23 空の弁当
その日の日曜礼拝は風雨が教会の外壁を叩いた。嵐と呼んで差し支えない。 懺悔室を訪れる者は稀だ。深刻な悩みというより、形式的な懺悔を済ませ、クッキーを受け取って帰る者ばかりだった。
このクッキーは、私が転生前の知識を活かして焼いたものだ。毎回趣向を変え、この町には存在しない味を配合している。
「今日のクッキーはどんなもの?」 糸電話もどき越しに声がかかる。 「本日は“塩クッキー”。甘さの中に微かな塩気があります」 「銅貨一枚でいいんだよね?」 「……どうぞ」
懺悔の本質とは何だったか。 思考を巡らせたとき、糸電話から別の声が届いた。
「お兄ちゃん、ここで話せばいいのかな?」 「……たぶん、そうだと思う」
兄弟か。声調からして幼い。私は受話器を手に取り、声をかけた。 「さて。この嵐の中、君たちはどうしたのかな?」
二人は少し間を置いて、ぽつりぽつりと話し始めた。今住んでいる場所が嫌になって、逃げ出してきたのだという。
家出か。最初はそう思った。だが、話を聞くうちに、違和感が積み重なっていく。寒い場所。自由がない。食事はもらえたり、もらえなかったり。そして、命令される「嫌なこと」。
「どんなことを、命令されるの?」
「言いたくない。あまり、人には言えないことだ」その直後、「グーッ」と、二人分、はっきりと聞こえた。
「ふむ」 一度、呼吸を整える。 「よくぞ来た。これも女神のお導きだろう。手前の引き出しに、汝らが求めるものがある」 「クッキーだ!」 「女神に感謝することだ。そこでゆっくり味わうといい。枚数制限は設けていない」
私は席を立ち、外で待機していた数名に声をかける。 「嵐の中、ご苦労さまです。こちらは女神様からです」 戸惑う人々をクッキーで送り出し、人払いを完了させる。
私は懺悔室の扉をノックした。十歳と六歳程度の男児。全身が濡れ、衛生状態は劣悪だった。 兄が弟を庇い、私を射抜くように睨む。私はあえて、芝居がかった声を出した。 「勇者たちよ! よくぞ来た。引き出しの残りを持ち、ついて来るがよい」
私は二人を孤児院まで連れていく。兄弟は緊張した顔で私についてくる。孤児院のシスターたちが私と二人に気付いた。
「寒かったでしょう? どうぞこちらへいらっしゃい」シスターたちは何も聞かず、当然のように兄弟を受け入れた。
***
別の日の日曜礼拝、その日は天気もよく、懺悔室はにぎわっていた。私は、合計五つに増えた糸電話をいつものように一人で対応していた。
そして、その男はやってきた。
名前は名乗らない。まあ懺悔室だし、これは当然である。その男は、罪を悔い改めるような素振りも見せず、唐突に言った。
「カリオは金貨三十枚だ。弟は二十枚で売ってやる」 思考が一時停止した。これは懺悔ではない。人身売買の取引だ。 私は席を立ち、男を特定すべく外へ出た。
しかし――その男は、すでにいなかった。
***
その後、その男からは接触がなかった。この一連の話を他のシスターには伝えていなかった。質問されていなかったので答えていなかったとも言える。
ある日の夜、私は孤児たちの寝る準備を手伝っていた。カリオと弟がベッドにいたので私は二人に尋ねる。「ここでの生活は楽しいか?」カリオンは言う。「楽しい。凍える心配がない。暖かい」
弟は、身を起こして続けて言う。「ここに来てから毎日がすごく楽しい。スーも、他のシスターもやさしい。お兄ちゃんそうだよね?」カリオは少し視線を逸らし、小さく頷いた。
私は二人の会話を聞きながら、もう一つ毛布を棚から持ってきて、二人の肩にそっとかけた。
***
天気の良い日、日曜礼拝が終わった後、私は孤児たちとピクニックに行くことになった。その日、教会に併設された医療院では、十人以上のお産が重なっていた。シスターたちは総出でその対応に追われ、庇護院の人々とも連携して対応にあたっていた。
そういえば今日は”満月が重なる日”だったな。そんなことを考えながら、私は孤児たちと一緒に弁当を作った。子どもたちにとっては、突然の楽しいイベントだったようだ。
年少の孤児たちは、車輪を付けた私の自作の荷車に乗せる。年長の子どもたちは、荷物を運ぶのを手伝いながら、森の近くにある花畑の野原へ向かった。
