表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/19

お嬢様は困惑する

──食事を終えた後、二人は夜の街を歩いていた。


 透が提案したのは、少し遠回りをしてから帰ること。


 「食後に歩くのも、悪くないでしょう?」


 そう言われ、梨花は反射的に「別に」とそっけなく答えた。


 ──本当は、少し嬉しかったのに。


 食事が終われば、そのまま解散するのが当然だと思っていた。

 透は仕事でやっているだけなのだから、時間になれば「では、お疲れ様でした」と割り切って終わるはず。


 でも彼は、ほんの少しだけ、この時間を続けようとしてくれている。


 「特別扱いではなく、自然にそうしてくれている」


 ──それが、梨花の心を少しだけ揺らした。


 透と並んで歩く。


 歩幅を無理に合わせようとしなくても、ちょうどいいペースだった。


 それがなんとなく心地よくて、少しだけ意識を緩めかけたその瞬間。


 「寒くないですか?」


 透がふと、こちらを見て言った。


 「……別に」


 思わず反射的に答えてしまった。


 本当は、少しだけ肌寒かった。


 食事のときは気にならなかったが、外の空気は少しひんやりとしている。

 けれど、透に「寒い」と言えば、彼はまた何か気を遣ってくるだろう。


 ──私は、彼に気を遣われたいわけじゃない。


 彼のペースに乗せられたくない。


 だから、「別に」とそっけなく言ったのに。


 「じゃあ、もう少し歩きますか」


 透は特に気にする様子もなく、穏やかに微笑んだまま歩き出した。


 ──そういうところが、ずるいのよ。


 過剰に心配するわけでもなく、放置するわけでもなく。

 ただ、必要な気遣いをして、梨花の言葉をそのまま受け取る。


 その態度が、妙に自然で。


 「私だけが意識しているみたいじゃない……」


 ……

 ……

 ……

 ……

 ……


 

  「そういえば、梨花さんはどんなところに行くのが好きなんですか?」


 ふいに、透がそんなことを聞いてきた。


 「……?」


 「たとえば、普段の休日とか。どんな風に過ごしてるのかなって」


 「……社交の場に出ることが多いわ」


 それは事実だった。


 社交界のパーティーや会食、正式な行事に出席することは多い。

 それが「白瀬家の令嬢」としての務めでもあったから。


 「じゃあ、プライベートでは?」


 「プライベート……?」


 考えたこともなかった。


 プライベートの時間を持ったとしても、いつも気を張っていた。

 何かを楽しむことより、「正しい振る舞いをすること」に意識が向いていた。


 「そんなの、考えたこともないわ」


 そう言うと、透は少し驚いたように目を瞬かせた。


 「そうなんですね」


 ──それだけ?


 「そんなのつまらなくない?」とか、「もっと気楽に楽しめばいいのに」

 そう言われると思っていた。


 だが、透はそれ以上何も言わず、ただ「そうなんですね」と受け止めただけだった。


 ──まただ。


 彼は、余計なことを言わない。

 勝手な価値観を押しつけてこない。


 梨花の言葉を、そのまま受け入れる。


 ──そんな男性、今までいたかしら?


 会話が途切れたとき、ふと透の横顔を盗み見た。


 彼は、穏やかな表情で前を見て歩いていた。


 社交界で見てきた男性たちのような驕りもない。

 恋愛市場で「選ぶ側」として女性に振る舞う男性とも違う。


 なんていうか、「自然すぎる」のよね……。


 どこか安心できる雰囲気。

 だけど、それが少しだけ厄介だった。


 「……なに?」


 「え?」


 「私の顔に何かついてるの?」


 「いや、梨花さんが僕を見てたから」


 「っ……!」


 ──しまった。


 自分が無意識に透を見ていたことに気づき、思わず顔を背ける。


 「……別に、何もないわ」


 「そっか」


 透は、クスッと笑いながら前を向いた。


 その笑い方が、妙に胸に引っかかる。


 しばらく歩いていると、梨花は気づいた。


 ──私は、今までデートというものをしたことがなかった。今日のがデートだとしたら今までのはなんだったのだろう。


 男性と二人で食事をしたことはあっても、こうして「ただ歩く時間」はなかった。


 無言でも、気まずくない空気。

 どこに行くわけでもないのに、心地よい時間。


 こんな感覚、初めてだった。


 そして、ふと心の中に疑問が浮かぶ。


 「透は、今この時間をどう思っているの?」


 彼にとっては、これは仕事。

 だから、彼は自然に振る舞っているだけ。


 ──それは、わかっているはずなのに。


 彼の表情をふと見てしまう自分がいた。


 そして、またすぐに視線をそらしてしまう。



 


