《番神様》はいなかった
申し訳ございませんが、《番神様》の設定については『山男』を流し読みしてみてください。。。
旅といっても、ヒコイチの場合は楽しむためのものではない。
ただ、くいつなげそうなところをめざし、あしをむけているだけだ。
このごろは、さかえた所だとすぐに、そこを仕切っている『親分』だとかの下っ端に目をつけられ、挨拶にこい、だとか、筋を通せ、といって『組』につれていかれそうになったり、金をわたせ、とすごまれる。どうやらひとめでヒコイチも《そういう》部類の者だと見抜かれるようで、目立たぬようにしていても、新参者だといやでも目をつけられやすい。
なので、こんどはしばらく山奥の方へいってみようとあしをむけたのだ。
まだ行ったことのないその山のいりくちには、《番神様》がいなかった。
《番神様》というのは《山神様》と人の間で《番》をする不思議な力をもったひとたちのことで、もちまわりで《山神様》のきげんをとり、なだめ、年に一度のまつりを取り仕切る。
ヒコイチの育った山には、その《番神様》の家系がとだえ、代わりにその家の名を配した像を山の入口であるところにかならずまつってあったのだが、それがない山があるのだということも、ながい旅でもう知っている。
そして、そういう山は、たいてい荒れている。
べつに、『山賊』が多いとか道が崩れているというわけではなく、山そのものが荒れているのだが、それはヒコイチが山育ちだから肌でそう感じるだけで、旅の途中その山をこえるだけでは、そういうことを感じる者はいないかもしれない。
この山にはいるときにも《番神様》はおらず、奥にすすむにしたがって、《荒れている》というよりも、なんだか落ち着かないという感じをヒコイチは受け続けていた。
だから、あんな小さな音もすぐ耳についたのかもしれない。