恋人代行 キャリアウーマン
恋人代行の研修が終わり、いよいよ実際の依頼を受ける日が来た。
俺は控え室で、担当者からクライアントのプロフィールを受け取った。
ファイルには、一枚の写真と簡単な情報が記載されている。
──橘 美咲
年齢は28歳職業は大手企業の管理職。
スーツ姿の写真を見ると、知的で冷静な雰囲気を感じさせる。長い黒髪をきっちりとまとめたヘアスタイル、すっと通った鼻筋、少し涼しげな目元。端正な顔立ちだが、表情はどこか硬い。
──美人だけど、ちょっと近寄りがたい雰囲気があるな。
俺がそう思いながら資料に目を通していると、担当スタッフが説明を始めた。
「橘美咲さんは、学生時代から仕事一筋でキャリアを積み重ね、異性と積極的に関わっていませんでした。」
「……なるほど」
「恋愛に興味がないわけではないのですが、今さら恋愛を始めるのも難しいし、周囲に相談するのも抵抗がある。そこで、恋人代行を利用してみることにした、という流れですね」
「つまり、恋愛の練習相手、ってことですか?」
「ええ、そんな感じですね。ただ、彼女はプライドが高いタイプなので、自分が恋愛経験が少ないことを悟られたくないはずです」
「……わかりました」
「そのため、透さんには彼女に無理に合わせるのではなく、自然にリードしてほしい と思っています」
俺は改めて写真を見つめる。
──つまり、「恋愛経験はほぼないけど、それを悟られたくない女性」 ってことか。
確かに、キャリアウーマンとしてバリバリ働いてきた人なら、恋愛のことなんて他人に相談できなかっただろう。
そして、そんな彼女が「恋人代行」を利用することを決めた。
……よほど、「恋愛というものを経験してみたい」 という気持ちが強かったんだろうな。
「ちなみに、今回のデートのシチュエーションは?」
「基本的にはお相手様から要望がございますが今回の場合はお任せですという希望でしたので透様ご自身で決めてください。」
「分かりました。なるべく楽しい時間にできるようにしてみます」
「ありがとうございます。では、待ち合わせ場所ですが……」
そう言ってスタッフが示したのは、高級ホテルのラウンジ。
「……え、こんな場所で?」
「はい。彼女がよく使う場所だそうですので」
高級ホテルのラウンジで待ち合わせ……いや、これは初仕事にしてはハードルが高すぎるだろ。
カジュアルなカフェとか、もっと気楽な場所じゃダメなのか?
「まあ、彼女の希望ですので……」
「……なるほど」
俺はスマホで場所を確認し、軽く息を吐いた。
──初仕事。
いきなり緊張する展開になったが、やるしかない。
とにかく、まずは美咲という女性がどんな人なのか、直接会って確かめることにしよう。
――――――――――――――――――――――――――――
──高級ホテルのラウンジ。
柔らかな照明が灯る空間に、静かにピアノの旋律が流れている。
落ち着いた雰囲気の中、カップを片手に談笑する人々の姿が見えるが、客の大半は女性だ。
この世界では、社会の主導権を握るのが女性だからか、こうした格式のある場所でも堂々としているのは女性ばかり。逆に、男性の姿はほとんど見かけない。
俺は少し緊張しながら、約束の時間より少し早めにラウンジへ入った。
「……さて、どんな人が来るんだろうな」
写真では、整った顔立ちの女性だったが、実際に会うとどんな印象を受けるのか。
スマホの時間を確認し、ふと視線を上げたその時だった。
──周囲の空気が、一瞬で変わった。
入り口から、一人の女性が歩いてくる。
目を引かれる。いや、圧倒される。
身長は170cmほど。すらりと伸びた長い脚に、洗練されたネイビーのスーツがぴたりと沿っている。
どこかの雑誌から抜け出してきたような完璧な立ち姿。
「綺麗な人……」 と、近くに座っていた女性客が、ぼそりと呟くのが聞こえた。
──それが、橘美咲だった。
彼女は迷うことなくラウンジを歩き、周囲の視線を意識していないような自然な振る舞いを見せる。
目立つのに、それが当たり前のような雰囲気を纏っている。
仕事で鍛えられたのか、所作の一つ一つが隙なく洗練されている。
黒髪は無駄のないまとめ髪で、顔立ちは端正。
知的でクールな雰囲気を漂わせながらも、どこか色気を感じさせる。
──「場の空気を支配する女」という表現が、これほど似合う人間は初めて見た。
彼女がまっすぐこちらに向かってくるのを見て、俺は思わず息を飲んだ。
美咲はテーブルの前に立ち、俺をじっと見つめた。
「……あなたが、天城透さん?」
──落ち着いた、よく通る声。
スーツの襟元に手を添え、俺の反応を確かめるようにまっすぐな視線を向けてくる。
「はい、よろしくお願いします」
俺が立ち上がりながらそう答えると、美咲は軽く頷き、椅子に座った。
「……正直、どんな人が来るのか少し不安だったけれど……」
コーヒーカップを手に取りながら、彼女はふと視線を逸らし、小さく息を吐く。
「あなたなら、大丈夫そうね」
──この「大丈夫そう」という言葉には、いろいろな意味が含まれている気がした。
少なくとも、俺があまりにも軽薄だったり、チャラい雰囲気だったりしたら、彼女はこの場を即座に去っていたのかもしれない。
「ありがとうございます。初めての仕事なので、至らない点もあるかもしれませんが、楽しんでいただけるように頑張ります」
そう言うと、美咲は俺をじっと見つめる。
──まるで、俺の言葉が本心かどうかを確かめるような視線。
そして、数秒の間を置いて、ふっと微かに笑った。
「そうね……楽しませてもらうわ」
その笑みは、どこか試すような、そしてほんの少しだけ期待しているような表情だった。
──橘美咲。
確かに、資料にあった通りのキャリアウーマンだ。
美しく、知的で、自信に満ちた態度。
そして、それを当然のように振る舞うだけの実力を持っている。
だが、その奥には 「恋愛に不慣れな部分」 が隠れている気がした。
例えば、俺を値踏みするような視線。
例えば、ほんのわずかに言葉を選ぶ間があること。
──この人、本当の恋愛をしたことがないんじゃないか?
その仮説を確かめるのは、これからのやりとり次第だ。