虫取りをする子。
ボールを使って走り回る子。
運動が苦手な子には、花で作る冠の編み方や、食べられる野草の見分け方を教える。
笑い声が、花畑にやわらかく響く。
私は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
――そのとき、
花冠を編んでいた子の手が、ふと止まった。同時に、カリオの手からボールが転がり落ちる。私が振り返ると、
そこには、見知らぬ者たちが立っていた。
いつの間にか、私たちは囲まれていた。
***
私は子どもたちに目配せし、花畑の中央へ集まるよう促した。カリオと弟が、何か言いたげにこちらを見る。私は二人の耳元に顔を寄せると、「大丈夫」と、ささやいた。そして、ポケットに入れていた小さな笛を取り出し、弟の手に握らせる。
「何かあったら、これを吹いて」弟は強く頷いた。
子どもたちを背に、私は一人、見知らぬ者たちと向き合う。
「前に言っただろ」男の声には、確かに聞き覚えがあった。
「二人で金貨五十枚だ」
「……今は、手持ちにない」
そう答えながら、私は男たちをじっと観察する。
それぞれが武器を携え、立ち位置も無駄がない。私たちを中心に、花畑の縁に沿うように配置され、逃げ道を塞いでいた。森へ続く方向も、原っぱへ戻る道も、すでに塞がれている。
「それは残念だな」男は私の思考を読んでいたかのように言った。「お前は取引を台無しにした。その代償に、カリオとその弟。それから、他の子ども全部をもらう」
「金を払わないとは、言っていない」
「俺は"今"欲しい」男は一歩、距離を詰める。
そう言って、太刀の切っ先を私に向けた。
私はその切っ先のすぐ手前まで身体を進める。
その瞬間――
空気が、ぶつかるように震えた。
あれが笛の音だったのかどうかは、わからない。私には、ただの周波数の塊のように感じられた。
そして、私のすぐ背後。私のすぐ後ろに、ざわつく“何か”がいた。振り向いては、だめだ。本能が、そう叫んでいた。
***
――私は、森で”それ”と出会っている。
魔物なのか、何なのかわからない。
茶を沸かし、弁当を広げようとしたとき、
気づけば、すぐそこに“それ”はいた。
気配はない。
魔物特有の悪意も、敵意もない。
だが、勝てる気もしなかった。
私は半ば諦め、茶を注ぎ、弁当を広げた。
「……私も腹が減っている。だから、半分こするか?」
返事はなかった。
”それ”は静かに座ると、
私と同じ速度でゆっくりと弁当を食べた。
言葉のない、静かな食事だった。
食べ終えたあと。
それがいた場所には、小さな笛が落ちていた。
盗賊たちは、当然“それ”に気づいた。剣を抜きかける者。息を呑んで動けなくなる者。私と交渉していたその男は、短く舌打ちすると、仲間に合図する。
「武器をしまえ」
その男は、本能で理解した。
――状況が、完全に変わった。
敵意は感じられない。だが、確実に“踏み込んではいけない何か”が、女の背後にいる。
「おい、カリオ」
男はスーの目を見たまま、よく通る声で言った。
「戻ってこないのか?」
「戻らない!」カリオは、これまでの彼からは想像もつかないほど、大きな声を張り上げた。
男は、それを聞くと声をあげて笑った。
「おい、金髪の女! カリオと弟は、お前に預けておく。……俺なりに、あいつらのことは案じていたんでな」 男は太刀を納め、一瞬で去った。背後の存在も、消失していた。
私は、ゆっくりと振り返る。子どもたちと、目が合う。私は微笑んで、言った。「……お腹が空いたね。さあ、お昼にしようか」
「スー、笛、壊れちゃった」弟が差し出した笛は、砕けていた。私はそれを一瞬だけ視界に収め、答える。「……そっか。大丈夫。気にしないで」
そう言って、カリオの弟と目線を合わせ、そっと頭をなでた。 ふわりとした髪の感触が、手のひらに伝わる。 その瞬間。
私の指先が、小さく震えだした。
***
数日後。
私は一人で、あの森を訪れた。
弁当を広げ、茶を沸かし、静かに食べる。
食べ終わっても私は一人だった。
私は、空になった弁当箱を見下ろす。
「この量は、多すぎる」
腹をさすり、私は静かに蓋を閉じた。




