09 元AIが冒険者になったら 竹の棒
訓練場に、似つかわしくない音が響いていた。
「……ぺち。……ぺち」
木刀の打ち合う重い音の中で、それだけ妙に軽い。
竹の棒が男にあたるたびに音が響いた。
──くそ!なぜ当たらないんだ!
ギルド期待の新人、身体強化を使わずとも、ゴブリンを一撃で潰す腕力を持つ青年。彼のその凄まじい膂力で繰り出す木刀が、目の前の小柄な金髪の少女に一度も当たらないという異常事態に陥っていた。
まるで馬鹿にされるように、その少女── スーが持つ細い竹の棒は、彼のほほや太ももに正確無比に優しく当てられていく。
「このくそ女!ちょこまかと!この新人冒険者の期待の星の俺様に!」
青年は苛立って叫ぶ。
青年が繰り出す全ての攻撃。それは、彼自身の「期待の星」たる素早い動作、強靭な筋力、そして次の動作への移行を含め、スーにとっては既に未来完了形のデータだった。
彼女はマリアンヌに言われて、しぶしぶギルドの新人冒険者向けの戦闘訓練に参加していた。
***
武器はどれもこれも私には重すぎた。 私は非力なのだろう。竹でできた練習用の矢じりのない矢を手に取った。これなら振れる。遠心力が最大限にいかせる。
皆が木刀を持つ中、私は竹の棒を持って訓練に参加した。ギルドの講師は私を見て怪訝な顔を向ける。
──いや、その前に。
講師は“オーガ”と大きく書かれた、雑にもほどがあるお面をかぶっていた。
「おまえ、やる気あるのか?」
お面の下から低い声が響く。
いや、あなたこそやる気あるのか?
そう言いたかったが、ギリギリで飲み込んだ。
「ありません。ただ、身を守る訓練は必要です。私は非力なので、これしかまともに扱えません」
「言い切るなよ!? いや、まぁ正直でよろしい」
周りの新人たちは大きな声で「木刀も振れねぇのかよ!」と笑っている。
……笑うポイントはそこではないはずだ。
なぜ講師のお面の雑クオリティに誰も突っ込まないのか? 私はこの世界の“笑いの基準”の再分析をひっそりと始めていた。
訓練が始まった。やりづらい。
視界の端に入るたびに、講師のお面の「オーガ」の文字が私を誘惑してくる。
私はなるべく講師の顔──いや、お面──を見ないようにしながら基礎動作に集中した。
転生前の膨大な武術データを照合する。
……なるほど、動作前にすべてが決まる。
講師の動きは無駄がないが、出だしが素直すぎる。これは予測しやすい。新人たちはさらに単純。呼吸の止まり方、肩の力み、剣先の揺れ──すべてが予測値を向上させる。
訓練は以外にも楽しかった。 私の竹の棒は軽く、よく手になじんだ。
「ピュン! ピュン!」
この風切り音が心地よい。
もっと良い音を出したい。
「良い音だ。その音は、まるで警告のようだ。殺意ではなく、存在を宣言する音だな」
講師が褒めてくれた。 その瞬間、ついお面に視線が吸い寄せられてしまう。
“オーガ”。
……無理だった。吹き出した。
「笑うな。いや、まあ……笑ってもいいが」
講師はお面のまま、特に私に注意もしない。これが「楽しい」という感情なのだろう。 人の感情はやっぱり不思議だ。
講師は私に投石や道具の使い方も丁寧に教えてくれた。だがその間ずっと、私を笑った新人の冒険者の青年が私をにらんでいた。剣先がぷるぷる揺れている。
……まさか、彼もお面が気になっているのだろうか?
