Act26 魔王と、そして、もふもふまみれの宿命(さだめ) 完
「それは、…―――」
がくり、と床に両手をついて。
肩を落とし、本当にがっくりとうなだれているかれに。
少しばかり視線をそらして、嵐神が気の毒そうにいう。
「…―――すまん、…小さきいのちにとって、生殖活動というのがとても大切なことはわかっているんだが」
「…生殖、…いえ、―――」
言葉もない小隊長に、副官が屈み込んで話しかける。
「まあその、…。どうにもならんのですか?名参謀どの」
あまりの落胆振りにそれ以上声をかけられず、副官が嵐神を仰ぐ。それに、困惑したように。
「…本当に、すまん。なんとかできる範囲で調整しようとはしてみたんだが、…。難しくてな。―――…やはり、大きな問題なんだな?よく転生では、ハーレムとかそういうのを願われたりするんだが、…」
気の毒そうに少し嵐神もかがんで、床に懐いているかれをみていう。
「…ハーレムって、なんですか、…それは…」
地を這うような声に、嵐神が解説する。
「いや、小さきいのちにとり、やはり生殖活動というのは優先順位が高いらしくてな?よくわからんのだが、大抵の願いの中には、ハーレムとか王になるとかいうのが入るんだ。つまりは、生殖できることが大事で、それを優先するからそういう願いになるのだとおもうんだが」
「…ハーレム、…そんなのはいいが、…しかし、」
ぼそぼそといっている小隊長に副官が同情する。
「そうですねえ、…まあ、確かにハーレムとかっていうのは男の夢でしょうが、」
「そんなのはいらない。…せめて、」
「そうですねえ、…せめてだれかひとりくらい、…あ、やめといてください」
ぶつぶついっているかれに同情した副官がいってから、何かに気づいて嵐神を振り仰ぐ。
「…何をだ?」
問いかける嵐神、名参謀ロクフォールに副官が真面目に首を振る。
「いけません。あなたがここで確実なことをいったら留めを刺すでしょう?」
「そうなるか?」
「そうです」
きっぱりという副官に嵐神が戸惑いながら、床を見つめているかれをみる。
「…―――そのようだな」
「ご納得いただけて幸いです。…確言しなければ、まだわずかでも希望をもてますからね」
「しか、…し、――いや、すまん」
いいかけて、嵐神が黙る。
「…希望、…誰かひとりくらい、…」
「やはり、家庭を持ち生殖活動をするというのは大事なんだな?」
嵐神もしゃがみ込んで、床に懐いているかれに話しかける。
「別に、…家庭とかは、――そんなの考える余裕はなかったですからね、…――でも」
うつろにすこしばかり顔をあげていうかれを覗き込んで、嵐神が謝る。
「すまん」
「…―――」
無言で、じとっとした目でかれがその嵐神を見返る。
「しかし、なんですねえ、…。それこそ、皇帝とか帝とか、偉いさんになったら、ハーレムとかじゃないですけど、入れ食い状態というか、女にもてもてになって当然だろうと思うんですけどねえ、」
副官が同情しながらいうのに、嵐神が視線を向ける。
「いや、猫にならもてるぞ?」
「――――ねこですか?」
思わず反応するかれに、嵐神がいう。
「いや、その、…ねこにならもてもてになるのは確実だ。それに、もふもふ、…動物になら、確実にもてるぞ?」
「…――動物、…ねこ、…もふもふ、…」
つぶやいたかれが、気づいたように嵐神を見返ってにらむ。
「もしかして、…――!あんたが、おれにドラゴンと向き合わせたのは、―――名付けとかその前に、…――まさか、おれが動物にはもてるから、大丈夫とか、…そういう計算があったんじゃないでしょうね?」
にらむかれに、嵐神が視線をそらす。
「…いや、すまん、――確かに、そうだ」
視線をそらしていう嵐神に、がくりと肩を落とす。
「…もてるのは、――動物に、だけ、…」
「ドラゴンは動物に入れていいんですかね?」
再度つぶやくようにいうかれに、副官が疑問をついくちにするのを振り向いてじとりとした目でにらむ。
「…いや、まあ、…仕方ないじゃないですか?その、世界を救ったんですから、――報酬があるならともかく、…それはひどいですよねえ、…」
副官もなんとなく視線をそらすのに。
嵐神から聞いた事実。
つまりは、転生元――死んでないそうだが――が、本来なら死ぬはずだったから。
世界とのつながりをそれ以上増やせなくて、つまり。
増やせないわけだから。…
異性にもてることは、つまり、生殖につながることがつまり。
いってしまうと。
