(一)余四郎と寅吉
余四郎は生粋の山育ちであったが、かつての家はもうない。なだらかな山裾に沿い、東西に細長く広がる故郷の町は豊かで美しかったが、それもおそらく失われた。
あの山麓で過ごした苛烈な冬を思えば、いま母と妹と三人で暮らす家は随分と過ごしやすい。あちこち隙間だらけでみすぼらしいあばら屋だが、狭いのがかえって幸いし、手あぶりのような小さな火鉢ひとつで暖まることができる。冷えきった足の指が千切れるような苦痛を感じることは随分と少なくなった。
「お母、明王様のとこんち行ってくるに」
余四郎の家から船着き場までは道なりだが、港を通り過ぎるとすぐ林へ入り、やがて歪な辻道に至る。
辻を左に行けばいずれ賑やかな街道と合流し、右を選ぶと廃寺に至るらしい。ただし右の道は少し進むとすっかり藪に覆われてしまう。それを掻き分けて掻き分け、わざわざ廃寺の方へ行くものがどれほどあるか、余四郎はよく知らない。
どちらへも曲がらずまっすぐ突き進んだ先には『明王様』と呼ばれる古びた祠がある。
昔は祠だけでなく、もっと立派な寺なり社なりがあったかもしれないが、今は余四郎の腰の高さまである大岩の上に、木でできた三角の箱が、木彫りの札などと共に置かれているばかりだった。
もうとっくに陽が昇っているはずなのに、辺りは灰が降ったように暗い。
余四郎は乾いて白っぽい両手の指先に向けて、生暖かい吐息をやんわりと吹きかけた。口から出た息の色は思ったよりも淡い。まだ生家にいた頃、冬の吐息は口から雲が湧き出るように白く濃いものと思っていたのだが、この町で吐く息は、走った後に背中から出る湯気のようだ。
去年の冬、そんなことにひどく驚いた。
きっとこの海沿いの町に訪れる冬はやさしいのだ。まだ仄暗い朝、かまどの横にある瓶を覗き込んだとき、水面に分厚い氷が張っていることもあまりない。
辻道を小走りで突っ切ると、既にの寅吉が両脚を投げ出すようにして座っているのが見えた。
おおいと呼ぶと、寅吉は薄い色の瞳でにやりと笑う。けちな綿ぎぬでは足りないようで、寅吉は風除けのようにぐるりと上体をむしろで覆い、寒さに背を丸めている。
寅吉は余四郎と同じ年頃だが、既に大人のように背が高い。今年の初め、寅吉は遂に彼の母親の背丈を追い越したし、周囲の大人たちが言うには、いまや寅吉は彼の父親よりも長身だという。
何にしろ、寅吉の父親を余四郎は見たことがなかった。寅吉もまた、余四郎の家族をよく知らないはずである。かつて山の裾にあったあの町で、余四郎がどれほど賑やかに兄弟たちと過ごしていたか、余四郎はほとんど誰にも話していないのだから。