二−50 反乱 リムーザン 2
このアンリの懇願の理由と、アンリとジョフロアがピュルテジュネ王を裏切った背景は、数日前に捕虜にしたある人物の吐露した内容で明らかとなった。
名を、『ベルトラン・ド・ボルン』と言う。
彼はトルバドールであり、アンジューにあるオートフォール男爵家の次男であり、当主であるという。
この混乱の最中、ついに兄を追いやり、男爵家の統治を手に入れたのにと、さめざめと泣き、ポロポロと涙とともに、いとも簡単に反乱軍の内情ももらした。
どうにも調子のいい男で、あまり良い印象を持たないのだが、トルバドールとしての能力、特に戦場において政治詩、『シルヴァンデス』を使っての兵の士気を操る様は、あまりにも見事で、その調子の良さも帳消しにできるほどだった。
☆
ドン
ドン
低い音が聞こえる。
それは這うように地面に響かせながら、わずかに大きくなってゆくように感じる。
ドン
ドン
ドン
ドン
次第にその音は大きくなり、それに重なり合って、同じく低い唸り声のような声が聞こえる。
低く唸る声は何やら呟いているようにも聞こえるが、低すぎて音の変調しかわからない。
吠えているのか、唄っているのか。
けれど、なにか差し迫った緊張感を与える物があった。
ドンド ドン
ドンド ドン
ドンド ドン
霧の立ち込める荒野の中。
見えぬ音は地を揺らし、空気を振動させながら全貌を少しずつ明かしてゆく。
低い音は太鼓の音だ。
それに重なりながら木を打ち付けるような、おそらく盾を剣の柄で打ち鳴らしているのであろう音。
そして、それに低い男の歌う声。
地を這うような音に、周りが恐怖に慄いてゆく。
この地に軍勢が集まってテントを張っているという情報は手にしていたので、おそらく敵軍なのだろうが、このようなモノには遭遇したことがない。
未知のものには恐怖が伴う。
しかし、隣のリシャールはというと、きりりとした顔ではあるが、落ち着き払っている。
騎乗した彼は、手綱を手にし、剣に肘を懸けたゆったりした体制だ。
そんな姿を見るだけで、何故か落ち着いてしまうのが不思議だが、どうやら周りも同じように感じているらしく、馬をなだめながらも、少しずつこわばる顔もゆるまり、恐怖が引いてゆくのがわかる。
音は次第に明確になり一定のメロディーを奏でているかと思ったその時、突如大きなパイプの音が鳴り響く。
それと共に霧の中からゆらりゆらりと屈強そうな躰を揺らしながら現れるのは戦斧を手にした男。
その男を先頭に、形はバラバラだが一様にして茶色い皮に身を包んだ戦士達が、低く唸るように歌いながら進軍してくる。
黒ぐろとした沼地の大地を、地鳴りの様に進軍してくるその姿に、緊張で体が固まってゆく。
これが、ブラバンソン軍。*¹
6年前のガスコーニュでの戦いで、1度対戦したことがある。
あの戦いで、リシャールが蹴散らすようにして潰した傭兵部隊が、たしかブラバンソン軍だった。
その程度の印象しか残っていなかった。
彼らブラバンソン軍は、半世紀以上前に誕生した部隊との話だ。
ブラバント近郊の地で起こった内戦に北の湖を渡った先のブルトンを支配する王が介入、支援を請けた男爵が編成した騎馬兵が発端らしい。
部隊を編成するも男爵は、国内の内戦に失敗し、資金元であるブルトンに移動、かの地を蹂躙した後、王の側近に抜擢されるまでになった。
しかし、なにぶんよそ者であった男爵は、ブルトンの地では歓迎されず、爵位につく事が出来ぬまま与えられた領地で、床に伏した。
男爵の元を離れた部隊は、いつしか各国の要請を請け様々な戦線に姿を表していった。
実はピュルテジュネ王も彼のおじいさんであった先代のブルトン王と同様に傭兵部隊に支援をしており、現在はブラバント地方だけではなく、多方面からの傭兵で編成されているのが現状だ。
