見えていなかった物(Side:ユージーン)
(Side:ユージーン)
「伯爵様、ハミルトン家の遣いだと名乗る者が訪ねて来ております。至急お邸にお戻り頂きたいとの事ですが……」
いつものサロンで学生時代からの仲間達とそれぞれの研究の成果について語り合っていると、サロンのオーナーが慌てて私を呼びに来た。
今までこんな風に邸に呼び戻された事など無い。
ーーあの女が何かやらかしたのか?
全くあれ程余計な事はするなと言っておいたものを……と舌打ちしながら帰り支度をする。
アナスタシアと婚姻を結んで数週間。
余計な事をするでも無く、謙虚に勉強に勤しみ、使用人達とも打ち解けた様子を見せているアナスタシアの事を少しは認めてもいいかと思い始めていたのだが、かいかぶりだったのだろうか。
「大丈夫か? ユージーン。大体お前、新婚だって言うのに奥方を放っておき過ぎなんじゃないか?」
「あの結婚が色々と訳ありなのは私達も知ってはいるが、それと奥方本人を蔑ろにするのとはまた別問題だろう?」
婚姻前に酒を飲みながら下卑た会話をしていた悪友達と比べると、こちらの友人達は至って善良な意見を述べて来る。
かつて、『友人を選べ』とお祖父様に言われた時、『皆同じ学園の卒業生なのだから分け隔てなく友情を育むべきだ』と主張した己の若さを思い出し小さく息を吐き出した。
『ユージーン、視野を広く持て』そう言っていたお祖父様の声も耳に蘇る。
ーー私には、何かが見えていないのだろうか?
ユージーンが急ぎ伯爵邸へ戻ると、邸の前でひどく狼狽えた様子のマリーが顔を蒼くして立っていた。
「どうした、あの女が何かしでかしたのか!?」
馬車から降りたユージーンが駆け寄ると、マリーは顔を蒼くしたまま首を左右に激しく振った。
「奥様は何もしていません!! フェアファンビル公爵令嬢が前触れも無く突然いらっしゃったのです。慕っている姉を訪ねて来たとはおっしゃっていましたが、奥様のご様子からするとあまりその様には見えなくて……」
ーーフェアファンビル公爵令嬢が?
妹が姉を訪ねて来るというのはおかしな話ではないが、恐らくアナスタシアは公爵家であまり良い扱いを受けていなかったのではないかと思う。
駆け落ちなどして家名を汚した人間の娘なのだ。何よりも己の名誉を大切にする貴族にとって、両手を挙げて迎え入れられるような存在では無いだろう。
しかし、私の知るフェアファンビル公爵令嬢は淑女の鑑とも言える美しく嫋やかな令嬢だ。アナスタシアが公爵家で難しい立場にいたからこそ、彼女だけはそんな義姉に寄り添っていたという可能性もある。
そういえば他家からの茶会の招待に混ざって、フェアファンビル公爵家からもアナスタシアに会いたいやら茶会に来て欲しいやら手紙が届いていると聞いた気がする。
他家との交流はどう考えても時期尚早かと思い全て断る様に指示していたが、そのせいで心配をさせてしまったのかもしれない。
……まぁ実際初夜では暴言を吐いてしまったしな……
正直後ろめたい気持ちはある。
その後ろめたさも手伝って、せめて夕食は一緒にとる様にはしていたのだが……。
「先程まではセバスさんとミシェルさんがお側に付いていたのですが、フェアファンビル公爵令嬢が人払いを願われて今は応接室にお2人だけなのです」
成程、その状態の部屋に入って行けるのは私だけかもしれない。
「分かった。とにかく様子を見に行こう」
マリーに上着を預けそのまま応接室へ向かうと、扉の前にセバスチャンとミシェルが控えていた。
「マリーから話は聞いた。詳しく状況を説明してくれ」
「申し訳ございません。前触れも無く突然フェアファンビル公爵令嬢が訪ねて来られまして。お約束も無い事ですし、取り敢えず今日の所はお帰り頂く様お願いしたのですが、自分は奥様の妹なのだから自由に会えないのはおかしいと、何か会わせられない様な事情があるのかと仰られたのです。それで使いの者をやり急ぎ旦那様にお戻り頂いたのですが、その前に奥様がご自分が対応すると……」
ーーふむ。
この話だけ聞くと、やはり姉の身を案じたフェアファンビル公爵令嬢が訪ねて来ただけの様に思うのだが、何故使用人達はこんなに心配をしているのだろうか?
使用人の前での私のアナスタシアへの態度はおかしく無いはずだし、聞かれて困る様な事は無いだろう。
確かに強引に他家に上がり込む行為は感心出来ないが、それだけ姉を心配していたのかもしれない。
……もしや、あの女の公爵令嬢に対する態度が悪かったのか?
私に対してもあんな生意気な口をきくくらいだからな。十分あり得る。
「あの女が公爵令嬢に何か無礼でも?」
私がそう尋ねるとセバスとミシェル、後ろから追いかけて来ていたマリーがギョッとした顔をする。
何だ? 何か私はおかしな事を言ったか?
