27 小話 久しぶりのギルド
「だめです」 目の前のマリアンヌがきっぱりと言い放った。 「スー、護衛もつけずに遠征に出るなんて、私が許しません」
久しぶりにギルドへ顔を出し、遠征の希望を伝えた。その結果が、これだ。普段は冷静な彼女が、別人のような目でこちらを睨んでいる。空気が一段、重くなった。
——まずい。
喉が鳴り、言葉が続かない。足の裏が床に吸い付いたかのように動けなくなった。怒ったマリアンヌは、正直言って恐ろしい。これが『逆鱗』というものか。
……演算していた数値を、はるかに超える圧力だ。他人が叱責される光景を客観視するのと、自分がその対象になるのとでは、これほどまでにデータが異なるのか。
私はどうしていいかわからず、ただ黙ったまま、無意識に視線を落とした。
「どうしたんだ?」 解体職人のヴェルドが歩み寄ってくる。 マリアンヌから事情を聞いた彼は、腕を組んで眉を寄せた。 「それは……そうだな。相応の実力があれば話は別だが」
「実力があればいいのか」 私は口を開いた。 「マリアンヌ、このギルドで一番腕が立つのは誰だ。その者と手合わせし、勝利という結果を出せば文句はないな?」
マリアンヌはしばし黙り、やがて視線をヴェルドへ向けた。 「……そうね。それなら、いいわ」
***
私はヴェルドとともに、ギルドの訓練所へ移動した。背後にマリアンヌが続く。その眼差しは、依然として氷のように鋭い。
「ヴェルド、本気を出しなさい」 彼女の低い声が、冷たく響いた。
ヴェルドは躊躇なく、訓練用の木剣を手に取った。質量のある、標準的な個体だ。 対して私は、棚から最も軽く、細い一振りを。
剣を構え、ヴェルドと向き合う。 「ヴェルド」 私は口を開いた。 「私が勝てば、一つ条件を呑んでもらう」
「お前が、俺に?」 ヴェルドが鼻で笑う。 「……いいだろう。立っていられるなら、話を聞いてやる」
訓練所の空気が、一気に張り詰めた。
距離、4メートル。 私はかつて観測したパオの速度を演算し、予測モデルを展開する。
「はじめ!」 マリアンヌの号令と同時に、全身の力を抜いた。
常人ならば、その場に崩れ落ちるだろう。私は各部位への命令精度には自信がある。 筋肉、骨、神経――そのすべてを「完全休止」の状態へ。
ヴェルドが動いた。 私はそれを「視認」していない。思考すら停止している。 ただ、予測プログラミングが導き出した「最適解」へと、肉体を委ねる。
沈み込む。重力を利用し、地面すれすれを滑る。 ヴェルドの踏み込みに対し――乾いた音が響いた。 木剣の先端が、ヴェルドの脛を的確に捉えていた。
***
「何をやってるのよ、ヴェルド!」 訓練所にマリアンヌの怒声が炸裂した。獣の咆哮さながらの音圧に、思わず背筋が震える。
「い、いや……そこそこ本気だったんだぜ」 額の汗を拭い、ヴェルドが苦笑を漏らす。 「身体強化も併用した。普通ならベテランでも反応できないはずなんだがな」
「ぬぬぬ……もう一度よ!」 マリアンヌが拳を握りしめ、再戦を要求する。
理解不能だ。 敗北したヴェルドが言うならまだしも、なぜ審判役の彼女が「もう一度」と言うのか。
その後、数回の手合わせを繰り返した。 ヴェルドは直線的な打ち込みを捨て、フェイントと回り込みを多用する戦術へ切り替えてきた。
「ほう……これは驚いたな」 ヴェルドが木剣を下げ、感嘆の声を漏らす。 「マリアンヌ、認めざるを得ない。スーの実力は、俺がお墨付きを与えられるレベルだ」
「……っ」 マリアンヌの顔面が、一気に沸騰したかのように赤く染まる。 やがて、荒い呼吸を整えてしぶしぶと頷くと、ようやくいつもの冷静な表情――その皮を被った状態に戻った。
「スー」 彼女は射抜くような眼差しで私を見据える。 「新しい町に着いたら、欠かさず手紙を出しなさい。週に一度は必ず。行動記録、今後の予定、残存資金の推移。そのすべてを報告すること。いいわね?」
