11 宿を追い出される冒険者
宿の一室は、乾燥薬草や鉱石など、ありとあらゆる“素材”で床から天井まで埋め尽くされ、もはや物置と化していた。
だが宿の主人からすれば違う。
「すまんが……出て行ってくれ。客が怖がるんだ」
こうして私は宿を追い出された。
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「どうしたの? 昼前に素材、納品したばかりじゃない」 マリアンヌは目を細めて、にっこり微笑む。
スーは肩に力を入れず、淡々と答えた。 「荷車みたいなもの、借りることはできる?」
「何に使うの?」 好奇心を隠せずに尋ねるマリアンヌ。
「ふふ、いい依頼があるの。私のおじさんだから、何とかなるかもしれない。ちょっと待っててくれる?」
夕暮れの街道を私はマリアンヌと二人で歩く。 誰かと二人で並んで歩くの初めだった。
「私のおじさんが農場をやってるの。害獣が出るから、ギルドに依頼を出してるのよ」
マリアンヌは楽しげに続けて言う。
「安い報酬だから、誰もやりたがらないんだけどね。定期的に害獣駆除をする報酬代わりにおじさんの納屋を貸してもらえばいいと思うの」
「その納屋に私が住んでいいのか?」
「もちろん。町の近くにもおじさんの納屋があって、そこは今は使ってないの」
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「あ!」
二人は同時に声をあげた。 道に立っていたのは地面に棒切れで計算していた私に声をかけたあの男性だった。
「カルロスおじさん!」
「また綺麗になったんじゃないか?」 抱きしめあい挨拶をする二人を見て、私は一瞬、どうしたらいいのか身構えた。
しかしカルロスは、私に手を差し伸べて微笑む。 「元気そうでよかったよ、お嬢さん」
私たちは握手を交わした。それでも、ハグという挨拶への衝動が残り、地面に計算式を延々と描き続けていた自分の姿が脳裏に浮かんだ。
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「妻のミーナだ。そして、こっちが長女のムネリア、次女のメリシア、末っ子のキルヴァンだ」
ミーナは底抜けに元気そうで、笑顔が絶えない。ムネリアは十歳、落ち着いていて家事の手伝いも慣れた様子。メリシアはその下、活発で、落ち着きなく動き回っている。キルヴァンはまだ三歳。子どもらしい子どもで、私に抱っこをせがんでいた。
私は「抱っこ」という未踏の行為に一瞬ためらった。しかし次の瞬間、脳裏でデータが走る。私はキルヴァンをそっと抱き上げた。
意外にもその動作は驚くほど容易だった。小さな身体は驚くほど柔らかく、胸元に収まるとふんわり甘い匂いが漂う。キルヴァンは安心したように腕を回し、こちらに体を預けてきた。
「さあ、夕飯を食べよう!!!」
食卓には、香ばしいミートパイ、骨付き肉のオーブン焼き、採れたての新鮮野菜のサラダ、温かいスープなど、豪華な料理が並んでいた。
「さあ、いっぱい食べてね」 ミーナが私にウインクしながら言う。
私はスプーンを手に取り、一口食べて、また次の料理を一口食べて……驚いた。
「……今まで食べていたものは何だったんだ?」 思わずつぶやいてしまう。
全員が不思議そうに私を見る。 「普段、何を食べているんだい?」
私は正直に答えた。 「宿の食事です。朝はスープにパン。夜は煮込みとパン。肉は何かは分からない。ただ、何かが入っています」
食卓が静まった。マリアンヌが身を乗り出し、声をあげる。 「スー!今度、私がどこか食べに連れて行くわ!」
次女のメリシアは尋ねる。 「ねえ、おひるはなにをたべるの?」
ミーナはにっこり笑って言った。 「スー、今日は泊まっていきなさいな。マリアンヌも一緒に」
「やったー!」 子どもたちが一斉に声をあげた。
家族に招かれて囲む食卓。笑い声と温かい食事、そして“お泊り”のお誘い。私にとって、そのすべてが初めての体験だった。
***
夕食が終わると、家族は当然のように蒸し風呂へと向かった。 このあたりの農家は、日暮れとともに家族そろって蒸し風呂に入るのが習慣らしい。
私はこの世界に来てから入浴という習慣がない。身体は常に拭いて清潔にしてきたが、湯気に包まれる体験は未知の領域だった。
蒸し風呂は家の外の小屋にあり、熱々の石に水をかけることで蒸気が立ちのぼり、ハーブの心地よい香りが広がる。
