お嬢様は驚く
──その夜、白瀬梨花はスマホの画面を見つめていた。
「……」
検索履歴には、はっきりと「恋人代行」の文字が残っている。
タップすれば、公式サイトが開く。
そこには「理想の恋人と、特別な時間を過ごしませんか?」という文句が並んでいた。
胡散臭い。
そう思うべきなのに、指は画面から離れない。
──本物じゃなくてもいい。
私は、ただ一度でいいから、「恋人と過ごす時間」がどんなものなのか知りたい。
選ばれない側のまま、一生を終えたくない。
……それに、これは「仕事」なのだ。
相手の男性も、ただ業務として対応するだけ。
なら、何も問題はないはず──。
「……別に、期待なんてしてないわ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
そして、梨花は申し込みボタンを押した。
翌日、会社からスムーズに連絡が来た。
希望の日時を調整するURLが届き、記入し終わると今度は恋人代行のルールと注意事項の説明が長々と書かれていた。
恋人代行サービス利用規約(抜粋)
① 基本ルール
・ 本サービスは、依頼者(女性)に「恋人のような時間」を提供するものであり、実際の恋愛関係を保証するものではありません。
・ スタッフ(男性)は、依頼者との一定の距離を保ち、過度な接触や個人的な感情を持ち込むことは禁止されています。
・ 依頼者は、デートの希望をリクエストできますが、スタッフの負担や社会的な常識を逸脱する要望は受け付けられません。
② サービス内容について
・ デート内容は、「一般的な恋人らしい行動」の範囲に限定 されます。(例:食事、ショッピング、映画鑑賞など)
・ 手を繋ぐ・腕を組むなどの軽いスキンシップは、事前に合意の上で許可される場合があります。
・ キスや性的な接触、宿泊を伴う依頼は一切禁止 されています。
・ 公共の場において、他者に迷惑をかける行為(過度なスキンシップ、派手な振る舞いなど)は禁止 されています。
・ デート中の写真撮影・録音は、スタッフの同意なしに行うことはできません。
……
……
……
……
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……
⑧その他の注意事項
・ スタッフが体調不良や緊急事態の場合、代理スタッフが対応する可能性がある(事前に了承を取る)。
・ デート内容やサービスの内容に関するクレームは、事務局を通じてのみ受け付ける。スタッフへの直接のクレームは不可。
・ 依頼者・スタッフ双方が安心して利用できるよう、サービス利用において問題が発生した場合、速やかに運営に報告すること。
*ルールに違反した場合、今後のサービス利用を禁止される場合があります。
ビジネスとしての恋人代行であることが明確になっていて逆に私は安心した。だって必要最低限仕事としてちゃんと私に向き合ってくれるはずだから。
すると次に担当する男性のプロフィールが送られてくる
──「天城透」
どこにでもいそうな名前。
送られてきたプロフィールには、「優しく、気配りのできる男性」 との記載があった。
……本当に?
男性は皆、女性にチヤホヤされるのが当たり前の世界。
「気配りができる」なんて、本当に信じていいの?
「……どうせ、事務的な対応しかしないでしょうし」
心のどこかで、そう思い込もうとする。
これはただの「サービス」。
透と出会う前から、梨花は「彼のことなんてどうでもいい」と自分に言い聞かせていた。
──指定された場所は、高級ホテルのラウンジ。
待ち合わせ時間の10分前。
梨花は既に席についていた。
「遅刻は許されないわ」
完璧な身だしなみ。
姿勢を正し、優雅にティーカップを傾ける。
これはデートではなく、「仕事の打ち合わせ」 のようなもの。
そう思いながらも、胸の奥がざわつくのはなぜなのか。
──すると、ラウンジの入り口から、静かに足音が近づいてくる。
「……白瀬梨花さんですね?」
ゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは、予想していた「男性」とは、まるで違う人物だった。
鼻筋が通っているおり横顔が映える造形で、品の良さを感じ見た目が整っているが、派手すぎずどこか穏やかな雰囲気を醸し出している。また 「女性に媚びる」というより、「自然体」な態度で接してきてくれる。
私の知る限り、この世界の男性は二種類に分かれる。
①「選ぶ側」として余裕を持ち、女性を見下す者
② 選ばれるために必死に媚びる者
しかし、透はそのどちらにも当てはまらなかった。
彼は、柔らかい笑みを浮かべながら、静かに席に着く。
「今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
──え?
予想外の言葉に、梨花の眉がわずかに動く。
……何、それ?
