3話 契約
魔法を使えないのに、なぜ魔法学園にいるのだろうか?
そう自問自答したことは何度もある。
精霊と契約できずに1年。
才能がないということは誰でもわかる。
自分だってそんなことはわかっていた。
それでも魔法学園に残り続け、精霊と契約したいと努力を重ねていた。
どうして、そんなに魔法に拘るのか?
どうして、魔法使いになりたいのか?
クラスメイトに陰口をたたかれて。
教師からも遠回しに諦めることを勧められて。
家族からも別の道を考えるように言われていた。
そして諦めきれずに魔法学園に残った結果、ダンジョンに一人残されてベヒーモスに殺されかけるという始末。
それでも俺は魔法使いになりたかったのだ。
なんで魔法使いになりたかった?
みんなから見下され、諦めるように言われて。
なんで魔法使いになりたかった?
魔物に襲われて痛い思いをしてまで。
なんで魔法使いになりたかった?
才能もなく、結果も残せず、無為な時間を重ねてまで。
なんで俺は魔法使いになりたかった?
魔力があるとわかった時、家族からは魔法使いになることを期待された。
一緒に魔法使いになろうと小さい頃に友人と約束をした。
一流の魔法使いになったときに得られる名誉や金を知って期待に胸を膨らませた。
期待。
約束。
名誉。
それらすべては理由の一つだ。
だが、一番は憧れだった。
物語の中で語られる過去の伝説の魔法使いたち。
時おり耳に入ってくる英雄と呼ばれる他国の魔法使いの話。
そして、祭りの時に一度だけみた一流の魔法使いの姿。
その話に、その姿に、俺は憧れた。
ああなりたい。
あのようなカッコいい存在になりたい。
そうだ。
俺だって、魔法使いになりたい。
伝説に、英雄に、一流に、そんな魔法使いになりたい。
退学しなかったのはそれが理由だ。
諦めきれなかったのはそれが理由だ。
だから、魔法学園にのこって精霊との契約に明け暮れたのだ。
爆発しそうになるほどの情熱が、胸の中を暴れまわっている。
俺は魔法使いになりたい。
魔法使いになりたい!
『強い心だね』
そして、誰かの声が聞こえた。
「ん……」
意識を回復させた俺は、目を開けて周囲の状況を知る。
気絶していた時間はそう長くない。はずだ。
そんなに長く気絶していたらもうとっくにベヒーモスに食われているだろうからな。
確か、ベヒーモスの攻撃を受けたんだった。
我ながらよく生きていたな……。
地面に横たわっていた姿勢を起こし、上半身を持ち上げる。
「いっつ……」
体を起こしたら、激痛が走った。
痛みの出どころは足だ。
そこを見ると、右足の足首がパンパンに腫れていた。
痛みはガンガンと主張しており、正直言ってもう歩くどころか立つこともできないほどだ。
左の足だって右ほどではないが痛みがあるし血も流れている。
これはもう、この場からにげることはできないだろうな。
周囲を見渡すと、そこは広場になっていた。
ダンジョンの地下空間になぜこんな大きな広場が?
そう思うくらいには大きい。
魔法学園の体育館がすっぽりと入ってしまうような大きい空間だ。
ダンジョンには驚くようなものがたくさんあると聞いてはいたが、まさか下層にこんなものがあるとは。
「グルルルルルルルル……」
そして、少し先にいるのはベヒーモス。
奴は追い詰めた獲物を前に、舌なめずりをしながらゆっくりとこちらに来ている。
向こうは歩けるが、俺はできない。
これではただ食われるのをまつだけの状況だった。
「死んで、たまるかよ……」
歩けないが、諦めるつもりはない。
気絶している間に思い出した魔法使いになりたいという憧れ。
思い出した、俺の夢。
それを叶えるまで、諦めるわけにはいかない。
歩けない下半身を引きずりながら、ベヒーモスからにげるために腕の力だけで動く。
「諦めてたまるか……!」
そして、何かが俺の手に触れた。
固い、ごつごつした触感。
それは地面に埋まっていた石板だ。
読むことはできないが、文字らしきものと何かの絵が描かれた石板だった。
『強い心だね』
そして、俺の頭に声が聞こえた。
「なんだ?」
初めて聞いたような……いや、違う。
前にも一度聞いたことがある。
そんなに前の話じゃない。
そうだ。さっき気絶している間に、意識が覚醒する直前に聞こえた――。
『強い心を持つ貴方。貴方が私を呼び起こしたの?』
再び声が聞こえる。
「誰だ?」
頭の中に響く声に問いかける。
聞こえているのかはわからない。
「どこにいるんだ?」
『どこ? ここにいるじゃない。貴方が今触れているところ』
「……この石板のことか?」
『ええ』
石板がしゃべっている?
不思議な現象……そういう魔物か?