資金を提供していたピュルテジュネ王に対しても、雇われれば敵対することは厭わない。そんな部隊だ。
このブラバンソン軍は、略奪、強姦、虐殺といった非人道的な行いもいくつか報告され、彼らの悪名は今や各地に轟かせ、一様に茶色い革の鎧をまとうこの1団の姿は、軍隊のみならず、民にも恐怖の対象となっていた。
今、その部隊をまとめるようになったのがプロヴァンス出身者だとの話だが、遠目からはリーダーとおぼしき人物を発見する事は出来なかった。
黒ぐろとした大地に現れた茶色いその部隊。
彼らは様々な武器を手に大きく口を開けて何やらわからぬ言葉を発していた。
少し近づいたあたりで、パイプの音に合わせて、突如、朗々と歌い上げる声がした。
何故か、その声は耳をそばだててしまうような魅力があった。
意味のわからぬ他言語と違い、その歌う歌詞は意味のわかる、馴染みのある言語だった。
ポアティエとイル・ブシャール、ミンボー、ルーダン、シノンの間
平野の真ん中に、クレルヴォーの立派な白を建てようとする者がいる
若い王様は、気に入らぬゆえ、この城について知らせたり、見たりしてほしくはないのだ
しかしこの石があまりにも白いので、マテフロンから見ずにはいられない*²
高くもなく、低くもなく、響き渡るように真っ直ぐに空に広がるような男の声。
「あれは、ベルドラン・ド・ボルンだな。」
リシャールが呟いた。
ポールがその言葉に、『ベルトラン・ド・ボルン』と同じように呟いた。
「アンリ殿が戦地に来て早々に、ピュルテジュネ王に領地をくれないと巡礼の旅に出ると、ダダをこね飛び出し王が慌てて呼び戻したとは、聞いていたが・・・。飛び出した先でベルトランに懐柔され担がれたか? ベルトランの野郎。随分と威勢が良いじゃないか。ピュルテジュネ王配下であるオレ達が築いたクレルヴォー要塞を茶化し、若い王である「アンリ」が自分たちの側にはいると。反乱ではなく、若い王の改革だとでも言いたいのだろう。」
「ふん。ほざいていろ。」
ポールの言葉にリシャールが片眉を上げて鼻で笑うと、大きな声を上げて後ろに控えている兵たちに活を入れる。
「いいか。深入りするなよ。今回は鼻を掠めてからかうだけだ! 適当に当てたらすぐ撤退せよ。」
それを言い終わるか終わらないかで、剣を掲げたリシャールは先陣を切って馬を走らせる。
リシャール軍がブラバンソン軍に突進していく。
今回は視察を兼ねたもので、リシャールの宣言通り、敵軍の鼻っ面を叩くと、一目散に撤退した。
軽く剣を交えながら馬を駆ける中、歩兵の多いブラバンソン軍の中で数少ない騎乗した数人、その中でもリシャール並みの身長で鍛え抜かれた身体をしなやかに動かす、丈長の革のコートを羽織る人物に目を留めた。
近くを馬で駆けるペランもそれに気づいたのか、コクリと頷く。
恐らく、彼が大ヤマネコとの異名を持つ、ロバール・ロップ・セルヴィエ。
ブラバンソン軍リーダーだ。
相変わらず、不定期投稿中で申し訳ありません。
ロマンス編などと言う題ですが、後編はどうにも戦が話の主軸となりそうです。
しかもここ、大切なエピソードなのに話がややこしいので説明文になりがちで。ロマンス寄りにするのが難しいですね。
故に変にこねくり回してしまい情況が伝わっているだろうかと不安デス。
心配デス。大丈夫カナ。
ブラバンソン軍*¹
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Braban%C3%A7ons
詩*²
ベルトラン・デ・ボルン
参考資料
John Gillingham
「Richard I 」P68
出版社Yale University Press; Revised版 (2002/1/11)全p400