26 小話 再開の歌
「スー? これは……」 シスター長アンヌは、机に置かれた小さな袋をつまみ上げた。「お給金です」 さらりと答えたスーは、翻る裾を残して、疾風のように去ってしまった。
訝しみながら袋の口を解いたアンヌは、絶句した。 中で鈍い光を放っていたのは、金貨三枚。金貨二枚もあれば一家がひと月暮らせる額だ。
生涯を「奉仕」と「信仰」に捧げてきた彼女にとって、給与など聖典の中の寓話も同然だった。
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夕食の席。アンヌは何食わぬ顔でスープを口に運びながら、周囲の会話に全神経を集中させた。長年の子育てで培われた聴力は、どんな微かな囁きも逃さない。
「お給金で何買おうかな」
「まずは甘味よね、絶対」
――全員に配っている!?
片付けにかこつけて状況を探るアンヌの前に庇護院の青年が現れた。
「……お給金は、いただきましたか?」
「シスターアンヌからいただけるなんて、一生の宝です!」 青年は笑顔を残すと、颯爽と去っていった。 聖職者として生きてきた彼女は、初めて手にした「対価」の扱いに、混乱していた。
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アンヌは、珍しく胸を高鳴らせていた。初めて手にした「お給金」を、孤児たちの服に変える。その目的に高揚していた。
しかし、いざ古着屋の前に立つと、足が止まった。 ――ええと、こういう時、まず何を言えばいいの?
アンヌは決死の形相で店内に突入した。その姿は、魔物の巣へ単身乗り込む聖騎士さながらである。
古着屋の主人は、彼女の顔を見て直感した。 (……教会の予算が底を突いたのか?) 主人は山盛りの服を勧め、布の切れ端から靴下までを「おまけです!」と差し出した。
両腕いっぱいの荷物を抱え、ふらつきながら教会へ戻った。そこへ、スーがひょっこり現れる。
「アンヌ、それは?」 「こ、孤児たちの服を……! わたくし、自分のお給金で買ってきたのです!」
誇らしげなアンヌに、スーはさらりと言った。
「それ、経費ですね」
瞬きする間に、先ほど支払ったはずの金貨が、ひょいと手の中に戻されていた。視線を上げたときには、すでにスーの姿はなかった。
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今日は礼拝の日。 シスター長アンヌは、朝から目の回るような忙しさの中にいた。sそれでも、いつも以上に熱を込めて礼拝を導き、女神の言葉を代弁する。
「お金には、善き側面があるのだと。それは、届けたい相手へ、祈りや慈しみを託して届けるための器なのです」
簡潔な説法を終えると、淀みない流れで讃美歌へと繋ぐ。アンヌはレンを呼び寄せ、その後の進行を託した。
彼女が向かったのは懺悔室だった。
「……失礼、女神に告げねばならぬことがありまして」 信者たちは快く道を譲ってくれた。扉に手をかけ、アンヌは神話の一節を小さく呟く。 ――女神とて、火急には嘘を吐く。
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糸電話から微かな声が響いた。
――これ、スーの声よね?