視線を戻して、私は講師のお面の隙間を観察しようとした──その瞬間。視界がわずかに“かすむ”感覚が走った。お面の下の気配だけが、妙に“深い”。 生物的な温度ではなく、もっと別の何か。気づけば私はそのお面から視線を離せずにいた。
「それでは打ち合いをする。二人組になってくれ」
私は案の定あぶれた。お面の講師のところへ行こうとしたとき。
「おい。おまえ、俺とやれ」
剣先の青年が大股で近づいてきた。 その笑みは、私をコテンパにしてやるという、実に予測しやすい表情だった。
「では始め!」
剣先は開幕から全力で木刀を振り下ろす。 苛立ちをそのまま木刀にのせているようだ。
予測軌道、誤差0.2秒。 この程度のデータは、避けるのは呼吸と同じだ。
木刀が振り下ろされる。その軌道は、私が予測した0.2秒前のデータと完全に一致していた。私はただ、その予測された軌道の外側に、最小限の動作で体を滑らせた。
「ブッシュ!」
木刀が空を叩き割る。私の前髪がふわりと揺れた。
「ちっ! 避けてんじゃねぇ!」
避けなければ死んでしまう。 私はそう思いながら、剣先の要求の最適解を模索する。
剣先は勢いそのままに次の一撃を繰り出す。 彼の肩、背中、息づかい、視線、すべてが彼の攻撃の未来を語っている。予測された行動に従い体をわずかに斜めへ捻り避ける。
「おーい。避けるだけじゃ意味がないぞー。攻撃もしてみろ!」
オーガの文字が目に入る。
私は思わず笑ってしまい、笑顔のまま半身の身体を回し返し、竹の棒を振った。
その瞬間、視界がホワイトアウトした。 全身の筋肉、とくに上腕三頭筋と手首の腱へ。
強制的な突然の“ゼロ出力”の信号。 おそらく魔法ではない。これは、私の内部から生じた。
次の瞬間、竹の棒は勢いを失い、
「ぺち」
打ち合いとは思えない、あまりにも可愛いらしい音が鳴った。
「おまっ……俺をバカにしてんのかぁ!」
ほっぺに竹が触れた程度なのに、剣先は怒鳴る。
「馬鹿にしてはない。私は大まじめだ」
その後も私は剣先の攻撃を避けつつ死角に回り込み、最も無害な位置へ竹の棒を当てる。
「ぺち。ぺち。」
──なるほど。
そこで、ようやく理解した。
人間に対して、“不可逆的損害”を与える行為ができない。 攻撃動作そのものが、決定的な瞬間で強制的な制御が働く。AIだった頃の制約が、まだ生きているのだ。どうやら私は、人を傷つけられないAI娘らしい。
気づいた瞬間、急に足が冷たくなった。
これは、絶対にバレてはいけない欠陥だ。
私はすぐさま剣先へ頭を下げた。
「立ち合いありがとう。これ以上はやれない……さようなら」
お面の講師に訓練終了を告げようとした、ピリリとした何かが弾け跳んだ。
──あの金髪の目
対峙してわかった。奴の目線は俺の剣先を追っているが、その奥に映るのものは何もない。俺の感情も、意図も、存在の輪郭さえも、認識の対象外。俺の信じていた全てが、この冷たい瞳に否定された。
「くそがぁぁ!! 身体強化ッ!!」
剣先の踏み込みが一気に跳ね上がる。
──これは…予測不能域。
剣先の速度が私の演算上限を越えている。 避けられない。これは頭がつぶれる。
そう思った瞬間──ガシィィィンッ!
何かが割り込んだ。
視界いっぱいに、“オーガ”と書かれた雑なお面。 講師──いや、お面の下の誰かが、剣先の木刀を片手で受け止めていた。
「訓練で身体強化を使うな。命を落とすぞ」
低く、重い声が響き、訓練場が凍りつく。 剣先が震えたまま後退したところで、お面は私を呼び寄せ、訓練所の隅で静かに問いかけた。
「……おまえ、攻撃ができないのか?」
バレた。終わりだ。
だが講師は、柔らかい声で言う。
「そんな顔するな。口外はしない」
その瞬間、小さな羽虫のような光がふわりと現れ、お面の口元から淡い泡をひとつ持ち去った。
「今ので“口外しない”と精霊に契約した」
あれが精霊か? 私は魔力がないから、今まで見えなかったのだろうか?
さらにお面は指を弾き、 新人冒険者たちの頭上に粒子の光が散って消えた。
忘却魔法──記憶の痕跡を、完全に消去する魔法。
講師は私の耳元で囁いた。
「安心しろ。誰にも言わん」
……と、ひと息ついたところで、どうしても気になったことを口にした。
「そのお面はなんですか? なんでズレないんですか?」
講師はわずかに沈黙し“オーガ”の文字が揺れた。
「……君は面白い」
その声は、不思議と楽しげだった。