……過保護だ。姉を通り越して、完全に母親へ差し替わっている。 私は姿勢に気を付け静かに頷き、その条件を受諾した。
***
私はギルドの依頼板と討伐記録を照合し、演算を走らせた。 魔物の発生頻度、および分布に明らかな異常がある。
記録上の数値は、統計的な予測を遥かに上回っていた。私は即座に、勝ち取ったばかりの権利を行使することにした。
「ヴェルド、同行を。調査が必要だ」
隣にいたマリアンヌも、険しい顔で頷いた。 「そうね……言われてみれば不自然だわ」
彼女の指示により、調査隊が即座に編成された。メンバーはヴェルド、そしてギルドの料理長ダース。 マリアンヌの決定には誰も反論しなかった。
ダースは一見ただの料理人だが、その正体は腕利きの重戦士だという。彼の背負う大斧は重厚な殺気を帯びていた。
私は今、そのダースの背負い籠に収まり、揺られている。 戦車に搭載された気分だ。
先頭を行くヴェルドは、黒光りする大剣を担ぎ、野獣のような眼光で藪を払う。 その後ろを、エプロン姿のダースが大斧を手に駆け抜ける。
***
ヴェルドとダースは、発見したゴブリンの巣へ容赦なく切り込んだ。 身体強化を施した二人の動きは凄まじい。黒光りする大剣と大斧が閃くたび、ゴブリンたちが次々と物言わぬ肉塊へ変わっていく。
私はただ、その光景を籠の中から観測していた。
討伐が終わると私はペットの「マクラ」と「フトン」にゴブリンの死骸を捕食させていた。 二人は最初こそぎょっとした表情を見せたが、やがて遠い目をして、視線を逸らした。
私は散らばった死骸を改めて観察する。
——やはり、違う。
踏み潰された死骸の腕を拾い上げると、ずしりと重い。 見た目よりも、明らかに。武器も同じだ。形は粗いが、刃の角度、柄の長さ、重心の位置。
私はマクラに伸びてもらい、高い木の上へと登った。 本来なら湿地帯にしか生息しないはずの『沼蜘蛛』特有の粘糸が、遠くの木々の間に不自然な幾何学模様を描いている。これは軍隊と同じ、これは「陣形」だ。
屍の山を背に談笑している二人へ、私は枝の上から声を落とした。
「おそらく、あと二つ、大きな拠点が構築されている」
その言葉に、ヴェルドとダースの表情がわずかに曇った。
「案内しよう。次は、糸を吐く連中の領域だ」
私は籠の中へとするりと収まると、ダースを見上げた。
魔蟲の巣、魔獣の巣を討ち果たし、なお進む先に上位種の気配が漂っていた。
ヴェルドは大剣を土に突き立て、小さく声を漏らす。
「なあ、ダース。あと一戦ってとこだよな?」
「考えるな。ただ動け」
ダースは額の大汗を拭いながら低く返す。
その瞬間、ひゅっと風を切る音が響く。
遠くから、スーが放った何かが二人の足元に突き刺さる。
二人は一瞬身を固くし、すぐに目をそらした。
「……見てやがる」 「発破かけやがった」
ダースは肩で息をしながら苦笑する。
再び、ひゅんと風を切る音。
今度はヴェルドの肩鎧のすぐ脇をかすった。
「……急げってことか?」
「……俺には調理の催促に聞こえる」
遠くで、また一つ、何かかが地を裂く。二人は疲労を抱えたまま武器を握り直し、迫る上位種の気配へと歩みを進めた。
黒光りの大剣と重厚な大斧が交錯し、振るうたびに大地が震える。スーが遠くからパチンコで魔物を狙い撃つ。その動きにつられて上位種たちが二人の方へと誘導されていく。
夕刻。
二人は肩で荒い息をつきながらも、どこか満ち足りた表情を浮かべていた。
「……最高だな」
ヴェルドが剣を下ろす。
「ギルドの討伐記録、更新だ」
ダースも、言葉少なに頷いた。
一日に三度の、二人による大規模討伐。
常識では、ありえないとされているらしい。
私は、知らなかった。
ただ、道中で見た二人の動き、呼吸、刃の走り方。
二人が命を削って掴み取った勝利は、
私には、無駄のない並びに見えた。
それを肯定することが、私なりの「信頼」だった。




