二ー54
暖かな光が大地を溶かし始めている。
通常なら喜ばしいその光が差し込むのは、混沌と泥にまみれ焼け焦げた木材や石の上。
地靄に煙る征野に打ち捨てられた屍を漁っているのだろう何かが、かすかな音を立てているかと思えば、何処かでは獣なのか叫喚なのか、高い叫びが響く。
皆、陰鬱としている。
明確に言うなら、飽き始めている。
暖かな日差しは農期の始まりを示し、ジリジリと変わらぬ戦況は兵卒達の帰心を掻き立てる。
揉め事が増え野営地の風紀は乱れ始める。
ピュルテジュネ王軍は、明らかに戦意を失い、統率を欠いていた。
それに引き換えブラバンソン達傭兵軍を追い出すことに成功したリモージュは堅固な守りを維持していた。
「1度、撤退して立て直してはどうか。」
ピュルテジュネ王に呼ばれてそう告げられたリシャールは、短く返事をすると、むっつりと黙ったまま王を睨みつけている。
「潮時だろう。そろそろ農期もある故これ以上は男爵たちを引き止めるわけにもいかんのでな。」
リシャールの握る拳が震えているのが見える。
リシャール個人での戦いは、間違いなく勝っていた。
しかしリモージュの包囲網は完璧とは言い難く、穴を開けられては物資が運び込まれ、援軍に対応出来ず崩れると、あまりにもお粗末な結果を招いていた。
本陣が敵を潰せなければ、周りに群がる小バエを叩いたところで何の成果にもならないということだ。
その結果を間にあたりにして、なんとなく、ピュルテジュネ王に迷いがあったのではないだろうか。
そんな事を薄っすらと考える。
元々リシャールに否定的な王の思惑として、この地を彼から奪うことのほうが、利点があるとの算段で働き始めたのではないだろうか。
今やこの戦に負けて困るのは、リシャールだけ。
ピュルテジュネ王としては、扱いづらいリシャールより、アンリやジョフロアの方がはるかに可愛いはずである。
たとえ、裏に誰か、例えばカペーのフィリップの手引があったにせよ、王にしてみればフィリップなど赤子を手をひねる程度の相手で気にもとめていないだろう。
このアクテヌ公国を収める息子の名前が変わるだけなのだ。
このまま兄弟同士で戦い続け、お互いが消耗するほうが、手引したフィリップの思うツボなのかもしれない。
このピュルテジュネ家兄弟の仲違いのきっかけはいくつかあるが、そこにフィリップにアデル、その背景として全体にカペー家の影があるのではないか。
「おれも、そう思っている。」
王との面会を終え、リシャールのテントに集まった仲間達に疑問をぶつけると、ポールが同意してくれた。
「どういう事だ?」
問いただしたのはウィルだ。その問いに対してポールが静かに答える。
「元々なぜかリシャールに当たりの強いアデル様と、したたかに力を蓄えつつ、リシャールに敵意を抱き始めたフィリップが手を組んだのではないかという推測だ。」
「根拠は?」
頭脳派のウィルが身を乗り出しておれの顔を覗き込む。
「こ、根拠と言われても、なんとなく、漠然と・・・そんな感じがしただけで・・・」
そう口ごもっていると、ポールが助け舟を出してくれた。
「元々個人的に何の恨みがあるか知らないが、アデル様が婚約者であるリシャールに対して自らの姉のマグリット様を寝所に送った事が発端だろう。この頃まだ11歳にも満たないガキのフィリップにそのへんの機微の理解は無理だろうから、アデル様の単独行動だろうな。その後、うまく処理してくださっていたはずだったものを、何のきっかけかわからんが、マグリット様とリシャールの子であるフィルの存在をアンリ様に密告し、カペー家の剣を使っての暗殺をけしかけたのではないかと思っている。 この後、リシャールが暗殺疑惑の真相を問いただすためフィリップのところに乗り込むわけだが、ここでリシャールがフィリップの地雷を踏んだ。」
「え。俺? 地雷踏んだ? いつだよ。そんな事したか? 」
きょとんとした顔でリシャールが首をかしげている。
「してるんだよ。クリストフを誘拐したろ。あれ。地雷だったんだよ。しかも覚えてないと思うけど、地雷踏むのは2度目だ。」
「2度目とかそんなの知るかよ! たまたまそこに見知った顔があったから連れてっただけだぜ? 」
「そういうところですよ。恨まれるのは。」
ポールはおでこに手を当て、大きなため息をつくと、その手でさらりと前髪をかきあげる。
切り替えましょうのサインだ。
「とにかく、フリップにとってお前は排除すべき人間になったというわけだ。こうしてカペー姉弟に共通の敵が出来たということになった。」
「ふーん。ま、別にどうでも良いけど。」
「しかし、なんでアデル様はそんなにリシャールの事を恨んでるんだ? 婚約破棄されないだけでも感謝されていいだろ。 義理の父親に当たるピュルテジュネ王との関係を黙認してもらってるんだぜ? もしかして、それが嫌だとか言うなら、完璧にとばっちりだよな。」
「とばっちりだろうが、なんだろうが、年々恨みが増している気がするなぁ。アンリ様とお目付け役の大騎士ウィリアム殿を引き離したのもおそらくアデル様だろうと踏んでいるんだ。」
