Act24 世界の調律者
「腹が減った…―――めし…」
かくして、夜中。
なにがどうしてこうなったのか?
夜中にかれの腹の上で寝ている赤毛ねこ―――名参謀ロクフォール兼神様だとかいう謎の生命体。
それに、文句を散々いってめしをくわせて。
それから。
色々を思い出して、思わず叫んでいても。
「なんでこうなった、―――!!!」
かれの叫びをきいても、まったく動きすらせずにまったりくつろいで寝ている赤毛の大型猫、神とかいうにゃんこに頭痛をおぼえながら。
それでも、寝てしまったかれは健康であったといえるだろう。
だからこそ。
翌朝、かれは――――。
赤毛に、絶句していた。
見事な炎を思わせる赤い巻毛が滝のようにかれに覆い被さる相手から。
つまり。
「…―――――」
驚いて、絶句して。
言葉も無く。
動けないほど驚いているかれに、その相手が身動ぐ。
「…おい、あの?」
おもわず小声できいてしまっていても仕方がないだろう。
「…―――あんた、…?」
がっしりとした鍛えた体格は細身だが戦士だと一目でわかるものだ。それに、鋭角で彫りの深い容貌は、目を閉じているいまでさえ、神々の像がそのまま動き出したといわれても信じられる美しい均整と鋭く強い気配を纏っている。
…―――神々?
いやな予感に囚われて、その腕から抜け出そうと、そっと動こうとするが。
そう。
なんとしたことか。
昨夜は、ねこしかいなかった。
大型の赤毛猫が腹の上で伸びているのにも、諦めと睡眠欲の方が勝った為に、考えるのを放棄して眠ることにしたのだ。
だが。
だがしかし。
「…――――?」
見知らぬ赤毛の見事な上半身裸の男が、かなしいことにかれを拘束してねむっている。かなしいことに、男だ。
これが、知らない相手でも美女であったなら、やぶさかではないのだが。
――いや、それはそれで憶えてないのは勿体ないが、…?
こいつは、…?
いやな予感に、動けないまま相手をみる。このまま刺激せずに抜け出して何もなかったことにしたい。
そう、なにもなかった。
兵士として雑魚寝なんてよくしていた。この程度なら、まだ事故ですませられるはずだ。
そう考えながら、そーっと抜け出そうと試みるが。
「…うん、…――――」
がしっ、と赤毛の腕がかれを抱え込んだまま、何故かさらに引き寄せようとする。
「…お、おいっ、…―――やめろっ!」
小声で抗議するのは、何とか相手を起こさないままに抜け出したいからだが。
結論は、―――。
「…――――!おい!やめろっ、…!!!」
抗議する声を思わず出さずにいられなかったのは。
「うん、…―――?」
腕に抱き寄せられて、危険を憶える。
彫刻のように整った容貌が、目を閉じたまま接近してきて。
「やめろ――――!!!!!」
おもわずも叫んだかれの声は、安宿にいた全員を強制的に起こしたという。
「…ああ、すまなかった」
寝ぼけててな、と。
寝台にまだ座ってあくびなどしていう赤毛の見事な上半身裸の男―――つまり。
「…人の寝台に寝てるだけでなく、あんた!人を抱え込むな!大体、…!人間の格好になれたのか!」
もと赤毛の大型猫兼名参謀ロクフォール兼神様らしいという相手は、のんびりあくびなどしながら、赤毛をかしかしと掻いている。
「すまんな、…別の世界に調整にいっていて、―――調律はとても面倒でな、…それで、こちらに何とか戻ってきたんだが、腹がへっていて」
「…それはききました。めしも食わせたでしょう!それに、だから、…―――服をきてください!でなきゃ、ねこの姿にはもどれんのですか!」
怒っているかれに、まだ半眼で、というか殆ど目を閉じたままでぼんやりと嵐神が視線を向ける。大きくひらいた手で額をおさえて、目をとじたままうなずく。
「すまんな。…――ねこのすがたは借りているものなんだ。…この姿もまあ、本体じゃないんだが、…―――ちょっとまってくれ」
ぽん、と音がしたようにして。
