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Act17 ボルヴィッツ戦線崩壊の朝


 豪奢な赤髪の巻毛を背に流して、寝台から無造作に伸びをして身を起こす。

 野性味の勝る美貌に鋭い青みが勝る灰青の眸。

 貴婦人方にとても騒がれる容姿だろう。鍛えた体躯に衣服をまだ纏わず、身を起こして軽く首をまわし、遠く窓の外をみる。

 二階にある居室からは、ロクフォール邸の豊かな庭園の緑と青空が気持ち良くみえている。

 に、と笑んでもう一度大きく伸びをして、――――。

「人の形はやはり面倒だな」

 軽くいうと、ふっ、とその姿がぶれて、――――。

 寝台の上には、赤毛の大型猫が現れていた。

 ねこの姿に戻り、赤毛の大型猫――ミルドレッド・ロクフォール。

 名参謀ロクフォールとして名を馳せる赤毛の大型猫は、大きくあくびをして伸びをすると、軽く寝台から降りると。

 次に、赤毛の大型猫――名参謀ロクフォールの姿は何処にもなかった。



 そして。



「よお、うまくいってるか?」

森の奥に、小隊長であるかれがいる場所へと姿を現わした赤毛の大型猫。

それに気付いて、副長のウィルが先に声を掛ける。

 深い森の奥では、まだ日が昇っている時間だというのに辺りは暗い。

「ロクフォール殿じゃないですか。どうしたんです?こちらに用でも?」

屈み込んで丁寧にいう副長にかれが眉を寄せる。

「おい、機密なんだぞ?それは」

「まあ、いいじゃないか?」

「あんたがそれをいうか?それをいったら、あの役立たずを此処まで連れて来た理由がなくなるぞ?」

咎めるかれに、赤毛の大型猫が肩をすくめていう。

「それはまた別に意味があるんだ。と、仕掛けの調子はどうだ。確認に来た」

途中で調子をかえて真面目にいう赤毛猫に、副官が屈み込んで視線を合わせた姿勢のままでいう。

「こちらへ、お連れしましょう」

「わかった、頼む」

しっぽをぴん、と立てて副官についていく名参謀ロクフォール――赤毛の大型猫を見送って。

「…めしにするか」

「隊長!」

「ああ?」

ゲオルグに呼ばれて、視線を振り向ける。朝食として携帯食を取り出していたその一かけを部下の処へ行きながらくちにする。

 そして、夜を過ぎた仕掛けの調子を確認する為に。

 ロクフォールが確認にいった方とは別の仕掛けを確認しながら、携帯食を食べる。そして、ふと想う。

 夜を過ぎ、朝を迎え、いまめしを喰えている。

 それだけでも、ありがたい。

 に、と笑んで。

 地面に張り巡らせた仕掛けを確認しながら。

 ――黄金のドラゴンに攻撃されて、昨日は命を拾った。

 あの脅威と接して、夜を過ぎ朝を迎えることが出来ただけでも重畳だと。それならば、さらに。

 一日、生き延びよう。

 今日の一日を、出来る限り生き延びる。そして、また一日を稼ぐのだ。

 生きて、呼吸をして、何かを食べて。

 寝て朝が来て、生きて起き上がることができる。

 その幸運に感謝して。

「隊長!」

 部下が呼ぶ声に顔を向けて、にっ、と笑む。

「よし、始めよう」

落ち着いた声でかれがいうのを待っていたように、その仕掛けを動かす装置が起動される。大きな音もしない、派手な煙幕さえもたない。

 何の演出もない、ちいさなからくりが動き出す。

 これでもう誰も止められない。

 流れる水を留められないように、最早それは小隊長であるかれの手を離れ自動的に動き出している。

 小さな、ちいさな仕掛け。

 森の奥でそれが動き出したことを確認すると、小隊長としてかれは号令を掛けていた。尤も、いまはその声は普段の戦場に響き渡る大音声ではなく、ひそかに森の闇に消えるしずかな声だったが。

「総員、退避」

 それだけだ。

 そして、また影のようにしてかれらは、小隊長であるかれの率いる一隊は姿を闇の奥深くに隠していく。

 撤退する先は、さらに前線を下がり。

 それだけをみているならボルヴィッツ戦線を放棄するのかと思われる程の奥だ。

 つまりは、国境線の大河から離れ街により近い陣地への退却。

 敗戦という文字が誰もの脳裏に疑いなく浮かぶだろう現状に、無言でかれらは退却をしていく。





 大河ミトラス。

 慣習的であり実質的な国境線として、帝国との境に流れる大河は機能してきた。

 それが、実際に国境線として帝国との間に制定されたことはだが一度も無い。

 それこそが、この戦が起き続けている根本原因のひとつであるのかも知れない。

 帝国との国境は定められたことがなく、外交的に協議されたことさえもない。

 ボルヴィッツ戦線は、大河ミトラスを向こうにした小丘を中心として、その背後にある城壁だけを残した廃墟を前線基地として設けられ、ときに大河を帝国が越えることがあっても何とか城壁までで押し返してこれまでは保たれてきた。

