14 伝説の戦い
翌朝。
パオは気配に気づいて目を覚まし、スーを揺り起こした。
「スー、よく聞いてくれ。これから戦いが起こるはずだ」
声は低く、しかし真剣だった。
「この戦いは激しいものになる。私は旅をしながら“主狩り”をしている。主とは縄張りを持つ魔物だ。主がいると周囲の魔物があふれ出すことがある。それを止めるのが私の本来の生業だ」
パオはスーの目を見据えて言う。
「見たいというなら止めはしない。だが、怖いと思うなら逃げてもかまわない」
――少しの沈黙
「どうする?」
私は考えた。これまでの遠征の足取りを思い返す。
地図と照らし合わせればパオは何かを追っていた。
素材収集の裏に、もう一つの目的があったのだと私は理解した。
「パオ。私はその戦いを見てみたい。
ただし、パオが安全だと思う距離からだ。
何が起ころうと、責任は自分にある」
パオは鼻から短く息を吐き、私の目を見返した。
「……まあ大丈夫だろう。奴は、向かってくる者しか興味がない」
そしてしっかりと口にした。
「レオガルム。それが私の追う獲物だ」
炎冠獣レオガルム。
燃え盛るたてがみを持つ獣王。黄金の毛並みは炎をまとい、その咆哮ひとつで大地を燃え上がらせる。その炎は肉を焼くだけではない。精神すら、魔力すら、その身体を支える魂さえも燃やし尽くす。
パオは私に結界魔法を施すと、少し離れた小高い場所へ行くよう命じた。
***
五十メートルほど離れたところでパオは吠えた。
己の存在を誇示する、魂の雄叫びだ。
「パォォォォォォーーン!」
「ドォォォォン!」
突然だった。
隕石のように空から、レオガルムが現れた。着地の衝撃で大地が大きくえぐれ、すべてが炎となる。それは普通の火ではなかった。溶けた溶岩のように粘り気があり、瞬時に周囲のあらゆるものを灰へと変えていく。
炎と灰の匂いが鼻腔を突く。視界の端まで揺らぐ熱気の中、スーは必死に脳を回転させる。脳が、視界が、すべての情報を吸収しているはずなのに何も見えない。スーは「見えているはずだ」と心の中で繰り返し、全神経をこの戦場に接続した。
レオガルムの太陽のように燃えるそのたてがみは、まるで世界そのものを焼き尽くす力を宿しているようだった。巨大なレオガルムの咆哮は大地を揺らすと炎が生まれ強大な火の粉の竜巻がパオを襲う。
しかし、パオは微動だにせず、地面に足を踏みしめる。鼻を巻き上げ、両腕に力を溜め、耳を広げ、尻尾を揺らしながら、彼女の剛勇極まるタイミングで距離を詰めた。
身体が消し炭になろうが、レオガルムの剛腕にえぐられても、パオの体は瞬時に反応する。”超回復”、焼けただれた皮膚が再生し、筋肉はさらに引き締まる。
戦いの最中、視界の片隅にスーをとらえた。
スーはしっかりと目を開け、私の戦いを見つめていた。
いくら離れていると言っても、これだけの熱だ。爆風が岩を砕き散らし、衝撃で身体を揺らしても、スーは地面に杖を突き刺し固定して立っていた。結界魔法で守っているとはいえ、普通なら立つことを放棄するだろう。
……まったくもって、負けられないね。スーが見ているんだ。
パオは、黒焦げとなり削れた身体でも笑みを浮かべた。レオガルムの炎はパオの身体と同時に魂までも焼き尽くす。
レオガルムの剛腕で振るう炎と衝撃は、パオの白い身体をさらに黒焦げに焦がし、一瞬で砕くはずだった。しかし、スーの姿を思い出すたび、パオの奥でさらに力が湧き上がる。象人の誇りが何度でも黒焦げの身体を蘇らせる。
「レオガルム! おまえの炎にも、力にも、速さにも、それを真正面から受け止める相手に出会ったことはあるまい」
パオは拳に、腕に、鼻に、牙に、全ての力を込め、再び炎と衝撃の中へ踏み込んだ。
そして、決定の瞬間。
パオの収束された力が一気に爆発し、たてがみを掴んだ。レオガルムは猛り狂ったが、鼻と牙、そして両腕と尻尾による力に、抗う術はない。レオガルムの巨躯は地面との間で跳ね、逃げ場のない衝撃にその身体は圧縮される。この場を支配した強者は重力をも支配し、巨躯を宙に繋ぎ止めたまま、肉塊へと変えていった。そして、パオはさらに力を込めると、炎の王のたてがみを引き剥がした。
炎の王の象徴のたてがみは地に落ちた。
燃え盛る太陽のように揺らめいている。
レオガルムの目の光が消えていく。雄叫びはもはや怒りではなく、敗北という沈黙に変わる。たてがみを失ったレオガルムはその場で倒れた。
炎が地面を這い、煙が空を覆う中、パオは振り返り、スーを見つめると小さく頷いた。スーは急いでパオの元に向かった。彼女の心にはまだ熱と衝撃が今なおも響く。”伝説の戦い”彼女はその中から出ることができなかった。目の前で起きた凄絶な戦闘を、頭の中で何度も反芻した。
パオはゆっくりと鼻先を地面に下ろし、深く、息を吐いた。戦いの熱はまだ彼女の身体を焼いているようだ。だが、その表情には安堵が混ざっていた。パオとスーはお互い近づいていく。
スーは自分の中で何かが震えるのを感じていた。言葉にならない感嘆が口をついて出る。鍛錬と意志の結晶としての強さ。身体の限界を超えても、なお立ち上がる生命力。
「……スー、怖くないのか?」
パオは思わず口に出す。しかし、スーは笑った。
「あんな美しいものを、怖がってどうするんだ」
その瞬間、パオの中で何かがほどける。戦士としての誇りも、過去の後悔も、薄れていく。それを感じるだけで、彼女は心の奥底に長く閉ざしていた希望を取り戻すことができた。
二人は言葉少なに、ただ並んで歩き出した。戦場の跡はまだ熱を帯び、焦げた大地の匂いが立ち上る。
パオはふと昔の仲間の面影を思い出した。彼女はその死を悔い、力を求めて鍛錬を重ね、彼女が求める”戦士”となった。
隣にいるスーの匂いは、どこか自分と似ていながらも、新しい生命のように瑞々しかった。彼女を見つめた瞬間、それが誰の匂いなのかさえわからなくなる。ただ胸の奥が静かに温かくなり、重く閉ざされていたものがほどけていくのを感じた。
過去は、もう痛みではない。
それは力に変わっている。
風が再び息を取り戻し、パオの頬を撫でた。 その中に、懐かしい匂いと、仲間たちの笑い声が混じっていた気がした。




