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二ー63 ユゼルシュ

 鐘楼が見えたあたりで、ウィリアムは突然、弾かれたように飛び出して走りだす。

彼は爽やかな朝の光を浴びる教会の石塀の影を曲がると獲物を見つけた豹の様に何者かに飛びかかった。

 ウィリアムは素早く抜き身にした剣を、地面に押さえつけた相手の首元に押し付ける。


「ロバールか。アンリ様はどこだ。」

「・・・こ、講堂だ。神父がそこにしか入れてくれなかった。」


 ウィリアムから遅れを取っていたポードワンは、辛うじてこの会話を聞いた。


 ロバールのことだ、ピュルテジュネの王子であると、主張しただろう。

しかし、神父の信頼を勝ち得ることなど、到底思えない。

ロバールの話す言葉は粗野で、貴族とは到底思えず、そんな随従一人だけ連れた王子など、怪しいばかりだ。

しかも、病に侵されている。

戯言と取られても仕方がない。

講堂に入れてもらえただけでもありがたい事だ。


「吊るしておけ。」


 ウィリアムがロバールを持ち上げて壁に投げつける。

簡単に積まれただけのレンガの塀はガラガラと音を立てロバールの上に崩れ落ちた。

ポードワンは、ウィリアムが講堂の方に走っていくのを確認しながら、手持ちの紐でロバールを拘束すると、遅れて来た仲間たちと、ロバールを広間に吊るし上げる。

 騒ぎを聞きつけたこの街の住人の中から、少し身なりの良い男が吊るされたロバールを眺めていた。


「我々はピュルテジュネ王の近衛兵である。」


 ポードワンは白いフードを脱ぎ捨て、ピュルテジュネ王の紋章の刺繍されたコートを見せると、町の住人も、身なりの良い男も驚いた様子で、小さな声で「本物であったのか」と囁きあい、話がまとまったのか身なりの良い男が、一歩前へ進み出てきた。

 

「私はこの町の代表だ。では、今教会にいるのは、誠にピュルテジュネのアンリ若王なのか? 」


 ざわざわと人が集まり始めている。

ポードワンは此処ぞとばかりに、声を張り上げた。


「かのお方の噂は、この様な小さな町にも届いているということか。そう、あの、武勇に長け、慈悲深く、聡明で美しいと謳われているピュルテジュネ アンリ若王が、この場所で休息をしたいと申されている。病ゆえ、手当も頼みたい。 」


 ポードワンの発言に町は色めき立つとともに、病であるという事実が、落胆させていた。

代表の男は住民に綺麗な布を持って来るように指示している。

 その様子は、教会にやって来た旅人の、アンリの病の重さを物語っていた。

 ポードワンは居ても立っても居られない様子で急ぎウィリアムの元へと走る。


 アンリがこれほどまでに民達の間で人気があるとは知らなかった。

騎士としてピュルテジュネの宮廷に入る前に、ウィリアムとアンリの噂話は聞くことは確かに多くあったが、まさかこの様な田舎にまでもその名声が轟いていようとは思いもしなかった。


