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29話 邪精霊


――――三人称視点――――



「なに、あれ……」


 エリザとクーデリアは、アルバートとの買い物が終わって女子寮へと帰る途中であった。 

 話している最中に急に激しい音が響いたと思ったら、すぐ近くの民家から大きな黒い腕が出ている姿が見えた。


「腕、というよりも触手?」


 エリザが小さくつぶやいた疑問に、答える者は誰もいない。


 付近にいた全員がそれを見て一瞬固まったあと、叫び声を上げて走り出した。


「きゃあああああ!」

「なんだあれ!」

「逃げろ逃げろ!」

「おい押すなよ、おい!」


 周囲は逃げ惑う人によってパニックになっている。

 いきなりあんなわけのわからない物が現れたのだから、混乱するのも無理はない。


 民家からは屋根を突き破った大きな一本の他にも、小さい触手がちらほらと壁や屋根を突き破り出て生きている。


 あれがどんなものかはわからないが、放置していていいものではないはずだ。

 それが、二人が同時に思ったことだった。



「……よくわからないけど、あれは放ってはおけないわね」


 エリザの隣にいたクーデリアが呟く。


「うん! いこ!」


 幸い、ここから触手の発生地点までは近い。

 すぐに駆け付けることができる。


 そして、二人は魔法使いだ。

 他の一般人とは異なりあの触手に対処できる力は持っている。


 そのため駆けつけようとしたのだが、二人がわざわざ発生地点へと行く必要はなかった。


 民家を破壊した触手はすぐに大きくなり体積を増す。

 隣の民家や店を取り込みさらに体積を増していく。


 そして、本体と思わしき黒い球体が現れ、それもすぐに巨大に成長していった。

 

 触手は手あたり次第に周囲の物を吸収していく。

 そして吸収した分だけさらに大きくなっていく。


 そしてあの触手が吸収するのは物だけではなかった。


「うわああああああ!」


 謎の触手に人が捕まえられていた。


「助けてくれ!」


 捕まえられている人は一人ではない。 

 触手は本体から何十本も生えており、その触手はそれぞれ人を捕まえている。

 そして、その中に人が取り込まれた。

 

「う、うそ……。人が」


 エリザがその光景に驚愕し、恐怖で立ち尽くす。


 エリザも魔物と戦ったことならある。

 授業の中でダンジョンに潜ったことは何度もあるし、上層でのたいていの魔物は油断しなければ屠れる程度の実力はあった。


 だが、あれは違う。

 これまでの魔物とは違う。


 見ただけでわかる。

 これまで相対してきたゴブリン等とは大きさもパワーも段違いの存在だ。


 周囲の物を吸収し成長していった本体は、既に魔法学園の校舎を超える大きさとなっている。

 触手に至ってはその一本一本が道路と同じ大きさだ。



 その触手の一本が、こちらに近づいていた。



 その横幅だけで、自分の背丈を軽く超えるほどの触手が。

 ほんの少しの動きで、こちらの体を潰せる体積と重さを持った触手が。


「あ……」


 無理だ。

 そう、エリザは悟った。


 すぐに駆け付けることができる?

 駆けつけてどうするというのだ。こんなもの相手になにができるんだ。


 自分たちにはあれに対処できる力をもっている?

 なんという自惚れだ。

 自分程度の魔法使いの卵が、なにをどう対処できるというのだ?


 そもそもあれは魔物なのか? 

 それとも魔法によって生み出された別の何か?

 

 エリザには何もわからない。

 ただわかるのは、このまま何もしなければ自分も取り込まれてしまうということだった。


 恐怖で足がすくんで、動くこともできなかった。

 足に力が入らず、地面にへたり込み、そのまま近づいてくる触手に取り込まれ――。 



「グラビティ!」

 


