ち尽くしていると、その中から一人、燃えるようなオレンジ色の髪をした少女が近づいてきた。




