(六)凪中のベネジクチウス
――きっと、昔からこの辺りに棲んでいる何かが、俺たちを呼んだんだ。まんまとそいつのもとへ誘い込まれて、ああ、そういえば俺がここへ来るのは二度目じゃないかって、そのときようやく思い出した。
俺にはもちろんそいつの姿は見えなかった。余四郎にもあまり見えてなかったんじゃないか。どうだろうな。驚いて、俺たち二人ともそんな話をする暇もなかった。
余四郎もおれも、隠していたほうの名前を呼ばれたもんだから、肝が冷えてな。そいつはお母やお父の名前も知っていて、きっと俺たちがどこで生まれてどうしてここにいるかも、全部わかっていたんだろうな。
その声の主が結局何だったのかは、さっぱりわからねえ。ほんの少し、そいつからは土と潮の匂いがしたと思う。
俺はそいつに呼ばれたとき「こっちは嫌だ」って言ったんだ。きっと前も同じことを言った。いや、前のことは不思議と忘れたままなんだ。でも、きっと俺は同じように答えたはずだ。
反対に、余四郎は「そっちで死にたいから行かせてくれ」と言った。言葉で何かを問われたんじゃないんだが、自然と俺たちはそう答えた。
余四郎の言った「そっち」っていうのがどこなのか知らないが、多分あいつは《《その通り》》になったんだと思う。
あいつは、たまにさ、ぼんやりしていただろう。いつも気持ちがこの町になかった。
時たま、まるで憑りつかれたみたいにぼうっとしていて、俺はてっきり生まれ故郷へ帰りたいだとか、兄貴に置いていかれて寂しいのだとか思っていたが、あのときようやく合点がいった。
あいつが行きたかったのは故郷じゃなく、骨を埋める場所だったんだなって。