31 もったいない人生を歩む冒険者
「……なんだ、あれは?」
町の外門を守る歴戦の冒険者が、思わず声を漏らした。
体長4メートルを超える『オーガ5兄弟』の死体を、木製のそりに積み上げて引いてくる、二人の少女だった。
ざわめきが広がる中、私たちは町の外れで足止めを食らうことになった。
「へっぽこ。お前、ここに名前を書け」
「え? 字? あー、うん」
へっぽこはにへらっと締まりのない笑みを浮かべ、私が指さした箇所へさらさらとペンを動かす。
線は途切れ、形は崩れ、読む者に高度な想像力を強要する。もはやそれは文字ではない。そういえば、人間の天才は字が汚いという記録があったはずだ。
彼女の乱雑な癖をトレースしつつ、ギリギリ読める程度に整えた報告書を書き上げた。
***
冒険者ギルドが数年追い続けていた凶悪な『オーガ5兄弟』。その討伐報告書は、わずか三行の内容に要約されるものだった。
『パニックになりストーンバレットを乱射』
『幸運にも全弾命中』
『念のため首を切断』
ギルドの受付嬢は、見たこともない奇妙な文字で埋め尽くされた報告書を凝視し、次にギルドの解体所に転がる 「脳天に拳よりも大きい風穴が空いたオーガの死体」を見て、そして最後に、目の前で無邪気に笑っているルルを見た。
「……ルルさん。これ、本当に……あなたが?」
「はいー! わたしがやりましたー!」
「あの、ルルさん。差し支えなければ……こちらの国の文字で、もう一度報告書を書き直しをしてもよいですか? 口頭で構いませんので、詳しく説明を……」
彼女は白紙の用紙をゆっくりと広げた。
***
へっぽこのおごりで、宿の「特別室」に転がり込んでいた。広々とした部屋に、個別の風呂付き。私はこの広い部屋で静かに考える。
……あの絶望的な状況でオーガを圧倒した力。
「みてくださーい! お湯がゴブリンの血の色みたいですよー! お風呂ひさしぶりですー」
脱衣所のドアも閉めず、無邪気な声が響く。
なぜ風呂のドアを閉めないのか?
なぜ「ゴブリンの血」が比較対象なのか?
風呂から上がってきたルルは、タオル一枚を巻いただけの姿で、床をびしょびしょに濡らした。私は新しいタオルを手に取って彼女を拭く。
「お前、これからどうするつもりだ? ギルドでの評価も上がった。次からはもっと良い依頼が舞い込むはずだぞ」
「へー、わたしは……報酬もたくさんだし、ゆっくりしますー」
ルルは上気した顔で、満足げにふにゃりと笑った。
格上のオーガとの死闘。
精神的な疲労も大きいだろう。
休息は妥当な判断だ。
「実は、わたし、やりたいことがあるんですー」
ルルはタオル姿のまま、愛用のけさ袋を漁り、一束の紙を取り出した。彼女は、宝石でも眺めるようなキラキラとした目で、その紙束を見つめて言った。
「わたし……小説家になりたいんですー!」
彼女には夢があった。
冒険者ではなく、作家になること。
「わたし、月刊ムームーに作家希望の手紙を出したんですー」
かつて演算プログラムを搭載したAIだった私の思考を、彼女は常に斜め上へと置き去りにしていく。私は促されるまま、差し出されたその紙束に目を通すことにした。
パラパラ、と紙を捲る音が静かな室内に響く。 そこに綴られていたのは、一人の男と、孤独なドラゴンの数奇な運命だった。
「俺の名はゴリアス。四十五歳。独身。……趣味は、自分を裏切らない筋肉を鍛えることだ」
かつて英雄と呼ばれた男は、人生の終着点を探して炎の洞窟へと足を踏み入れた。
「人間、か。……久しく見ていなかったが、お前、美味そうだな。食ってもいいか?」
「食いたければ食え。だが、俺の肉は硬いぞ。……一生かけて、じっくり味わってもらうことになるが、構わないか?」
「……は?」
最強の竜が、その時初めて、乙女のような戸惑いの声を漏らした。
はっと我に返り、今は批評をしているタイミングではないと、意識を切り替えた。
「……とりあえず、服を着ろ」
まずはそこからだ。
報酬で購入したばかりの服を羽織る彼女を見て、私は思わず演算回路を停止させた。認めざるを得ない。黙ってさえいれば、彼女は間違いなく「至高」の範疇に属する美人だった。
無邪気に私の首筋へウインドカッターを放ってくるような狂犬。だが、こうして落ちるいている彼女は、まるで別人のような透明感を放っている。
濡れた髪は月光を滑る水晶の糸のように肩へと流れ、雫が白い首筋を伝い落ちる。その無防備で危うい佇まいは、見る者の本能に「守護」の二字を刻み込むだろう。
……数値化するならば、これは「魅力的」というカテゴリの極致。精霊が気まぐれに人の形を成したような、幻想的な美。
乱れを隠す様子もなく、呑気に服を羽織るその姿。
「へっぽこ」と呼ばれる彼女が、ただの残念な少女ではなく、底知れない"可能性そのもの"であることを、その存在が鮮烈に証明していた。
「おい、へっぽこ。お前が望めば、歴史に名を残す大魔道士にも、百戦錬磨の魔法剣士にだってなれるんだぞ!」
私は真剣に彼女を見つめた。
「えー、わたし、戦うのは苦手なんですー」 ルルは肩をすくめ、締まりのない顔で「にへらっ」と笑う。
「……才能を捨てるな。お前はどこまでも突出できるはずだ」 私は警告するように言った。 「戦いを避ける道は、可能性を閉ざすことでもあるんだぞ」
すると、ルルは小首をかしげ、ふいに言った。
「ふーん……じゃー、条件がありますー」
「……条件?」
「わたしの『師匠』になってくれますか?」
私は絶句した。
想像の斜め上どころではない。
私の思考予測はストップ高だ。
「……私は魔法を使えないし、魔力もない。人に戦いを教えることなど――」
「師匠って、小説を書いてるんでしょう?」
「な……っ!?」
「さっき報告書を書いていたとき、バッグから小説の原稿が見えましたー。そのあと、こっそり読みましたよー」
「……っ!」
「師匠は《月刊ムームー》の小説家なんですよね?」
『月刊ムームー』。 冒険者の友情と戦いを題材に、この私が「編集長」として密かに発行している雑誌。その正体を知る者は、この世界に数人しかいないはずなのだ。
ここで断るのは簡単だ。正体を秘匿し、ただの同行者として振る舞えばいい。 だが、目の前の少女は――誰にも理解されない迷える天才。その才能を「へっぽこ」という蔑称の中に埋もれさせていいはずがない。
「……わかった。弟子として認めよう」 私は小さく、だが重みを持って告げた。
「ただし、強くなる努力はしろ。アドバイスはしてやる。だが……小説家としては、お前はまだまだ粗削りだ。何より字が汚すぎる。まずはそこからだ」
「ししょー!!」
パッと顔を輝かせ、ルルが私に抱きついてくる。
世界を救う力を持つ少女が、あろうことか「編集長」に弟子入りした瞬間だった。私の胃に、新たな「未確認の痛み」が走った。
教えるより、観察して学ぶ側だったはずだ。
けれど、へっぽこを見ていると、効率よりも情緒が勝ってしまう。
このへっぽこという物語がどこへ向かうのか。
それを一番近くで「編集」していくのも、悪くはない学習だ。