「ウィリアム殿? まさか! マグリット様との噂って・・・」
「オレが思うシナリオだけどな? 」
そう言うとポールはチェスを持ち出すと、黒のクイーンとキングのコマをチェス盤の上にコトリと置く。
「フィリップとアデル様が共通の敵、つまりリシャールを陥れるために、アンリ様をコマに使う事を思いつく。どちらが先に思いついたのかはこの際どうでもいい。」
ポールは白いルック(塔)を対局に置く。おそらくそれがリシャールなのだろう。
そしてもう一つの白いキング(アンリ)、ナイト(ウィリアム)のコマを中央に置いた。
「アンリ様を取り込みたいが、ついているナイトが邪魔で自由に動かせない。故に白いクイーンを使って、ナイトを退場させる。」
盤外にいた白いクイーンを手に取ると、コツンとナイトに当て、2つのコマを盤外に追いやる。
「これで、白いキングを黒の陣営に呼び込む手筈が出来た。黒の陣営には黒いルックのジェフリー様がいるわけだが、ジェフリー様はフィリップといっしょに、白いビショップ、ここではリムーザンの男爵共だな。これらをアンリ様を旗印にして取り込む工作をしていた。こうして白いキングは傀儡という形で黒の陣に入る。」
黒いキングとクイーンの眼の前に白いキング、黒いルック、そして白と黒のビショップがずらりと並べられる。
リシャールである白いルック単体に対峙するのは白黒入り乱れた複数のコマだ。
「これがフィリップの描いた絵だろう。しかし。黒の陣営に想定外の出来事が起こる。ブラバンソンだ。」
ポールは短刀を取り出すと、まるで猫がじゃれて爪で引っ掛けたかのように器用に白いキングを盤外に短刀とともにコトリと落とした。
「ブラバンソンのロバールがアンリ様に執着していた。フィリップがそれを知っていたかは疑問だが、ロバールがアンリ様を人質にしてリモージュを出ることは予想していなかったはずだ。 旗印を失うとリモージュは迷い、士気は落ちるだろう。ジョフロア様一人では旗印としては心もとない。それでフィリップがこの戦いに挙兵したのだと見ている。」
「傀儡・・・。」
耳慣れない言葉だった。
けれども意味は知っている。
確かにアンリはピュルテジュネ王と同じ王なのだ。次期王ではなく、共同王という話であったから。
それ故に、自分の統治すべき土地も与えられず、ただの象徴としての活動しか出来ないことに苛立ち、何度も王に立ち向かっていたのだろう。
彼のそんな悩みを利用して、甘い言葉を囁いて、利用して、うまく行かなければ、切り捨てる。
人質となったアンリを、助けるでなく、資金源調達のために遠征していると、それだけで片付けてしまう。
その現実が悔しくて。
けれども、アンリのせいでルーを失った現実もあるわけだが、それも裏ではカペー家の力が働いていたわけで。
処理できない感情に、ふと、リシャールを見上げた。
リシャールは、怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ、淡々とした表情で、感情は読み取れなかった。
「ウィリアム殿とマグリット様の噂が出たときに、アンリ様に忠告はしたんだけどなぁ。裏にカペー家がいるぞって。もっと、なんとか出来たのかもしれないけど。力不足で済まない。」
ポールの言葉に、リシャールが首を振ると労る様にポールの肩にぽんと手を置いた。
「お前のせいではないさ。アンリがアデルとフィリップの策略にいとも簡単に引っかかってしまったって事だろ? おそらく打つ手はないだろ。ウィリアムさえ、いてくれたら違ったかもだけど。」
チェスですよ。
こちら二度目の登場です。《二幕》ロマンス編【前編】二ー28にてジャンとベランジェールが遊んでましたものと同じです。国交があるということは物資も動きますし。ナバラにあってもおかしい話ではないと思うのです。まぁ、チョイスは完全なる私の趣味です。創作ですしねぇ。
このチェスのモデルは『ルイスのコマ』と言います。
1831年スコットランドルイス島で発見されたのが名前の由来だそうです。
製造年代は1113−1175年代で、ノルウェーのトロンハイム近郊で制作されたものと推測されているようです。
これが売ってるんですよ。大英博物館のレプリカが。
ほしいですねぇ。
チェスはインドで原型が生まれアラブで開花し7世紀あたりのペルシャのものが元になっているとの説だそう。
アラブから西方ヨーロッパに行ったものの多くは抽象的なデザイン。(イスラムは偶像崇拝否定的なため)
ロシアを経由して行ったものがあるそうで、おそらく『ルイスの駒』はロシアを経由のものなのでしょうねぇ。表情が最高に気に入ってます。
ビショップ(司令官)は元々のペルシャでは戦においての象だそうですよ。高いところから見下ろすのかな?しかもコマも一つ多かったり。王子もいたりします。
一つのゲームから世界の色々な地域の戦模様が見えて面白かったです。
参考文献「ものと人間の文化史 110 チェス」
著者 増川宏一
発行 財団法人法政大学出版局
2003年01月30日 P281