 門の開かれた教会の講堂内には、朝日が差し込み祭壇を照らしている。

明るい祭壇近くの脇の床に、ウィリアムが、かがみ込んでいるのが見て取れた。


「ウィリアム様・・・」


 ウィリアムの目の前には病人らしき人が横たわっている。

信じたくはないが、あれがアンリなのだろうか。


「・・・アンリ様の、着替えを手伝ってくれ・・・。」


 アンリは本当に病に侵されていた。

病状は重い。

 着替えをさせるときも、生命力というものが一切感じられず、だらりと垂れる腕に布を通すのは一苦労だった。

痩せた白い身体にはまだらな斑点がうかんでいる。


 こなれた様子のウィリアムに言われるがまま作業を終え、使用済みの布を燃やせとの指示をするために講堂から出て、再び祭壇前で祈りを捧げるウィリアムとアンリを見る。

 後ろから見るウィリアムはアンリを支えながら、その大きな背中は小刻みに揺れていた。

白いアンリの手は、だらりと垂れ下がり、床に落ちている。


 アンリは息絶えていた。




ーーーーーーーー


 ポードワンの報告が終わる頃には雨の音は止み、ひんやりとした夜が訪れていた。

広間は静まりかえり、ポードワンの鼻をすする音が、妙に響いた。


「陣中熱*¹か。」


 そう発言したのはポールだ。

ポードワンはコクリと頷く。


「陣中熱って? 」


 聞いたことのない言葉だったので、隣にいたペランに聞いてみる。

「ジャン、お前はまだ経験ないか。 悪い水の周辺や、悪い土地には瘴気が発生する。そんな場所で長い戦闘状態が続くとその瘴気に当てられる奴らが日に日に増えるんだ。それに侵されると高熱が出る。そして腹が下って、ケツから血が出る恐ろしい病だ。その瘴気に勝てる体力があれば、回復も見込めるが・・・。」


 なるほど、感染症か。アンリは下痢がひどいという話をメルカディエがしていたから、ノロウィルスの様なモノなのだろうか。


「何ヶ月もブラバンソン達のような粗暴な奴らと共にいたんだ。瘴気に当てられても不思議ではない。」


 ポールがため息を付いた。

 雑学に詳しいポールも、瘴気という得体のしれないふわっとした言葉を鵜呑みにしているので、感染症という認識はないのだろう。そうなると薬も対策もできないということか。

 改めて、なにも知らないし、なにも出来ない自分に心底がっかりする。


「ブラバンソンのリーダー、ヤマネコのロバールの話では、ロカマドゥールにて神に懺悔をするつもりだったらしいのですが、アンリ様にそこまでの体力がなく、マルテルにて休息していたのだと、主張していました。」

「・・・ロバールは捕らえたのか? 」

「はい。マルテルにて、罪人として捕らえましたので、絞首刑に処されたかと。」

「・・・罪状は? 」

「教会での窃盗罪です。」

「・・・窃盗? 」


 ポールが目を丸くしてポードワンの言葉を繰り返した。


「この度の件は、あくまでもアンリ様が自身でブラバンソンを連れ立って行ったという事にせよと、王の仰せで・・・最悪の事態のときには、今回の誘拐の件がもれないように、早急に処理せよと、仰せでしたので、その様になりました。」

「え? 本当はアンリ様がピュルテジュネ王に降伏するつもりだったから、誘拐されたんでしょ? なかった事にするって事? なんで? 」


 王は、アンリを許す気がないのだろうか。

降伏するという言葉をなかった事にするとは、どういう事なのだろう。

 素朴な疑問が口から出ていた。

 それに答えたのは、腕を組んで話しを聞いていたリシャールだった。


「リムーザンの男爵どもを黙らせ、リモージュのエマールを潰すためだ。この件で、奴らはアンリがブラバンソン達の捕虜にされたと言わずに、アンリは自ら出陣したと嘘を付いた。だから、それを事実と言う事にしてエマールとジョフロアにはまだ戦を続けてもらう。と、父上は言っている。おそらく、トゥールーズ伯と、ブルゴーニュ公と会談の場を作る予定になるはずだ。アンリがいなくなった今、リモージュの肩を持つことの利点を今一度確認せよと言う話だな。」