恋人代行のサービスとはいえ、「男性が女性に礼を言う」なんて親しくなってからしかしないし、初対面なのにこんなことを…いやでもビジネスとしてだよね……
仕事でやってるからと自分に言い聞かせ昂る鼓動を抑えながら目の前にいる彼、天城透を見つめた。
――恋人代行
男性が適度に甘い言葉を囁き、
女性をいい気分にさせるものだと思っていた。
しかし、透はそうではなかった。
無理に距離を詰めようとしないし、気負いすぎず、穏やかな口調で話しかけてくれる。それに私が白瀬財閥の娘だと知っても変に 「お嬢様扱い」しすぎるわけでもない
何より、彼の視線には「評価しようとする色」がなかった。
遠藤涼のように、
「この女はどんな女だ?」 と値踏みするような視線ではなく、
ただ、「普通に会話をしようとしている」 目だった。
──この男、妙に自然すぎる。
それが、梨花にとって最大の違和感 だった。
「……」
透をじっと見つめる梨花。
透は、穏やかに微笑んだまま、視線を逸らさない。
──この世界の男性の常識からすれば、少し異質な存在。
私は、ふと視線をそらし、わざと冷たい声で言った。
「勘違いしないで。この時間は『仕事』よ」
「もちろん。恋人代行のサービスですからね」
「……なら、余計な馴れ馴れしさは不要よ」
ツン、とした態度。
初めての経験に動揺しないよう、「自分はあくまで冷静」だと示すために。
だが、透は微笑を崩さず、「分かっていますよ」というような目 で見つめてくる。
──その目に、どこか不思議な安心感を覚えてしまう。
梨花は、無意識にカップを持つ指に力を込めた。
――透との初対面を終え、二人はデートへと移る。
待ち合わせ場所のホテルラウンジから出ると、静かな石畳の道が広がっていた。
「では、行きましょうか」
透は自然な仕草で歩き出す。
梨花は一瞬、歩調を合わせるべきか迷ったが、結局隣に並んだ。
──こんなはずじゃなかったのに。
本来なら、私はどんな相手でも完璧な微笑みを浮かべられるはず だった。
社交界では、それが「白瀬梨花」としての振る舞い。
なのに、透の前では──なぜか素直に微笑めない。
むしろ、意識すればするほど、ついツンツンとした態度を取ってしまう。
──ホテルのフレンチレストラン。
柔らかな照明が、テーブルクロスの白を際立たせる。
シャンデリアの輝きが静かに反射し、店内には上品なクラシックが流れていた。
テーブルに向かい合い、透と座る。
「少しでも落ち着いた場所のほうが、会話がしやすいかと思って」
透がそう言うと、梨花は反射的に返事をしそうになった。
──「そうね」と言うべきか? それとも……
普段なら、当たり障りのない微笑みで「素晴らしい選択ですね」とでも言うのだろう。
だが、なぜか透の前ではその言葉が喉につかえて出てこない。
「……まあ、悪くないわ」
結局、そんな返答をしてしまった。
透は気を悪くすることもなく、穏やかに微笑んだまま、ナプキンを広げる。
そして、ふと彼が言った。
「食べるペース、合わせますね」
「……?」
「ほら、コース料理って、相手のペースが速すぎたり遅すぎたりすると、気を遣うじゃないですか」
梨花は、一瞬言葉を失った。
──そんなことを気にした男性、今までいたかしら?
今まで食事を共にした男性たちのことを思い返す。
彼らの多くは、
自分のペースで食べることを優先していたかあるいは「お嬢様だから」と気を遣いすぎて、逆にぎこちない食事になる。もしくは、無意味に格式ばってしまい、食事そのものが窮屈になる。
だが、透は違った。
彼は「男性だから」「お嬢様だから」ではなく、ただ自然に「食事を一緒に楽しむこと」を考えているように見えた。
ウェイターが料理を運んでくる。
まずは前菜のサーモンのカルパッチョ。
シトラスの香りがふわりと広がり、食欲をそそる。
「召し上がれ」
透が軽く笑い、ナイフとフォークを手に取る。
梨花も同じように手を伸ばす。
──すると、ふと気がついた。
透は、ほんの少しだけ、梨花が食べ始めるのを待っていた。
「……」
ほんの一瞬の間。
そのわずかな仕草が、妙に気になった。
それは、過剰な気遣いでも、遠慮でもない。
かといって、「相手を値踏みする視線」でもない。
ただ、梨花が「食事を楽しめるかどうか」を自然に気にしているような。
そんな、さりげない優しさ が、透の態度には滲んでいた。
──なんなの、この人?
今までの男性たちは、彼女の立場に「警戒」するか「遠慮」するかのどちらかだった。
だが、透は違う。
「当然のこと」として、何の気負いもなく梨花に気を配る。
それが、「特別扱い」ではなく「自然な優しさ」なのだと気づいた瞬間──
梨花の胸の奥に、小さな違和感が生まれた。
「……別に、気を遣う必要なんてないわ」
つい、冷たく言ってしまう。
「うん、でも僕が気を遣いたいから」
透は、柔らかく笑いながらそう返した。
彼の言葉は、何の押しつけがましさもない。
ただ、「僕がそうしたいから、しているだけ」 という軽やかさがあった。
──まただ。
彼は、今までの男性とは違う。
でも、それを素直に受け入れることが、なぜか怖かった。
だから、梨花はナプキンを広げながら、わざと視線を逸らした。
「……勝手にすればいいわ」
まるで、彼の優しさなど気にも留めていないかのように。
──だが、フォークを口に運びながら、ふと思う。
彼、普通に気が利くのね……?