「女に、…――もてないんだな、もう…」
それ、を言葉にしてしまって。
まっしろになって、がくり、と小隊長が肩を落とす。
そう、つまりは。
もう女にもてること、はないという、…。
もふもふにはもてるようだが、…。
そんなもふもふまみれの宿命を突きつけられて。
「――――…」
うつろに床をながめている小隊長に、副官がかける声を失う。
「…別に、ハーレムなんて、……いや、普通に、だから、…」
動物にもててどうするんだ?とつぶやいている小隊長の肩に副官が手をおく。
「大将、…もうはやいとこ、帝国いきますか?」
「そうだな、…―――もうここにいても、…。ねこにもててどうするんだ、…」
「ドラゴンにもててるじゃないですか」
慰める副官の背から、嵐神が追加する。
「ドラゴンに、フェンリルとか、…――どんな動物にも好かれると思うぞ?」
「…―――動物、…」
沈黙する小隊長に副官がかるく肩をたたく。
「まあその、大将、これからを考えましょう」
「そうだな。帝国にいって、――パンは焼けるか?」
「パンですか?焼いたことはありませんが」
「そうか、…――おれもだ。パンが無理なら、――とにかく、水をまず確保して」
「イモはどうです?あれを育てれば、焼いても蒸しても食えるでしょう。育つにも痩せた土でも大丈夫ですしね?」
「ああ、…そうだな。種芋が手に入るかな?少しくらい、国が援助してくれればいいんだが、…。どのくらい買っていけばいいか」
「まあ、少しならあるんじゃないですかねえ」
「あるといいな。給金はそれほど貯めてないからな、…。向こうでとにかく水が出る場所をみつけて、――井戸はすぐには難しいから、やはり湧き水か」
「洞窟とかあるといいですね」
「そうだな。雨風がしのげる」
「住むところを建てるといっても大変ですからねえ」
「理想は水場がある洞窟だな」
嵐神の告げた事実から逃避する為に、帝国での自活方法について検討を始めたかれに付き合っている副官。
そこへ。
「住む処なら、僕が城を建てておいたよ」
「…――リチャード?どこから、」
唐突にかけられた声に、驚いてかれが顔をあげる。その先にいるのは。
鮮やかな金の眸に淡い金髪、美貌といえる容姿にいかにも貴族を思わせる長身のリチャード・ロクフォール。
「大佐、何処から入られたんです?」
入り口とは反対側から現れたとしかみえないリチャード・ロクフォールに副官も訊ねる。
「いまはもう大佐ではないがね?――其処だ」
かるくリチャード・ロクフォールが指さすのは天井。
「…そこって、天井ですよ?」
ようやく床に懐くのをやめて、顔をあげてリチャードをみていうかれに、にっこりと微笑む。黄金の微笑みに、かれが眉を寄せる。
「正確には天とつながる座標だね」
「…―――まさか、あなたも人間ではないとか?」
驚いてみているかれに、にこやかに微笑むリチャード・ロクフォール。
瀟洒な衣装も似合う美形に、細い眼鏡の向こうから冷酷と常にいわれる金の眸が面白げに輝いてかれをみている。
「勿論、僕はかれを神というなら、魔王というものだからね?」
「…――魔王?」
これ以上驚くことはないとおもっていた上書きをする事実に、かれが言葉を失う。
「…魔王、ですか?」
副官もしげしげと人ではない魔王だとかるくいったリチャード・ロクフォールを見て。本気で驚いている二人に、にっこりとリチャード・ロクフォールが嵐神をみて。
「ほら、驚いたろう?普段から人の振りをしておいた方が、相手は驚くものなんだよ?きみは楽だからといって猫になど擬態していたろう?だから、驚きが少ないんだよ。神といってもね?」
「…―――反省点だな。…きみに来てもらって今回は本当にたすかった。礼をいう」
「きみたちの部署からこちらに連絡があっただけでも驚いたけどね。それが、こんな依頼なのだから」
「…――お知り合い、ですか?」
呆然としながらいうかれに、リチャード・ロクフォールが振り向いていう。
「そうだね、グレッグ。正反対の部署にはなるかな?かれは世界を保存して生育していく方の部署で、僕は破壊する方の部署になるからね?」
「破壊?」
「そう。破壊しなくては新しい世界は生まれないからね?だから、今回のように保護と育成の為に手を貸すのは珍しくて面白かったよ」
「―――何か、別の部署にとかいってましたね?」
「よく覚えてるな。その通りだ。本来なら、かれは普段、世界を破壊する側として仕事をしているんだが」