―――――――――――――――――――――――――――


 


 

 夜の街をゆっくり歩き、タクシー乗り場の前に立った。


 ここが、今日のデートの終着点。


 透は、いつもの穏やかな笑顔を浮かべたまま、自然に言った。


 「今日はありがとうございました」


 ──その言葉に、梨花の心が小さく揺れた。


 「終わってしまうんだ」


 そのことに、ほんの少し寂しさを覚えてしまった。


 でも、これは「仕事」。

 透にとっては、一人のクライアントとしての時間が終わっただけ。


 「……まあ、悪くはなかったわ」


 だから、口から出た言葉はそんなものだった。


 本当は、「楽しかった」と言えばいいのに。


 でも、それを認めてしまうと、何かが変わってしまう気がした。

 透は、少しだけ驚いたように目を瞬かせた後、静かに微笑んだ。


 「それは光栄です」


 この人は、いつもそう。


 私が少し冷たい態度をとっても、傷ついたような素振りを見せない。

 私の言葉を、無理に受け流すこともない。


 まるで、「そういう人なんですね」と言わんばかりに、当たり前のように受け入れてしまう。


 ──だからこそ、言葉を重ねたくなってしまった。


 「……勘違いしないで」


 透が少し首を傾げる。


 「別に……今日のことを、特別に思ったわけじゃないから」


 なんで、こんなことを言ってしまうのだろう?


 本当は、「また会いたい」と言いたいのに。


 でも、彼の前では、なぜか素直になれない。


 透は少しだけ考える素振りを見せた後、やわらかく笑った。


 「そうなんですね」


 その優しい笑顔に、梨花の心が小さく痛んだ。


 ──こんなにあっさり受け流されるの?


 彼は、「もっと一緒にいたかった」とは言わなかった。

 「また会いましょう」とも言わなかった。


 仕事として割り切っているなら、それは当然。


 でも、もし。

 もし透が、「また会いたい」と言ってくれたら──?


 そう考えた自分に気づいて、梨花は急いで頭を振った。


 そんなはずはない。


 私は、たまたま恋人代行を利用しただけ。

 これは本物の恋愛じゃない。


 「……それなら、また機会があれば」


 透の言葉に、胸の奥が妙にざわつく。


 「機会があれば」──それは、彼から求めるものではなく、梨花が望めば叶うもの だった。


 つまり、「また会うかどうか」は私の手の中にある。


 ──だったら、私はどうしたいの?


 透が軽く手を振り、タクシーのドアが閉まる。


 エンジンの振動が伝わり、車がゆっくりと動き出した。


 車内の窓から透の姿が遠ざかっていく。


 その瞬間、梨花は思った。


 「あれ?」


 ──私、今、何か言い足りない気がする。


 何を?


 ……「また会いたい」と?


 そんなはずない。

 私は、別に透のことを特別に思ってなんか──


 「……っ」


 ハンドバッグの中で、無意識にスマホを握りしめていた。


 そして、思い出す。


 彼と過ごした時間。

 透の言葉。

 彼の気遣い。

 何気ない微笑み。


 ──私は、彼の前でだけ少しだけほんとに少しツンツンしている。


 社交界では、誰にでも完璧な微笑みを浮かべられるのに。


 どうして彼の前では、それができないの?


 ──どうして、今、こんなにも彼のことを考えているの?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
お嬢さん、貴方のツンツンは酷いものだと思うよ。お嬢さんが知らないだけで主人公はよく耐えましたw
貞操逆転世界って、エロに振り切った何も考えなくていいな話なら問題ないんですが、ちゃんと考えると矛盾を生じさせないのはなかなか難しいんですよね。 もし男女比が1:5なら男を手に入れた女は子供を6人産まな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