嵐(クリスティーナ)が去った後に
ようやくクリスティーナが帰ってくれた事に安堵し、私は深い溜め息をつくと目の前のカモミールティーを一口飲んだ。
あぁー、心が浄化されるー。
クリスティーナの訪問から数刻。
私と旦那様は人払いをしたサロンで向かい合わせに座っていた。
旦那様は帰宅したばかりだったし、私は私であんな事があったばかりだったので、お互い準備が整ってから改めて話をしようという事になったのだ。
「……フェアファンビル公爵令嬢のあの振る舞い。おまえ、公爵家ではいつもあんな扱いを受けていたのか?」
旦那様が言いにくそうに口を開く。
『いや、あんなのまだまだ可愛い物で、実際の公爵家での暮らしはもっととんでもない物でしたよ!!』
と本当の事は流石に言えず、どうしたものかと考えている私の手元にチラチラと先程の精霊達が寄って来た。
そう、さっきクリスティーナが投げた紅茶から私を守ってくれたのは、実はこの精霊達なのだ。
クリスティーナがこちら目掛けてティーポットを投げ付けて来た時はもう駄目かと思った。思わず手で顔を庇ったその瞬間、いつもより強い光を放ちながら飛び込んで来たこの精霊達がティーポットを叩き落としたのだ。
素 手 で
そう。素手でティーポットにチョップした。
もっと精霊的な何かの力で助けるのを想像していたので、あの光景を思い出すと正直未だにジワジワと可笑しさが込み上げで来る。
精霊達を見て思わずふふふ、と思い出し笑いをしそうになっていると、ふと旦那様が驚いた顔をしてこちらを見ているのに気付いた。
とっさに寄って来た精霊達を手で覆い隠す。
え? やっぱり旦那様にも見えてるの!? 嘘、なんで!!?
今まで自分と両親以外、精霊の姿が見える者に出会った事は無かった。
魔力が高い人にしか見えないのかな? と漠然と考えていた時期もあったが、かなりの高魔力保持者でも精霊達は見えていなかったのだ。
さっきもクリスティーナは光に気付いた様子も無かったし、一体見える人間と見えない人間にはどういう違いがあるのだろうか?
ちなみにだが、クリスティーナもかなりの高魔力保持者だ。さすが根性腐っても公爵令嬢である。
「その光はなんだ? さっきも同じ様な光が飛んでいたがやはりお前が何かしているのか?」
「……旦那様にも見えるのですか?」
「そりゃ見えるだろう。それだけ光っていれば嫌でも目に入る。新種の魔道具か何かか?」
いや、えーっと……精霊の事って話していいのかな?
小さい頃はお母さんに、
『他の人には見えないから話しちゃダメよ。変な子だと思われるから』
と言われて納得していたが、この場合どうなんだろうか?
私も精霊について詳しい訳じゃないしなー。
どうしたらいい? と当人達の意見を聞こうと手のひらの間から精霊達を覗き見るが、キョトンとした顔をして首を傾けているだけだ。
ーーよし、とりあえず誤魔化そう。
「えーっと、そうですね。はい、多分魔道具です!!」
「多分って何だよ…………」
「実は、私自身も良く分かっていないんですよ」
「…………」
「ほら、私は自分の素性すら知らずに暮らしていた位ですし。両親についても、自分についても、この件についても、正直わからない事だらけなんです」
……これは、本当にそうなのだ。正直わからない事だらけだ。
私の方が誰かに教えて欲しい。
「そういえば前から気にはなっていたのだが、お前いつも同じペンダントをしていないか? もしやそれが魔道具なのか?」
「あ、コレですか? よく気が付きましたね!」
今日は珍しくドレスなんか着ているから目立つが、普段出来るだけ服の中に隠す様に付けていたペンダントの存在に気付かれているとは思わなかった。
洋服のデザインによっては見えてたし、それで気付いたのかな?
