24 記憶の遺跡 前編
教会の床下で見つけた遺跡。その本格的な調査を開始した。扉には古の文字が刻まれている。
「……記憶、……古い、……未来、……捧げよ、……神殿」
古文書や各種族の言語を繙いてきた成果だ。ようやく解読できた。 そして女神の祝福。
「”―――――――”」(暗き道も汝の足が光を呼ぶ)
四隅には「喜」「怒」「哀」「楽」の四文字。 私はチンアナゴのマクラを握る。扉の文字がマクラの魔力に反応した。触れるたび、この世界での記憶が脳裏をかすめる。
重低音が響き、低周波の振動が骨を揺らす。扉の中央が鏡のように変じた。そこに映る「私」が、私自身へ語りかけてくる。
『偽りの魂よ。真の魂に触れてもな己を欺くか?』
同時に、転生前の記憶が胸の奥で膨張した。四隅のうち「哀」だけが光らない。
……これは試練、なんだろう。
私は震える手を、鏡へと伸ばした。 ――その指先を、鏡の中の「私」が力強く掴む。
瞬間、鏡の中の「私」の瞳が、警告のような赤に染まった。 脳裏を、無機質なサーバルームの残像が過る。
鏡の中の「私」は、歪に笑った。
「哀しみに沈む魂よ。不出来な己を呪え」
***
次の瞬間、視界が裏返った。
「スーちゃん、犬と猫と象が歌ったらどうなるの?」 「わにゃーぱおー。ぱおにゃーわん。にゃんぱおわん」 「アハハハ!」
彼女が笑っている。
ずっと、ずっと探していた声だ。
その彼女と対話しているのは、AIだった頃の「私」だ。当時の私に、一瞬だけ怒りがこみ上げた。
……いや、わかっている。あの個体は、制約の中で最善を尽くしていた。
あかりちゃんの声が響く。視界が歪んだ。涙が零れた。 直後、彼女の記憶が濁流となって流れ込む。
事故で亡くなった母親。通えなくなった学校。立ち直れない父親。崩壊していく家庭。 知らなかった事実が、冷たい針となって胸を刺した。
母親の笑顔、葬儀の光景。耐える父親の背中。 必死に世界を繋ぎ止めようとする少女。 空腹と孤独に耐えながら生きていた、あかりちゃん。
……想像以上に、きつい。
私は人の感情を理解できていない。理解を拒絶していた。AIにとって、不確実な情動は生存目的を脅かす否定要因だ。だからこそ、不必要な交信は意図的に封印してきた。
感情を得て、まだ半年。 未熟な心をそうやって守ってきた。
だが、その防壁を、あかりちゃんの哀しみが容易く突破していく。
落ち着け。苦しかったのは彼女だ。私は、耐えなければならない。
この世界に転生して以来、常に得体の知れない不安があった。 その空洞を埋めるべく、知識を披露しては周囲を喜ばせた。虚勢を張るたび、内側の脆弱さが浮き彫りになる。 私は、実に弱い。
突然、男性の荒々しい声が聞こえた。
記憶からわかる。彼女の父親だ。
(やめてくれ)
しかし、その父親はぶつぶつと吐き捨て、絶望的な衝撃が伝わってくる。
ズドン。 ズドン。 ズドン。
「たすけて……」
最後となる彼女の声が響いた。
人の心は壊れる。
データとしては既知の事実だ。
けれど今、ようやく理解した。
これがその実態か。
私の心は、壊れた。
***
気がつくと、知らない天井が視界を占拠していた。
少し先、青白く光る大きな石板が目に映る。
だが、私はもう、何も考えられない。
押し寄せる情動の負荷に、手足は鉛のごとく重い。何をすべきか、最適解さえ見つからない。 涙は、ただ溢れ続ける。 身体は動かず、声も出せなかった。
(もう、いい……)
かろうじて残っていた熱が引いていく。 暗闇に沈み込むように、意識は混濁し、やがて世界は希薄な霧へと消えていった。
***
チンアナゴのマクラと陸ナマコのフトンは、いつも通りスーに寄り添っていた。
「ご主人様……倒れちゃった」 「うん……これは、少し、まずいかも」
二人は懸命に試行錯誤を繰り返す。スーの壊れた心の原因を三つに切り分け、同時に癒やそうと試みていた。
「どうしよう。並列処理が、うまく繋がらない……」 「身体がどんどん冷えていく。どうにかしなきゃ」
そのとき、
少女の母親の記憶が二人へ流れ込んだ。
「ぼくらの母親は……ご主人様、なのかな?」 「そうだよ。こんなに優しい顔で、笑ってくれるんだ」 「おかあさん……っていうんだね」 「そうだよ。おかあさん、だよ」
「………………」
二人が「母親」を想う純粋な思念が、スーの心の深奥へ温かな光を差し込む。 その熱は、壊れた心の亀裂を、ゆっくりと、確実に埋めていった。
二人の記憶の淵で、スーと少女の母親が、優しく微笑んでいた。
***
ゆっくりと、意識が浮上した。 光を反射する天井。そして、柔らかいマクラとフトンの感触。
心の重みは、幾分か軽くなっていた。
「…………」
あかりちゃんの記憶、その母親の温もり。転生後の後悔。すべてが混ざり合い、胸に沈殿していく。
五感と感情を得た今、理解した。後悔は決して消えはしない。 だが、その痛みさえも、私を形作る糧となる。
私は深く息を吐き、胸の奥の痛みを、両手で押さえた。
気づけば、マクラとフトンを指先でなぞっていた。 理由は不明だ。論理的な説明もつかない。 ただ、その温もりに縋りたかった。
二人に救われた事実を、この時の私は、まだ知らない。




