1 青信号、信じて渡ってひかれたよ
明るい青空。
緑の公園に向かって青信号の横断歩道を渡っていた。
人通りの多い官庁街。
ゆっくりと青信号を待って、渡り出したそのときだった。
――え?
それは、突然起きた。
白い大きな車が、突然右斜め後ろから、掠めるようにして前をすぎていった。
「――何、…!」
怒って相手をみるが、後方にあった地下駐車場から一気に横断歩道を渡ろうとしていた歩行者を無視してすれすれの位置をすり抜けていった大型の車を運転している男は、悪びれもせずに走り去って行く。
――何だって、危ない、――!
腹は立ったが、抗議した処でもう届かない。
仕方ない、忘れようと再度歩きだそうとした。
横断歩道には、他にも複数の人が歩いている。
この横断歩道は歩行者の青信号が長めに設定されているので、気を取り直してこれから渡っても大丈夫だ。中央分離帯に歩行者が待つ場所もあるから、もし途中で青信号でなくなってもそこで待てばいい。尤も、そんなに時間が経っていたわけではないのだが。
ともあれ、再度青信号を確認して渡り出す。
今度こそ、横断歩道を渡ろうと。
そこへ。
今度は、右前方から、白い軽自動車が横断歩道に侵入して来た。
「え?」
真正面に運転手の顔がみえる。
――――え?
普通、横断歩道を渡っていて、この位置に運転手の顔をみることはないだろう。
上着をかけていた右腕、というか右手首に衝撃がある。
―――え?だから、その、―――。
一瞬、頭が真っ白になった。
他にも数人渡っている横断歩道――もちろん歩行者信号は青だ――に、曲がって来た軽自動車。
何故?
何でこんなことが――?
青信号で横断歩道を渡っていて。
しかも視界良好な昼間で。
郊外でもなく、街中で。
しかも渡っていたのは自分だけではない。
何故、侵入してきたのか?
いや、そんなことより、それはともかく。
青信号、信じて渡って、ひかれたよ。
一句。いや、そんな場合じゃないのだが。
接触した瞬間、頭が真っ白になった。
そして、右足をひねった、と思う。
痛みはまだこのときほとんど感じていなかったのだが。
相手の車は停止している。
咄嗟に、痛みをこらえて考えていた。
――歩道に下がらないとやばい。
青信号はもう終わろうとしている。他の車が進んで来る前に車道から歩道に下がらないと危ないだろう。
右肩に下げた荷物が何故か重い。それでも、とりあえず何とか歩道へと下がる。
そうして。――
「え、―――?」
今度こそ本当に、間抜けた声が漏れていたのでは、と思う。
歩道に下がって相手の車が止まったら、相手と話さなくてはならないだろう。それが面倒だと思っていたのだが。相手の連絡先をきいたり、警察に連絡したり、―――。
「――……」
あまりに驚きすぎて、声も出なかった。
相手は、車に乗ったまま、何を思ったか笑って会釈をすると、―――。
走り去ってしまったのだ。
――ええと、――。
思わず見送る。というか、三車線ある真ん中を去って行く車に声をかけた処で届かないだろうが。
脇に寄せて停めると思っていたのだが、横断歩道のすぐ脇から少し先まで荷物の積み卸しをしている車が停まっていたので、そこには停められないから少し先まで行って停まるものだと信じていた。
それが、―――。
行ってしまった。
思わず呆然と見送ってしまったくらいには、信じられない光景だった。
「ええと、――…」
110番、してもいいのかな?
本当に軽い接触で、ほとんど怪我もない――後から、実はそうではなかったことがわかるのだが――こんなことで電話してもいいんだろうか?
思いながら、スマホを取り出して気がつく。
あ、せっかくスマホがあるのに写真撮ればよかったな、――。
咄嗟にそんなことは全然できなかった。
ともあれ、何かひどく荷物が重い気がして歩道の奥にある石垣まで下がってもたれる。このとき、いわゆる事故の後すぐは興奮状態で痛みを感じないといわれる状態に一時的になっていたことを知らなかったのだが。
そして、人生初の110番をしていたのだった。
「事件ですか、事故ですか?」
電話の向こうで、そんな応答が聞こえて。
あ、本当にそういうんだ、――。
人生初体験の110番。
これから、いろんな初体験をニンゲンはしていくことになるのだが。
まさか、これが。
ネコ様達による異世界転生キャンセルにより。
本来なら、突然の交通事故で異世界転生していたはずのニンゲンが、
予定変更されて現代世界で生きていくことになっていたとは。
思いもしていない、ニンゲンなのであった。―――