「これは確かに、御守りだから絶対にいつも身に付けておく様にと言われていた魔道具のペンダントです。
……でも、壊れちゃったんですよ」
「そうなのか? もう使えないと言う事か?」
「そうですね、もう効果は無いと思います。ほら、ペンダントの真ん中のこの部分に窪みがあるでしょう? 本当はここに魔石がはまっていたんです」
「魔石か……。どんな効果がある物だったんだ?」
「瞳と……髪の色を変える効果です」
旦那様はハッと気付いた顔をした。
そう、今の私のこの金色の髪は、王家か筆頭公爵家の血を引いた人間である証。こんな姿で平民として暮らせる訳が無い。
「物心付いた頃には、このペンダントを付けていました。その頃は瞳も髪も茶色くて。それが普通に自分の色なんだと思ってました」
かつての私は自分の本当の髪色さえ知らずに平民街の、しかも下町と呼ばれる区域で両親と三人で暮らしていた。
もちろん富裕層の人達に比べれば慎ましい生活だったが、衣食住に困る事も無く勉強も好きなだけさせて貰える、十分恵まれた環境だったと思う。
そして、物心付く頃には既に自分が少し周りとは違うという事にも気が付いていた。
正確には『私が』というより『両親が』だが。
父も大概だったが、母はまぁ浮世離れしていた。
世間知らずというか、天然というか、何だか箱入りのお嬢様の様な母。
かと言って、下町で浮いて迫害される様な事も無く、不思議と周りに馴染み愛される事が出来る母は稀有な存在だったと思う。
天性の人たらしとは母の様な人の事を言うのだろう。
だから正直、父から自分の出自について明かされたときは本当に驚いた。
あれは私が中等学舎の卒業を控え、その後の進路について考えていた頃。
高等学舎に進学するのか、当時住んでいた町で仕事に就くのか、はたまた相手を探して結婚するのか……。
悩む私に、父が『きっといつか知る事になるから』と自分が公爵家の出である事を教えてくれたのだ。
あの2人が実は貴族の出なのは想定の範囲内だったけど、まさか公爵家が出て来るとは想像以上に大物だったし、それ以上に驚いたのは公爵家の血筋が『父の方』だった事だ。
私はてっきり、高位貴族の母とそこまでの地位では無い父が駆け落ちでもしたのだと思っていた。
初めて真実を聞いた時は、
「えっ!そっち!??」
と叫んでしまった位である。
何故か私と母にだけはっきりと見えて、会話も出来る精霊達の存在。
それも『母が高位貴族の令嬢ならそういう事もあるのかな?』位に思っていた。
平民で魔力持ちは少ないが、貴族になると殆どの人間が魔力を持っている。それも高位貴族になるほど魔力が高いと言われているのだ。
母に精霊が見えて話せるのはその高い魔力のお陰で、父に精霊がただの光に見えるのは魔力が足りないせいなのだろうと思っていた。
平民が魔力量を測る機会など無いので、それが間違いだという事にも気が付けなかったのだ。
精霊達と歌を歌いながら、ひと針ひと針祝福を込めて刺繍を刺していた母の姿を思い出す。
その光景はあまりに神秘的で、公爵家の令嬢どころか『実は母はどこかの王女様でした!』とか言われても信じただろう。
そんな母が下位貴族の令嬢で、父こそが公爵家の令息だったのだ。
世の中分からんものである。
「フェアファンビル公爵家の人間が私を探しに来た時、嫌がる私から無理矢理ペンダントを奪って魔石を叩き割ったんですよ」
「なっ!?」
「ペンダントを外しただけでは、暫くは髪の色も瞳の色も元には戻らないんです。2〜3日待ってくれればいいだけだったんですけどね。時間が勿体無いからって、いきなりバキッと。大元の魔石を壊せば魔力が直ぐに途絶えてあっという間に元に戻りますから」
「そういうものなのか?それにしたって随分乱暴だな」
「父も母も行方知れずになっていて……まぁ、周りからは死んだんだって言われてるんですけどね。とにかく、小娘1人どうとでもなると思われていたんでしょうね。最初から最後まで丁寧に扱われた事なんてないですよ」
思わず自嘲気味に笑ってしまう。
「……話し過ぎました。
すみません、分からない事だらけで気味の悪い妻かもしれませんが、伯爵家に害意は無いので大目に見てやって下さい。お仕事はバッチリこなしますよ!」
思いの外自分の事を話してしまった私は、慌てて話題を変えようと少しおどけてみたのだが、旦那様は静かに何かを考えていた。
私は、自分自身の事について他人にあまり話さない。
生い立ちがあまりに特殊な事もあるが、行方知れずの両親の事を思うと、誰を信用していいのか分からないのだ。
今までも私に手を差し伸べようとしてくれた人はいたが、私にはその手をとる事は出来なかった。旦那様の事も伯爵家の人たちも悪い人には思えないが、残念ながらまだ信用する事は出来ない。
「いや、……私こそお前の事を何も知ろうとしていなかったらしい」
神妙な様子でそう語る旦那様に少し面食らう。
「初夜の事も、申し訳ない事を言ったと思っている。もっと早くに謝れば良かったのだが、言い出しにくくてな……すまなかった」
頭まで下げられた。
高位貴族様が! 元平民に! 頭を下げる……!?