「……坊っちゃま。セバスは坊ちゃまのその真っ直ぐな所は長所であると思っております。しかし、貴族社会では表面からでは分からない事も多うございます」
「? 当たり前だろう。今更何を言っておるのだ?」
「これから私めがする事は褒められた事ではございません。しかしながら、それでも坊ちゃまにお見せしたい物がございます。ミシェルとマリーはこのままここで待機していなさい」
そう言うと、セバスは公爵令嬢がいるはずの第一応接室ではなく、その隣の小部屋へと入って行った。
不思議に思いながらもその部屋へ付いて入ると、セバスは壁に掛かっている額を取り外している所だった。
「これは、何代も前の御当主様が作らせた物です。こちらからは向こうの部屋の様子が見えるし声も聞こえますが、向こうからはこちらの様子は一切分からない様になっております」
セバスが額を取り外した壁はガラス窓の様になっていて、応接室の様子が見えた。
邸内にこんな仕掛けがあった事を知らない私は驚いてセバスに問う。
「一体いつから!? 誰が何の為にこんな物を作ったのだ?」
「もう何代も前の御当主様です。当時伯爵家は他国との貿易も多く、中には信用し難い取引もあったそうです。そこで交渉相手を見極める為にこの様な仕掛けを作ったそうですよ」
確かに貴族の邸には様々な仕掛けがあるものだが、まさか自分も知らないこんな仕掛けがあったとは……。
驚きながらも窓部分から隣の応接室を覗くと、何故かフェアファンビル公爵令嬢がティーポットを掴みアナスタシアににじり寄っている所だった。
優しい妹が姉にお代わりを勧めている、という訳では無いよな。
『そんな風に表面だけ綺麗に着飾って男は騙せても、育ちの悪さは滲み出るのよ! 私がお似合いの顔にしてあげるわ!!』
……嘘だろう。
とんでもない言葉が耳に入って来た。
余りの状況に理解が追い付かない私を置いて、応接室の状況は刻一刻と悪くなって行く。
『本気ですか? 他家の夫人にそんな事をして、いくら公爵家の令嬢とはいえただでは済みませんよ?』
『大丈夫よ。これは正当防衛だもの』
『は?』
『お姉様が私に熱い紅茶をかけようとしたから、抵抗して揉み合っている内にお姉様が紅茶を被ってしまったの。
ね? 正当防衛だわ』
ーーマズイ!!!
私は部屋から飛び出すと転がる様に走り、その勢いのまま応接室の扉を開けた。
「きゃあぁぁぁーー!」
ガシャアァン!!
何故か部屋の中が眩しくて様子が見えない中、フェアファンビル公爵令嬢の悲鳴と陶器の割れる音が響く。
「アナスタシア!! 無事か!?」
眩しかったのは一瞬だけで、直ぐに元に戻った室内。扉に背を向けて立つアナスタシアの姿を見つけ、私は駆け寄った。
「えっ? あ、旦那様!?」
アナスタシアの肩に手を置くとクルリと身体をこちらへ向かせ、頭のてっぺんから足の先まで目視で確認する。
良かった、紅茶を被った様子は一切無い。
見れば何故かティーポットはクリスティーナとアナスタシアの丁度真ん中辺りで割れて転がっていた。
溢れて絨毯に染み込んだ紅茶からはまだ湯気が立っている。
こんな物被ったら軽い火傷では済まなかっただろう。
「怪我はないか? 紅茶はかからなかったか?」
改めてアナスタシアをよく見ると、普段とは違い美しくドレスを纏い、髪も結い上げている事に気付く。普段より化粧も丁寧に施されていて、何というかこう……
ーーこいつ、こんなに美人だったか?
何だかアナスタシアの周りがキラキラと輝いている様にさえ感じる。
ーー美しくて、まるで光が舞っている様に……って違うな。
あれ、これほんとに何か飛んでないか?
アナスタシアの周りを、数個の光がふわふわと飛んでいる。
不審に思いその光を目で追いかけていると、それに気が付いたアナスタシアがギョッとした顔で私を見た。
「だ、旦那様? 何を見てーー」
「ユージーン様っ!!」
「「あ」」
ふと見れば、完全に無視された形になったフェアファンビル公爵令嬢がプルプルと肩を震わせていた。
「これは失礼致しました。フェアファンビル公爵令嬢。本日は当家にどういったご用事でしたか?」
笑顔で穏やかに挨拶をするが、先程隣の部屋からとんでもない物を見てしまった後だ。思わずアナスタシアを自分の背に隠してしまう。
「私、お姉様が心配だっただけなんです。でも、お姉様には私はお邪魔だったみたい……。ごめんなさい、お姉様」
そう言うと目にウルウルと涙を溜める。
「きっと、私が何かお姉様の気に触る事を言ってしまったのね? だからこんな……」
よよよっと泣き崩れる公爵令嬢。
どうやらアナスタシアが自分に紅茶を投げ付けた事にしたいらしい。
ーー怖っ!!
目の前にいる可憐な公爵令嬢が、先程までアナスタシアを罵っていたあの令嬢と同一人物とは俄に信じがたい。
「失礼致します。旦那様、お部屋を変えられては如何でしょうか?」
部屋の空気がどうにもし難い雰囲気になっていた所、セバスが助け船を出してくれた。流石だ。
「あ、あぁそうだな。では別の部屋に案内しようか」
「いえ、旦那様。フェアファンビル公爵令嬢は丁度お帰りになる所だったのです」
アナスタシアがニッコリとそう言う。
フェアファンビル公爵令嬢は一瞬悔しそうにアナスタシアを見た気がしたが、ここで長居をしても自分に優位な展開にはなりそうにないと判断したのだろう。
「ええ、そうね。今日はこれで失礼致しますわ」
と、ハンカチで目頭を押さえながら退室して行った。
途中私の横を通り過ぎる時、
「あっ」
と私の方によろめいて来たのだが、思わず避けてしまった。本来であれば支えて馬車までエスコートを申し出るのが紳士の行いなんだろうが……。
ーーとてもそんな気になれない。
私のそんな空気を察したのか、デキる執事のセバスチャンが丁寧にフェアファンビル公爵令嬢を案内して部屋を出てくれた。
ありがとう、セバス……。
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