お嬢様は求めている
──この世界では、「男性と食事をする」こと自体が貴重な機会 だった。
だからこそ、白瀬梨花にとって、それは特別な出来事だったはずだった。
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その日、私は知人の令嬢を通じて、一人の男性を紹介された。
「せっかくの機会なのだから、一度くらい食事に行ってみたら?」
そんな勧めに乗る形で、彼と会うことになった。
──名前は遠藤涼。
そこそこ裕福な家庭の生まれで、世間的には「エリート」と言われる立場の男性。
表向きの印象は柔らかく、女性に対しても優しげな笑みを浮かべるタイプ。
だが、実際に食事をしてみると──彼の本性が見えてきた。
レストランの席に着き、注文を済ませる。
私はできる限り品位を保ち、食事を楽しもうとした。
──だが、遠藤は違った。
「へぇ、お嬢様ってこういうとこも来るんだ」
彼は、メニューを片手にニヤニヤと笑う。
「こういうのって、執事が全部注文してくれるんじゃないの?」
「……そんなことはないわ」
冷静に返したが、彼の態度に小さな違和感を覚えた。
遠藤は、終始「お嬢様」という立場を茶化すような態度を取っていた。
「いやぁ、でもやっぱり品が違うよな。育ちがいいって感じ?」
「でもさ、正直、気取ってるって思われることない?」
「男ってさ、もっと気楽な女のほうが好きなんだよね」
──まるで、「お前は恋愛市場で不利なんだ」と言わんばかりの物言い。
それでも微笑みを崩さない。その方が印象がいいと思って。
「あなたは、気楽な女性が好きなのね?」
「まあな。俺、あんまり気取った女は得意じゃないし」
それなら、なぜ食事の席に来たのか。
──いや、答えは簡単だった。
彼は、ただ「お嬢様との食事」をネタにしたかっただけ なのだろう。
「いやぁ、でもさ、こういうのも悪くないね。俺、友達に話せるわ。『あの白瀬家の梨花様と食事した』ってさ」
「……」
それは、あまりにも露骨だった。
この時間が無意味なものだったと、ようやく理解した。
彼は、終始そんな調子だった。
「お前みたいな完璧な女って、恋愛できるの?」
「男が引いちゃうんじゃない?」
まるで、からかうような態度。
だが、私は最後まで笑顔を崩さずに、食事を終えた。
──そして、帰り道。
彼の言葉が、頭の中で繰り返される。
「男ってさ、もっと気楽な女のほうが好きなんだよね」
「お前みたいななんでもできる女って、恋愛できるの?」
「男が引いちゃうんじゃない?」
……私は、引かれるような存在なの?
私は、選ばれない存在 なの?
──でも。
それでも。
「私は、今日、殿方と食事をした」
それは、紛れもない事実だった。
たとえ、どんなに不快な時間だったとしても。
たとえ、どんなに馬鹿にされていたとしても。
それでも──私は、「男性と二人で食事をする時間」を経験できた。
それだけで、私は「女性」として一歩前に進めたのかもしれない。
……そんなことを考える自分に、ひどくもやもやとした気持ちを抱えながら。
梨花は、静かに夜の街を歩いた。
──白瀬梨花は、男性との食事を終えた夜、鏡の前に立っていた。
「……」
ドレッサーに映るのは、完璧に整えられた自分の姿。
流れるような銀色の髪。
気品を宿した顔立ち。
誰が見ても、「名門の令嬢」として申し分ない存在。
だが、鏡の向こうの自分に問いかける。
──私は、本当に「女性」として見てもらえているの?
遠藤涼との食事。
彼の軽薄な言葉の数々が、頭の中で繰り返される。
「お前みたいななんでもできる女って、恋愛できるの?」
「男ってさ、もっと気楽な女のほうが好きなんだよね」
そう言われたとき、自分が「選ばれる側」であることを痛感した。
私は、長年、礼儀作法や品格を身につけることに努めてきた。
それこそが「名門の令嬢としての価値」だと信じていたから。
でも、それは恋愛市場ではまるで意味をなさなかった。
「お嬢様だから」
「完璧すぎるから」
「気軽に付き合えないから」
その理由で、私は「恋愛の対象から外される」。
──選ばれるための努力をしてこなかったわけじゃない。
むしろ、私は普通の女性よりもずっと多くのことを学び、身につけてきた。
でも、それが「選ばれない理由」になっている。
そんな理不尽なことがあるだろうか。
名門令嬢として生きる以上、努力をすれば報われるのが当然だと思っていた。
立ち居振る舞いを美しくするために、何度も練習した。
他人に失礼のないよう、会話の作法を学んだ。
知識を蓄え、どんな場でも恥をかかないようにした。
それなのに。
男性たちは「気楽な女性のほうがいい」と言う。
まるで、努力をすればするほど遠ざけられるような世界。
──こんなはずじゃなかった。
梨花の周囲にいた令嬢たち。
彼女たちは、次々に「選ばれて」いった。
「○○さん、婚約が決まったらしいわ」
「○○くん、××さんと付き合い始めたんですって」
そんな話題が、社交界では日常茶飯事だった。
彼女たちは、男性たちに「選ばれるための努力」をしていた。
男性を立てる話し方を身につけ、控えめで可愛らしい仕草を磨き、「守ってあげたい」と思わせる雰囲気を作ることに注力した。
それが、恋愛市場での「女性としての価値」だった。
そして、私は──
誰にも、選ばれなかった。
「私は、どうすればいいの?」
「……」
梨花は、ドレッサーの前で静かに目を伏せる。
私に、足りないものは何?
どうすれば、「選ばれる側」になれるの?
私は、男性に媚びることを学んでこなかった。
私には、誰かに甘える方法がわからない。
──このまま、「選ばれない」ままで、私は生きていくの?
それが、どこか怖かった。
気がつけば、無意識にスマホを手に取っていた。
そして、何気なく検索をする。
──「恋人代行」
本物の恋愛じゃなくてもいい。
一度でいいから、経験してみたい。
「選ばれる側」に立ってみたい。
誰かに甘えられる時間を知ってみたい。
──それが、わがままなの?
ずっと「完璧な女性」であることを求められてきた。
でも、本当に私が求めているのは……。
「……一度くらい、いいわよね」
そう呟くと、指がゆっくりと申し込みのボタンを押した。