 その城壁が崩れ去り、いま黄金のドラゴンが城の瓦礫を寝床としている。

 黒い影であるワイバーンの群れは、黄金竜を中心に樹々へと止まり、或いは空を飛び警戒をしながらもすでに大河の向こうに戻ろうとはしていない。

 ボルヴィッツ戦線がすでに崩壊したことは、誰の目にも顕かであった。



 その崩壊したボルヴィッツ戦線の要であった城壁から、平原をしばらく行くと森となっている。大きな森は山脈にそのまま続き、その山塊を盾にするようにして僅かな土地を隔てて街が存在している。つまりは、帝国の脅威から護る為の最終地がこの山塊に深き森であり、この森を抜けられてしまえば街から首都は落ちたも同然の有様となるだろう。

 黄金竜が空を飛び越えることが出来るのであれば、最早何もかも無意味だ。さらに、ワイバーンの部隊は簡単に首都を落とすだろう。

 後は無い。

 朝日が再び黄金竜を照らし、その見事な黄金の鱗が金の光を返す。美しく光を纏う神秘的な黄金竜の姿に、周囲を黒い影のワイバーンの群れが目を醒まし羽ばたきを始めていた。

 竜がまどろみからめざめれば、最早、帝国の勝利を覆す何者もないと思われた。



 暁が空を金に染め世界が目を醒ます。

 白く流れる雲さえ、青く晴れた天のさまさえ帝国の勝利を祝福しているかのようだ。世界の目醒めとともに、黄金竜が目を醒ます。

 閉じていたまぶたがゆっくりとひらき。

 美しい宝玉を思わせる神秘的な光を宿す竜の瞳が青天を仰ぎその羽根が大きく広げられた。

 黄金のドラゴンが、光の煌めく黄金の光を撒き散らしながら飛翔する。

 廃墟と化した城壁が崩れた石塊だけが後に残される。




 黄金の飛翔。

 黄金のドラゴンが青天を背に見事に羽ばたく。

 煌めく黄金が羽ばたくにつれ美しく天に散り、煌めきは青い天に輝く。


「きれいなもんだ」

 青天に飛ぶ黄金のドラゴンを見あげて、かれはつぶやいていた。

 森の入口へと戻り、一人森を背にして立つ。

 部下達はもう無事に撤退したあとだ。

 だから、後顧の憂いは無い。

 いや、負ければすでに前線崩壊後のいま、撤退して戻った先の街でさえ、跡形も無くこの空飛ぶ黄金竜に消し去られてしまうかもしれなかったが。

 それでも、きれいなものは綺麗だった。

 青天に黄金のドラゴンが飛翔する姿。

 それだけならば、絵画にでもしたいくらいの美しさだ。

 天を行く黄金竜に従う黒い無数の影がなければだが。

 いや、画家ならばこの不吉を纏う黒影さえ、美しく描き出してしまうことだろうか。

 ボルヴィッツ戦線は既に崩壊に近い。

 背後にした森深き山塊は最後の砦だ。

 それも、しかし、徒歩や馬を相手にしての砦であり、こうして空飛ぶ黄金竜などには、あっというまに越えられてしまうだけのものにすぎないのだろう。

 美しく黄金のドラゴンが破壊を喚び、黒き影が天を舞い世界を滅ぼす。

 それは、帝国側にとり勝利の成就にすぎないことだろうが。

 

 まるで、唯一人それを迎え撃つようにして立つかれは。

 小国の小隊長として青天のドラゴンを見あげて。

 まるで唯一人で迎え撃つかのように。

 ――尤も、おれはそんな英雄じゃない。

 皮肉に笑んで、それをおもう。

 世界が何で出来ていても。そして、この戦線が崩壊し背にした山塊の背後に護る小国の人々がどのように今後なっていくのだとしてもだ。

 単純にかれは故郷を護りたかった。

 そして、あの名参謀ロクフォールがいったのだ。

 そのばかな話を。


 ――だから、まあ、…ばかな話だが。


 他に賭ける方法もないというのだから、仕方ないと。

 戦が何故始まり、かれの記憶する限りずっと続いてきていたのか。

 金褐色の髪と眸、野性味を帯びた容姿。

 小国の軍服を着て無造作に迎え、それを仰ぐ。

 空飛ぶ黄金竜を。

 群れ飛ぶワイバーンを。


 賭けてみるしかないさ。


 軽く笑み、かれは黄金竜を見あげていた。

 神話に現れる黄金竜。

 世界の半分を支配する―――天を大空を支配する黄金竜を。




 

 

ようやく赤毛の大型猫の正体に迫れます…ながかった

ねこキャン編に出てきた話とようやくつながります

もう少し…!

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