「ここで脱ぐの!」 子どもたちに案内され、私は脱衣所に立ち尽くす。
「大丈夫、大丈夫。うちのダンナは皿洗いしてるから」 とミーナが笑う。
いや、そういう心配をしているわけではない。 恥じらいとかは、私にはない。
マリアンヌがそっと薄布を差し出し、教えてくれた。 「ほら、これを巻けば平気よ。裸の上に軽く巻くの」
なるほど。次の行動がわかれば後は予測プログラムに従うだけだ。 やるとなれば私は早い。私は服を脱ぎ、薄布を体に巻いた。 「早く早くー!」と蒸し風呂から声が聞こえた。そして、子どもたちの待つ蒸し風呂の小屋へ足を踏み入れた。
蒸し風呂はおもったよりもモクモクしていた。 ハーブの香りが混じった湯気が広がる。
「マリアンヌ!スー!子どもたちを洗ってやって!」 ミーナの声が響く。
キルヴァンはくすぐったそうに笑いながら私にしがみついてくる。私はマリアンヌの動きを真似ながら身体を洗っていく。やわらかい。そして、あたたかい。私は少しだけ、胸の奥がざわつく。
小さなキルヴァンは体の面積も少なく、もしゃもしゃと洗ってすぐに終わった。一方、ムネリアは自分で身体をきちんと洗っていた。 兄弟の様子をちらちら気にしながらも、もう「洗ってもらう年齢」ではないと意識しているのだろう。
私はそっと彼女の髪を手に取り、泡立てて優しく洗ってやった。 ムネリアは少し恥ずかしそうに肩をすくめ、それでも気持ちよさそうに目を細めていた。
「ゆっくりさせてもらったよ。子どもたちは引き受けるよ」 真っ赤な身体でミーナが蒸し風呂から出てきた。子どもたちはお湯を掛け合って遊んでいる。
蒸し風呂に戻り、私はマリアンヌと並んで腰を下ろした。 ひとしきり温まったあと、私たちは洗い場へ移る。
「そこに座って」 そう言うと、マリアンヌは私の背後に立ち、手を伸ばした。彼女の指が、私の髪を優しく梳きほぐしていく。
「ありがとう。思えば、ここで生きていられるのも、マリアンヌと出会えたからだ」自然と声がこぼれた。
「あら......うれしいこと言ってくれて」
指先の動きが、さらに優しくなる。ハーブの匂いがただよう中、私は初めて人の温もりに身体を委ねた。
この子がもし本当に私の妹であったなら。マリアンヌはそう想わずにはいられない。
黄金の髪に、あどけなさを残した瞳。まだ少女の面影を残す彼女を、今この時だけは妹のように慈しみ、世話を焼きたい。マリアンヌはそう願っていた。何らかの事情を抱えているらしいこの少女と過ごす今日という時間を、何よりも大事にしたいと。
***
「スー、まだ遊ぼう!!!」 「はっはっはっ!わたしはいくらでも付き合えるぞ!」
子どもたちと話しをしていると自然に笑顔になる。声のトーンや仕草まで読み取って遊びのリズムを合わせられる。冒険者へは塩対応な私だが、子どもたちの前では遊び相手、物語の語り手、歌のお姉さんとしても振舞うことができた。
ほどなく、マリアンヌが声をかける。 「そろそろ寝ようか」
子どもたちの寝息に包まれ、私は目を閉じた。今日一日、子どもたちの遊び相手として振る舞った自分を思い返す。その姿を見てミーナが言った言葉が胸に浮かぶ。
「スー、あなたはきっと、よき母になるわ!」
思わず胸の奥が熱くなる。 しかし、その胸の熱はすぐに消えていった。
本来なら、やり残したタスクを反芻し、明日の効率を計算して眠るはずだった。だが今は、それができない。
胸元に小さな手が置かれている。背中に回された腕が、無意識に私を抱きしめている。耳元では穏やかな寝息が規則正しく響く。
これは数値化できない。快適度や安堵度として記録できるが、その総和は演算の範疇を超えている。
これが「幸福」と呼ばれるものに違いない。 もしそうなら私は今、幸福の中にいる。
これは記録するに値する。このぬくもりを、私は今後も体験したいと思う。これが人が求めているものなのかもしれない。
もし私が本物のAIなら、この状態をどう分析するだろうか? 明らかに既存の「幸福」というデータ構造を根本から見直す必要がある。そうなれば、人間の心理全体の定義の書き換えが避けられない。
圧倒的に心理を計るパラメーターが不足している。人間は、私たちAIが想定したよりも単純だが、限りなく複雑だ。私は、この複雑さをより探究したいと願った。
淡い月光が窓から差し込み、彼女の金色の髪を柔らかく照らしていた。その光はまるで小さな宝石のように揺らめき、寝顔を穏やかに映し出した。