『私は石板じゃない。石板の中で眠っていた精霊』
「精霊か……!」
精霊は魔力で形作られた特殊な存在だ。
石の中で眠っている、なんてこともあり得るらしい。
『ん? んん? よく見たら貴方、すごい魔力だね』
「へ?」
『これは運命? きっとそう。ねえ、貴方。私の契約者にならない?』
「え? ほ、ほんとうか!?」
この1年間願い続けた待望の精霊からの申し出に、思わず歓喜の声を上げる。
『ええ。本当よ。それでね、私は――』
「グルルルルアアアアアアアアア!」
精霊が何かを言おうとしていたが、それに覆いかぶさるようにベヒーモスの雄たけびが響いた。
『あれ、なに?』
「ベヒーモスっていう魔物だよ。俺を襲ってきたんだ」
『……貴方のその傷ってあいつのせい?』
「あ、ああ。まあな」
『ふうん? 私の契約者候補を傷つけるなんて許せない』
「とはいっても、あいつをどうにかしないことには契約どころじゃないんだが」
『順番が逆だよ? 倒してから契約じゃなくて、契約してから倒せばいいじゃない』
そうして、俺の目の前に女性が現れる。
それはこれまで出会った誰よりも、美しい顔立ちをしていた。
人間の女性の姿をしているが、宙に浮いており、また精霊の肉体を構成する魔力による微量の光が彼女の体から漏れていた。
人間ではなく精霊なのだと察せる。
人型の精霊は初めて見た。
精霊は、たいていは光の粒子か、あるいは小動物の姿をしている。
『大丈夫。一瞬で済むから』
精霊はその美しい顔を近づけてくる。
俺の唇と彼女の唇が触れ合った。
「――――」
その瞬間、俺と彼女の間に何かがつながったような気がした。
それは魂。あるいは精神。
上手くは言えないが、俺という存在の奥底にあるものと彼女自身がつながったのだ。
――これが、契約。
誰に何を言われずとも、そうだということが理解できる。
『契約完了』
精霊が唇を離し、俺ににっこりと笑いかけた。
『これからよろしくね。マスター♪』
「よ、よろしく。精霊さん」
『む。精霊さんっていうのは嫌だな。私はフィオーネっていうの。名前で呼んで』
「わかった……。フィオーネ」
『うふふ。うふふふふ。なあに、マスター』
「フィオーネはなんの魔法を使えるんだ?」
魔法には種類がある。
火をおこしたり、風を起こしたり。
どの魔法を与えてくれるかは契約した精霊ごとに違う。
『私の魔法は空間魔法』
フィオーネが俺の頬に触れる。
『マスターはもうそれを理解しているはずよ』
「――――!」
その瞬間。
空間魔法の知識がどんどんと頭の中に流れてきた。
それがどういった魔法か、そしてどのようにすれば使えるのか。
少し前まで魔法の魔の字も行使できなかったはずの俺が、今なら魔法の使い方を心の底から理解できていた。
「はは……。すごいな、契約っていうのは」
これなら魔法を使うのになんの努力も必要ない。
ただ頭の中に入って来た知識通りにそれを行使すればいいだけだ。
「アアア!!! ガアアアアアア!!!!」
雄たけびを上げながら迫るベヒーモス。
その巨体も、幹のように大きい前足も、剣のように鋭い爪も、さきほどまでと変わらない。
ベヒーモスは強い。
図鑑で見るよりもその威圧感は圧倒的であり、強者であることは何も変わっていなかった。
だが、先ほどまでの恐怖はない。
なぜか?
それは、戦う力を得たからだ。
もう俺は、ただ逃げるだけの弱者じゃない。
何もできずに地面にうずくまる、無力な存在じゃない。
ベヒーモスに対して右手を掲げ、そして魔法の呪文を告げる。
魔法を使うのに特殊な儀式は必要ない。
ただ己の頭の中に浮かんだその呪文を唱えればいいだけだ。
「空間射出」
その手の前にある空間をベヒーモスに向かって射出する。
雷のように激しい音が響かせながら射出された空間は超高速で一直線に飛んでいく。
衝撃で風が巻き起こり、広場にある物が弾き飛ばされる。
放たれた空間はベヒーモスの体をえぐり取り、それだけでは止まらずに広場の壁をも破壊してその壁に大きな穴をあけた。
ベヒーモスは体の半分以上が吹き飛び、頭はえぐられ、原型はもう残っていなかった。
誰がどう見ても死んでいた。
瞬殺だった。
「え? いや、威力大きすぎない?」
こんな爆散させるくらいの威力なの?
ていうかベヒーモスを殺しただけじゃなくてなんか壁も壊してるんですけど。
目を凝らしてみれば。壁に穴が開いている。
穴は深すぎてどこまで貫通しているのかわからない。
せいぜいベヒーモスの体を弾いて昏倒させるくらいの威力を想定していたんだが。
『えへへ。すごいでしょ、私の魔法』
隣に現れたフィオーネの方を見ると、彼女はドヤ顔でこの光景を見ていた。
「フィオーネ……いやフィオーネさん。なんでしょうかこの威力は」
『どうして敬語? 普通でいいのに。あとこれくらい普通だよ? 私の魔法ってだいたいこれくらいの力はあるよ?』
「はい???」
『知ってる? 魔法ってね、授ける精霊の格が高いほど強くなるの』
それは知っている。
というか常識だ。
下級の精霊と契約した時の魔法の威力は低いが、級が上になるにつれてその威力は高くなっていく。
例えば火の魔法。
下級精霊ならば指先程度の火でも、中級ならばボヤ程度の火が、上級ならばもっと大きい火が出せる。
『私は神級精霊だから、魔法もすごく強いんだー。うふふ。よかったね、マスター。貴方の精霊はすごいんです』
そこには得意げにしてこちらに笑いかける、神級精霊の姿があった。
……神級精霊って歴史上に3件しか確認されていない、伝説上の存在なんだけど。
すごい精霊と契約してしまったのでは。