次の瞬間、ねぼけている表情はそのまま赤毛猫の姿になった相手に、大きく息をつく。
「そちらの方がいいです。できれば、ずっと猫の姿でいてください」
「…そうか?まあ、確かにそうだな。…ねこさまのすがたは受けがいいからな、…」
「そういうことはどうでもいいんです!人の寝台で、―――忘れましょう。で、なにをやってきたんです?なにをしにここへ?」
「ひどいな、きみの為に急いで戻ってきたんだぞ?――――…いかん、気を抜くと人型にもどる」
「…――だから、ねこになってくださいといってるでしょう!」
叫ぶかれの肩に腕をおいて、ねぼけた顔で赤毛の見事な巻毛の間から、かれをみていう相手に抗議する。
「あのですね?頼みますから、…―――ウィル!たすけてくれ!」
赤毛の美丈夫に抱え込まれて、寝ぼけたかおが近くなって焦るかれが、丁度扉をあけてきた副官に助けをもとめるが。
「…ほらやっぱり驚いたでしょう、…。それはともかくですね?花街で遊んできた連中も多いんですよ?こんな朝っぱらから叩き起こさないでくれますかね?」
隊代表として抗議にきたんですが、とこれもまた寝ぼけた顔でいう副官ウィルに、腕から逃れようとしながらかれがいう。
「だから、…――それはすまなかった!だが、こいつをなんとかしてくれ!」
「…―――ロクフォールさん。ロクフォールを名乗るなら、ねこの姿よりも、こっちの方が信憑性ありませんか?」
「…そうかな?騒がしくしたのはすまなかった。昨日、別の世界にまでエディが呼びに来たからな。何か用事があるんだろうと急いできたんだが、…―――用件を知ってるかね?」
本当にねむいのだろう。目を閉じて、動けないでいるかれの肩に顎をのせて―――猫ならばよくやるように―――こてり、とねそうな雰囲気でいう赤毛の美丈夫に固まっている小隊長をみながら。
「そうですねえ、…。わたしも夜中に叩き起こされて、お食事なんて作らせていただきましてね?ですから、ねむいんですけどねえ」
「それはすまなかった。お互い、寝直すというのでどうだろうか?」
「…―――ねるな!いや、ねてもいいが、ひとりでねろ!腕を外せ!」
「あ、すまん」
ねこのときは枕にできたのにな、といいながら一応腕を外している赤毛に、かれが怒りでくちをつぐむ。
その小隊長をみて。
「はいはい、落ちついて、深呼吸しましょう。…確かに、あんたがこの神様?名参謀ロクフォールを呼んでましたからね?それで、あの青年将校さんが呼びにいくといって出てったでしょう。…―――呼んだのは確かにあんたですから、自業自得ですな」
「…―――ウィル」
「はい?わたしはこれから寝直しますから、めしが食いたかったら外へ出てください。それでは、おやすみなさい」
「…―――ウィルっ?」
あわてて呼び止めようとするかれに構わず、副官は冷たく背を向けて出ていってしまう。
「…――ひとりにするなっ、…っていうか、あんた、…なんでここにいるんです!」
「だから、呼ばれたから」
「…――まだ寝ぼけてるんですか?!」
「…うん?」
いいながら、ねこがするようにすこしのびをして、それから寝台に突っ伏してねる姿に。何とか腕から逃れられて、窓際に逃げて椅子に座って。
「…――何処が神様なんだ、…―――それで、どうして、人の姿で寝てなきゃならないんだっ、…!」
相手が眠ってしまったからか。つい、小声になって文句をいってしまうかれに構わず。本当に、まったく一顧だにせず。
「…―――寝たな?」
つい、その姿を確認してしまうほどには、ぐっすり眠ってしまった神らしき存在に。
「…――――」
思わず、溜息をついて額に手をあてて瞳を閉じる。
「なんだって、こんな、…―――」
見事な赤毛が滝のように寝台に広がっている。
がくり、と肩を落としてそれをみて。
何だって、神様が、…――――。
いや、そういえば昨夜は戦があるから捨てられないとか考えてたが、よく考えれば戦争が終わるなら、これを捨ててきてもいいんじゃないのか?