 リシャールがそう言いながら、閉められていた木戸を開ける。

ひんやりとした風が広間に入ってきて、ロウソクの明かりを揺らす。

 ゆらゆらと揺れる明かりは、その場にいる者の顔を、影らせ、照らしたりしている。


 リシャールとピュルテジュネ王が何日も話し合い、なかなか折り合いがつかなかったのは、この事だったのだろう。

 アンリが自ら出陣したということにすると、アンリは自らブラバンソン達と町々を襲い、略奪をして回っている事になる。

そう言って、リシャールは不満そうな顔をしていた。


 しかし、ピュルテジュネ王の先見は正しかったという事になる。


 ピュルテジュネの共同王であったアンリがいなくなった今、リモージュにいるのは、4男のジョフロアだ。

彼らは今や、王とその王位を継承する事になる3男リシャールと対立している形となったのだ。

 そうなると、トゥールーズ伯と、カペー家側であるブルゴーニュ公が、リモージュのエマールと、ジョフロアの味方をする事によって得られる利点は乏しいだろう。

 大義と、吸引力のなくなったリムーザンの男爵達の勢いは消える。


 きっと情勢は、一変するだろう。





 ジャンに感染症の知識があまりなかったため、陣中熱と言われて、予測できる感染症は、ノロウィルス[感染症胃腸炎。手指や食品などを介し経口で感染し、ヒトの腸管で増殖、おう吐、下痢、腹痛などを起こす。健康体なら軽症で回復するが、幼児や高齢者などは重症化しやすい。]くらいかなと、しました。

 陣中熱とは、赤痢の事です。

 アンリはアメーバ赤痢*¹が原因による、敗血症による多臓器不全と想定しています。

細菌やウイルスが体内に侵入し、全身の免疫反応が制御不能(敗血症)となり、肺、腎臓、肝臓など複数の臓器機能が低下(多臓器不全)する重篤な病態。

 この時代感染病という観念がなく、「神による罰である」という認識のため、宗教的な儀式で治療という観念はあまり(ハーブ系の漢方薬的な観念はあったようです。)なかったみたいです。

学問(政治・経済)、写本(医学、文学)等、医学っぽいことももっぱら教会が母体なので、そういう者はすべて神職者。

 大まかな治療法は、

瀉血(穢であろう血を抜く)、毒素を排出する(嘔吐の誘発、下剤の投与)

神への懺悔と祈りや、巡礼、聖地への旅。

といったものだったそうです。

 この件に関してだと、おそらく病状は悪化するでしょうね。

でも、民間療法的に一応、感染経路を取り除くみたいな風習はできるのではないかと思われるので、ウィリアムは最初アンリに被せられた汚れた布に触れるときは手袋をちゃんとしてもらいました。


*¹アメーバ赤痢: (原虫/寄生虫) 腸管感染症で、腸管寄生性原虫が糞口経路で伝播するほか,口腔と肛門の接触を介して性的に伝播することもある。潜伏期(2〜4週間)有効な薬剤は現在1-2種類しか存在しない。

赤痢菌:(細菌性)腸管感染症で、ごく少量の菌でも感染するため、汚染された水・食品の摂取や人から人(便口感染)への感染力が非常に強い。潜伏期間(1〜3日)抗菌薬投与(軽症の健康な成人なら不要)


参考資料

国立感染症研究所

国立研究開発法人 日本医療研究開発機構

https://www.amed.go.jp/news/seika/kenkyu/20181002.html

2026.01.28.12:30.観覧


ちなみにBLを扱う作品であるので、BLはファンタジーだけど、知識としては知っていたい案件です。

こうして考えると、女性のいわゆる月のモノである自浄化機能はすごいですね。

そもそも腸も肛門も消化器官ですものね。

大事にしてほしい。

よくBL作品手にするけど、毎日とかしてたらマジで壊れちゃうんじゃない?とかって心配になる。(だから、ファンタジーだって)でも溺愛系だから好き。


※アメーバ赤痢の「無症候性持続感染」‐AI による概要‐

自覚症状がないまま体内に寄生虫シストを保有し、糞便中に長期間排出し続ける状態。主に男性同性間性的接触(MSM)などの糞口感染で広がり、周囲の感染源となるため、診断時は無症状でもパロモマイシン等の駆除薬による治療が推奨。

性感染症(STD)としての拡大: 近年の日本国内では、輸入感染症よりも男性同性間性的接触(MSM)や性風俗を介した、口と肛門の接触(Oral-anal sexual contact)による感染が8割を占める。





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