 ドシン、と触手が地面へと沈む。


「エリザさん。大丈夫?」


「ク、クーデリアさん……」


 横にいたクーデリアが助けてくれたことはエリザにもわかった。

 彼女の方を見ると、その顔は恐怖でがちがちに強張っている。


 きっと自分も同じ顔をしているのだとエリザは思う。


「エリザさん。立って。戦いましょう」


「で、でもあんなのに勝てるわけ……」


「勝てはしなくとも、身を守ることはできるわ。それに」


 クーデリアの魔法により、離れたところにある触手の一本が地面に沈む。

 その触手には人が囚われていた。


 倒れた触手からなんとか這い出て、その人は逃げている。


 命からがらといったところだ。

 足を引きずって満足に走れていないためその移動は遅い。


 だがエリザやクーデリアにはその補助をする暇はなかった。


「こうして、助けることもできる」


「……でも、またすぐ復活しちゃうよ」


 エリザの言葉の通り、倒れた触手はすぐに身を起こして元の通り動いている。


 クーデリアの重力魔法は至近距離ならば極大の重力を発揮する一方で、離れたところには数倍程度の重力しか及ぼさない。


 触手は巨体である分重いため、数倍になれば地面に倒れこませることはできる。

 しかし触手自身のパワーが強いためすぐにその重力に対抗して体を起こすことができる。


 クーデリアの重力魔法は不意をついた時間稼ぎにしかならない。


 クーデリアはその事実に歯噛みする。

 もっと研鑽を積んでいれば、距離が離れていてもかける重力を増やすことができたのだろうか。

 そうすれば、触手を破壊することはできずとも、起き上がることを防ぐ程度には重力を維持できたのだろうか。


 だが今そんなことを考えても仕方ない。

 無駄なことを考えている間に、目の前で人が襲われている。


 それを助ける力があるクーデリアが余計なことを考えるということは、助けられる彼らの命を見捨てることと同じだ。


 ならば、いまは目の前の命を助けることに全力を注ぐしかない。



「クーデリアさん……?」


 黙り込んだクーデリアの名前を、エリザが不安になって震えながら呼ぶ。


「復活してもいい。別に倒す必要はないから。助けられればそれでいい」


「でもそれって……」


「うん。ただの時間稼ぎ。でも私たちが時間を稼がなきゃ、人が死ぬ」


「…………」


 もちろん、その過程で自分たちが安全とは限らない。

 そんなことはクーデリアもエリザも理解している。

 

「協力してほしい」


「……わかった」


 恐怖心が抜けたわけではないが、エリザはクーデリアの覚悟を理解していた。

 その覚悟が勇気を与えてくれた。


 だから、立ち上がれる。


 エリザは足に力を込めて自力で立ち、クーデリアの横にならぶ。


「協力って何をすればいいの?」


「氷魔法で物を作って。できるだけ空気抵抗が少なくなる形」


 その言葉で彼女が行いたいことがエリザは何となく理解できた。


「私が作った氷をクーデリアさんが重力魔法で射出するんだね。でも、さっきみたいに触手に重力を直接かけて倒れさせていけば――」


「あの魔法はかけられる相手の体積に限界がある。あの大きさの触手なら、一度に一体しかかけられない。効率が悪い」


 だが氷魔法で作った物を重力魔法で放てば、触手を傷つけて一度に何体もの動きを止めることができる。


「わかった。物を作るのは氷魔法の得意技だよ!」


 重力魔法は強力な力で物を射出できるが、しかしあまりに加速度が大きすぎると空気抵抗によって物自体が壊れてしまう。

 だから空気抵抗の少ない形状を作る必要がある。

 

 エリザは氷で槍を作る。

 射出した際の空気抵抗が少ない形状だ。


 クーデリアはそれを触手に向かって放ち始めた。

 

 触手の根本付近は太く、そして硬い。

 だが先端近くになると比較的細くなり、そして柔らかい。


 氷で作った槍は触手に当たり、そして砕ける。

 貫通するほどの加速度は与えられなかった。 

 また槍自身の硬さもその衝撃に耐えるほどではない。


 だがそれでいい。

 狙いは触手を壊すことではなく、囚われた人を解放することなのだから。


 槍をぶつけられた触手は衝撃によってとらえた人を落としてしまう。

 落下した人間はクーデリアの重力魔法によって地面への加速を緩め、安全に着地させた。


「逃げて! 早く!」


 助けられた人に向かってエリザが叫ぶ。


「あ、ありがとう!」


 触手から離れる方向へ助けられた人は逃げる。


 同じことを何度も続けて、吸収される前に囚われた人を何人も救出することに成功した。


 だが、邪魔をしている二人に対して注目が向き始めた。

 それまで四方八方へと向かっていた触手がこちらに集中し始める。


「グラビティ!」


 襲ってきた触手を地面へとめり込ませるが、しかし一度に対処できるのは一体だけだ。

 他の触手は健在で、こちらに襲い掛かってくる。


「アイス・ウォール」


 エリザが氷で壁を作るが、しかしそんなものは重さとパワーを持つ触手には通じない。

 壁をいとも簡単に破壊し、触手はこちらに襲い掛かって来た。


「グラビ――」


 クーデリアが再度重力魔法を唱えようとしたが、しかし魔力が切れる。


(大技を連発しすぎた!)


 体積の大きい触手を重力で倒すだけでもかなりの魔力を消費する。

 それを何度も繰り返し、それだけでなく氷の槍を触手へ飛ばし、さらには落下した人を受け止めることを何度も繰り返していた。


 魔力が枯渇するのもありえないことではない。

 むしろ、よくもった方だ。

 

 身の丈を超える大きな触手が二人に迫り、こちらに襲い掛かってくる。



「……助けて。アルバート」



 小さくクーデリアがそう呟いた。




「空間固定」



 その声が聞こえるや否や、襲い掛かって来た触手が見えない壁に阻まれた。



 その現象のことを、二人は知っている。



「アルバート」

「アル」


 これは空間魔法の一つ、空間固定だ。

 アルバート・レイクラフトがよく使用していた魔法。



「おそくなってごめん。でももう大丈夫だ」



 声のした方をみると、そこにはアルバート・レイクラフトがいた。

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