かれの問いに嵐神がいって、リチャード・ロクフォールをみる。
「そして、…――ロクフォールは全員、人じゃあなかったってことですか?」
「その通りだね、グレッグ」
「…破壊、――けど、この国を守る為に、今回は動いてくださったんですね?」
かれの視線に、不意に真面目な表情になってリチャード・ロクフォールがいう。
「その通り。普段は逆なのだけどね。慣れないことだから、…――だが、この二つの世界が共に生き延びることに手を貸せたのは楽しかったよ」
「…ありがとうございます、リチャード。…そして、あんたも、…名参謀ロクフォール」
「…ああ、」
身を起こして、真剣にいうかれに魔王であるリチャード・ロクフォールと、名参謀ロクフォールであり、嵐神が向き合う。
「…そうだな、悩むのだって、生きていなくちゃできない。…――エディも何処かにいるのか?」
そして、少し周囲をみていうかれに、嵐神がいう。
「エドアルドはきみたちのいう天界にいまは帰っている」
「そうか。…何にしろ、あいつにも礼をいっておいてくれ。そして」
「グレッグ?」
リチャード・ロクフォールであり魔王だというかれの視線に、グレッグと呼ばれてかれが皮肉に笑んでみせる。
「何がどうなってるとか、まったくわからないが、…――。戦が終わり、平和がきたのなら、それがあなたたちの力ならば」
鮮やかな金褐色の眸で。
「戦を終わらせ、生きていけることに感謝する。ありがとう、―――あなたたちのおかげだ」
嵐神がまっすぐなかれの視線に困ったように天井を仰ぐ。隣で、そのさまを面白そうに魔王が眺めて。それから、楽しそうに視線をあわせて、魔王がいう。
「ともあれ、魔王がきみたちの城をあつらえた。雨風はしのげるだろうから、其処に住むといい」
「ありがとうございます」
それは助かりますね、といったかれはまだ、魔王が誂えた城が本当に帝国の城に相応しい豪華なものであるのを知らないが。
「雨風がしのげるのは本当にありがたい」
「ですねえ、…。近くで水も出ますかね?」
「泉があるぞ?」
「それはありがたい!流石ですね、リチャード」
「それは本当にありがたいですねえ。やはり、大佐はなさりようが違いますな」
「もしかして、きみはついて行くつもりなのかね?ウィリアム君」
魔王であるリチャード・ロクフォールの問いに、副官ウィルがうなずく。
「まあ、この大将の副官としてずっとやってきてますしね?戦もなくなるということですから、ひまですしねえ」
「…ウィル」
驚いているかれに、副官が苦笑する。
「さっきから、あちらで自活する方法話してたじゃないですか?」
「…―――いや、それは、――方法を相談して、だから、そのつまり」
戸惑っているかれに、副官が笑う。
「ついていきますよ。あんたと一緒に帝国に行くのもおもしろそうですからね?…――こちらの、魔王様?大佐の作ってくださった城もあるそうですから、しばらく雨風はしのげそうですしね?」
「…――ウィル、…種芋、沢山仕入れよう」
感激した面持ちで見返して、何かいおうとしてそんなことをいうかれに、ウィルが笑う。
「はいはい、…そうですね。種芋は沢山仕入れていきましょう。畑をするのは久し振りですなあ」
「…おれもだ。孤児院で畑は作ってたが」
「まあ、何です?そんな生活から始めるのじゃ、女にもてたって困りますよ。はじめから養っちゃいけないでしょう」
「そうだな、…姫達がくるわけはなし、生活していくのにまずは精一杯だな、…」
「ですよ、大将。これで女にもてて連れて行ってくれなんていわれたら、大変なことになりますよ」
「だな、…。しばらくは働いて食えるように土地をしないと」
「ですよ、まずはやることが沢山ありますからね?」
「そうだな!」
立ち直って、帝国の領域にいった後、どうやって自活していくかを改めて考え始める小隊長と副官の二人をながめて。
少しばかり、そっと離れて。
「…人間というのは、おもしろいな」
ぼそり、と隣にいる嵐神にささやくようにリチャード・ロクフォール、魔王がいう。それに同意してうなずいて。
「…小さきいのちの者達に魅入られるから、あまり接触してはいけないという不文律がよくわかります。先輩」
「そうだね。かれらは、小さきいのちで精一杯を生きる。我らが流れる刻と世界を見つめる間にも」
そして、そっと。
二人を残して。
世界から、…―――魔王と嵐神が。
夢中で話しているかれらをみて。
それから。
そっと、魔王と嵐神の気配はその世界から消えた。