「ちょっと……驚きました」
「何がだ?」
「まさかそんな、貴族の方が頭を下げるなんて思いもしなかったもので……」
「貴族だって、悪いと思えばきちんと謝るぞ?」
「そうなんですね……私の知ってる貴族が謝る姿があまりにも想像できなかったので……」
「お、おぉ…………」
さっきサロンに来る前にセバスチャンから聞いたのだが、旦那様は応接室の隣室の仕掛けを使ってこちらの様子を見てしまったらしい。
つまり、社交界の華と謳われ優しく可憐だと信じていたクリスティーナのあんないやらしい顔を目撃し、罵倒を聞いてしまった訳だ。
……心中お察しする。
「旦那様」
「ん? 何だ?」
「私をしばらく、領地へ置いて下さいませんか?」
「急に何故だ? まさか、王都で何か嫌な目にでもあわされているのか!?」
「いいえ、私はほとんど邸の外に出る事はございませんし、邸の者達はみんな良くしてくれています。
……クリスティーナの事です」
クリスティーナがあれで引き下がるとは思えない。私がここにいる以上、きっとまた押しかけて来るだろう。
他家からのお茶会の誘いを断り続けるのにもそのうち無理が来るだろうし、私自身も伯爵領には行ってみたいと思っていた。ある意味これは丁度良いタイミングだと思う。
「私がここにいれば、必ずクリスティーナはまた来ます。
それにクリスティーナは……旦那様を狙って来ると思います」
「私の命を!? 何故だ!??」
「いや、命じゃなくて……その、誘惑して惚れさせてやろうとかそんな感じです」
「何で今更……私との縁談をお前に押し付けたのは向こうだろう? 私はもはや既婚者だぞ?」
「だからこそですよ。クリスティーナは私の物を奪い取るのが大好きなんです」
理解出来ないといった様子で絶句する旦那様。
貴族社会の真っ只中で、よくこんな人間を純粋培養出来た物だなと感心する。
「旦那様、私は別に追い出されて領地に行く訳ではないのですよ? 元々、伯爵領には行ってみたいと思っていたのです」
私が笑顔でそう言えば、旦那様はジッと私を見つめた後、不承不承頷いてくれた。
「……そうか、分かった。確かに伯爵領はいい所だからな。マーカスには連絡を入れておくから、一度ゆっくりと過ごしてみるといい」
「ありがとうございます! 旦那様」
「ああ、流石に今日は疲れただろう。部屋に戻ってゆっくり休め」
旦那様にそう促され私はお礼を述べて部屋から出て行こうとしたが、1つ言い忘れた事があるのを思い出しクルリと後ろを振り返った。
「先程、旦那様は私の事を何も知ろうとしていなかったとおっしゃっていましたが……。ちゃんと名前は覚えて下さっていたんですね」
「何?」
「いつも、君とかお前とか呼ばれているので、名前も覚えられていないのかと思っていました。さっき、初めて呼んで下さいましたよね。
『アナスタシア』って」
「…………」
「ちょっと、嬉しかったですよ。背中に庇って貰えて。ありがとうございました。
……おやすみなさい」
そう言って部屋を出て行ったアナスタシアは、残されたユージーンの耳が真っ赤になっている事に気付く事はなかった。
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