尤も、捨ててくる戦場はもう終わるのだが。
「…―――――」
この神様らしき謎の存在に、もう振り回されたくは無いが。
しかし、説明というものをきかなくては今後どうしていいかもわからない立場に立たされてしまった。
「…くそ、」
戦は、――しかし、確かに終わったのだ。
勝利させるといっていた通り、勝利で終わったのかはともかくとして。
それだけは、いいことだと。
そして、もし、…―――本当に世界なんてものが滅んでしまう瀬戸際だったとして。
黄金竜の姿を思い出す。
煌めく黄金の翼、黒翼のワイバーンの群れ。
かれらともう戦わなくて良いのだとしたら。
それは、――――…。
「まったく、…何がどうなってるんです?」
疲れ果ててねむっている神様という存在をみる。
本体ではないというが、赤毛ねこの姿を借りているよりは楽なのだろう。
へたりこんで寝ている姿は、本当に何か連日の仕事をこなして倒れているような姿にもみえないことはなく。
人の、そうした仕事とか働くということと同じでは無いのだろうが。
「…一応、あんたのいうとおり、…――この国はもう、戦をしなくてもいいのか?」
負けることを覚悟していた。そうしてすごすしかないほどに負けがあきらかにみえていた戦場の日々を思い返して。
世界と世界がどうとかいうことは全然わからないが。
「…―――本当にな、起きたら教えてくださいよ?」
ためいきを吐いて、それから窓を仰ぐ。
確かに、まだ空は暗い、暁はいまだ先の時刻。
それでも、白みはじめた雲のかけらが、暗い夜の底を照らすように欠片をみせている。暁を呼ぶ夜の底に潜む闇は、もう払われていくようだと。
「…―――本当に、夜が明ける、か」
眩しく目を細めて明るくなりはじめた空をみつめる。
この夜が明け。
確かに、平和が訪れるというのならば。
―――贄として死にたいわけじゃないが。
空を仰ぎ、白く明け始める世界をみつめておもう。
世界が此処に始まるのなら。
「―――行くのも、悪くはないか」
帝国と呼ばれる地に赴くことも。
人の姿は既に彼の地にはないというが。
―――何とか、おれひとり食べていくくらいはできないこともないか?
そこで何が起こるのか、或いは何も起こりはしないのか。
まったく何もわからないが。
赤毛の美丈夫が寝台にへたり込んでいる姿を振り向いて、苦笑する。
「まあ、確かに、…――あんたはこの戦を負けずに終わらせてはくれたからな?」
戦が止み、そして平穏が訪れるとしたら。
この際、帝国とやらにいってみるのもわるくはないかもな、と。
赤毛にあきれながら、かれは苦笑して肩から力を抜くと大きく息を吐いていた。
あの黄金竜達も滅ばないですむというのなら、それに越したことはないのかもしれないと。
多分、世界が何で出来ていようと。
もともと、滅びたい世界なんてないのだろう。
世界が共に滅びずに済んだというのなら。
それをいまはよろこんでおいてもいいのかもしれないとおもいながら。
朝日の白く染めていく部屋の窓際に座って、かれは空をみあげていた。
世界は白く染まり、光が朝を告げ。
黄金の煌めきに竜が空を飛ぶのをみる。
それをおもわずあきれてみあげて、かれは息を吐いていた。
世界は、共に新たな一歩を歩みはじめている。