慎重に発声を変えているようだが、アンヌの耳は誤魔化せない。 「罠と知りても、女神は微笑む」 また一節、神話の言葉を唇に乗せる。
アンヌは糸電話を握りしめ、普段より細く、高い声を作った。
「……わたくしは、分不相応な大金を手にしました。けれどその重みが恐ろしく、使い道を考えては眠れぬ夜を過ごしております」
心身をすり減らした中年の女性を想像したスーは女神を装い、慈愛に満ちた声色で応じた。
「……続けなさい」
「貧しき折には、救いも祈りも届かぬと、女神を恨んだことさえありました。これは祝福でしょうか、それとも誘惑なのでしょうか」
「……あなたは何を悟りましたか?」
「かつて、お金さえあれば救えたはずの命があった。女神は、無一文だったわたくしに、その痛みを学び直せと仰っているようです」
「ならば問いましょう。その力、己のために使うのか。それとも、誰かを照らすために使うのか」
「それを決めるために、ここへ参りました」
――チャリン。
澄んだ金属音と共に、アンヌは豚の貯金箱へ、迷いなく金貨を滑り込ませた。
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スーの門出を祝う宴の日。アンヌは女神に祈りを捧げ、気づけば影が長く伸びていた。――いけません。彼女が慌てて食堂の扉を押し開けた。
その瞬間だった。
眩い光の飛沫と、弾けるような音。 「おめでとう!」 色とりどりの魔法の粒子が、呆然と立ち尽くすアンヌの肩に降り注ぐ。
「え……?」 リンをはじめ、シスターや孤児たちが満面の笑みで彼女を囲んでいた。
「シスターアンヌ! お誕生日おめでとうございます!」 「えっ……わ、わたくし……?」
困惑するアンヌは、子供たちに手を引かれるまま「主役の席」へと座らされた。リンが誇らしげに胸を張る。 「今日はスーの送別会じゃなくて、シスターへのサプライズパーティーなんです!」
「まあ……そんな……」 アンヌは赤らめた頬を両手で覆った。だが、驚きはそれだけでは終わらない。 「そして、もうひとつプレゼントがあります!」
リンの合図で、再び扉が開いた。「ただいま戻りました、シスター!」 「お元気でしたか!」
そこにいたのは、孤児院を巣立っていった子供たちだった。「みんな……っ!」
懐かしい面影を見つけ、アンヌは弾かれたように立ち上がる。名前を呼んでは一人ひとりを固く抱きしめた。 「まあ、まあ……! こんなに立派になって。女神様、ありがとうございます……!」
青年たちは照れくさそうに、けれど力強く答える。 「心配しすぎです! 俺、今は一人前の鍛冶屋なんです」 「私は自分の畑を任されるようになったんですよ」
次々と差し出される、彼らの「今」が詰まった贈り物。 荒削りな木彫り、土の香りがする野菜、柔らかな手編みのスカーフ、そして命懸けで手に入れたであろう小さな宝石。受け取るたび、その重みがアンヌの胸を満たしていく。
賑やかな笑い声が食堂に満ちる中、子供たちが一斉に立ち上がった。 「シスターへの、感謝の歌です」
最初は小さな歌声だった。けれど、卒業生たちも加わり、それはやがて百人を超える清らかな大合唱となって、教会の天井を震わせた。
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再会の歌
子どもたちを抱きしめ
苦しみの中でも希望を育てた母よ
あなたの手に導かれ、私たちはここまで来た
幼き日々、泣きながら学んだ友情と勇気
今、大人となり、再びあなたのもとへ帰る
喜びの声をあげ、手を取り合い
共に過ごした日々を思い出す
あなたが注いだ愛が、私たちの心を光で満たす
ああ、友よ、母よ、
ここに立つ私たちは、あなたの愛の証
アンヌは胸に手を当て、溢れる涙も拭わずに立ち尽くしていた。 ――こんな幸せが、あってもいいのでしょうか。
歌が終わり、拍手と歓声が響く中、スーがそっとアンヌの隣に腰を下ろした。
「シスターアンヌ、驚きましたか?」
「ええ……心臓が止まるかと思いましたよ」
アンヌは笑いながら涙を拭った。
「でも……どうして、こんな大勢を……?」
「各ギルドにお願いしたんです。シスターの誕生日を祝うため、至急集結せよと」
アンヌはしばし言葉を失い、やがてぽつりとつぶやいた。「……私は祈ることしかできなかったのに」
「祈りは力になります。シスターアンヌが毎日祈ってくれていると知っているから、みんな頑張れるのです」
アンヌはスーの手を握った。「ありがとう、スー。あなたが来てから、本当に世界が変わりました」
窓の外では、一番星が静かに瞬き始めている。アンヌは止まない子供たちの笑い声に包まれながら、その夜をいつまでも過ごした。




