悪役令嬢の仮面を外すとき 〜婚約破棄だと思っていたのに愛されていたなんて、完全に予想外でした〜
「気持ち悪いですわ! 触れないでくださいまし!」
私には、生まれたときからの婚約者がいます。
十歳も年上とはいえ、ずっと憧れていたハリー様。
藍色の瞳と、金色の髪が煌めいて、とても眩しいお方です。
十八になっても淡い想いは捨てられず、ズルズルと婚約期間をのばしているだけ。
ハリー様に酷い態度しか取れないのに。
◆◆◆◆◆
十二歳のとある日、ひょんなことから私がお父様の子供ではなかったことを知ってしまいました。
それまでは、あのお方の婚約者であることが嬉しくて、ただただ淡い恋心だけを抱いていましたのに。
「チッ。お前と使用人の子供だからだろう。頭は悪いし、器量も悪い。私に似ていない黒い髪も、茶色い瞳も、美しくない。とりあえず、従順なところだけが取り柄だろうな。このまま侯爵家のガキに惚れさせておけよ?」
「はい…………承知しております」
お父様とお母様の会話を聞いてしまった瞬間、私はいろいろなことを理解してしまいました。
お父様もお母様も麦穂色の髪なのに、なぜ私だけ黒いのか……。そういうこと、だったのですね。
彼の家系は文武両道で、彼のお祖父様は軍の上層部、彼のお父様はこの国の宰相閣下。
そして、彼は騎士団の副団長でもうすぐ団長に昇進だと言われています。
「ビオラ、ハリーくんと結婚して幸せになるんだよ?」
お父様は私にはそう言いながら微笑まれていますが、裏のお顔は既に知ってしまっています。
以前のように幸せそうに、馬鹿みたいな笑顔で返事なんてできません。なので、そっと俯き淑女の微笑みをこぼすだけ。
お父様はそんな私の反応を見て、『大人になったな』と喜んでいます。
騙されて、馬鹿みたい。
私も、お父様も、お母様も、馬鹿みたい。
◇◇◇◇◇
「触れないでくださいまし!」
「だが、エスコートをせねばならないのでな。我慢してくれ」
「フンッ」
ハリー様が少し寂しそうに藍色の瞳を細めるたびに、私の心臓は剣で貫かれたような痛みを感じます。
ハリー様が私を見かけると温和な笑顔になられるのも、心臓が剣で貫かれたように痛むのです。
なぜなら、ハリー様が私に抱くのは『妹』としての愛情のみなので。
私はいつもタイミングが悪いのです。
先日、ハリー様に差し入れをしてくるようにとお父様に言いつけられ、渋々のていで騎士団にある執務室へ向かいました。
下級の騎士に案内され、執務室の前に立ったときに聞いてしまったのです。
「思春期だろう? しばらくしたら諦めて素直になるんじゃないか?」
「俺はちゃんと、ビオラを妹のように想っているんだがな……」
「なんだ……まぁ、頑張れや」
あぁ、聞きたくなかった。
彼とは結ばれることはないとわかっていたのに。
酷い態度を取っていても、彼は私を愛してくれているから、抜け出したくない……。なんて、馬鹿な勘違いして。
本当に、馬鹿みたいだわ。
あの日から、私の本当の戦いは始まりました。
ハリー様から婚約破棄を言い出してもらうための戦いです。
今までは私が嫌がっているふりをして、結婚を先伸ばしにしていましたが、今はハリー様が私を嫌がるように仕向けています。
そして、できればハリー様から婚約破棄をしていただきたいのです。私の素行が悪く、侯爵家には相応しくない、という理由で。
そうすれば、私はどこか遠くの修道院に送られるでしょうから。
ハリー様にエスコートされながら夜会のホールを歩いていると、最近デビューしたばかりの男爵家のご令嬢が話しかけて来られました。
「ご機嫌よう」
「まぁ、今日もお二人お似合いですわね」
「何をおっしゃられていますの? こんなムサ苦しく筋肉ばかりで優雅さのない男性と、私がお似合いですって?」
「え、あ…………その、申し訳ございません」
「まぁ、構いませんわ。この方、騎士団長という地位だけはありますものね。持ち上げておいて損はないでしょうし…………。ね、そういうことでしょう?」
にこりと笑い、首を傾げながら両手をポンと軽く合わせる。そうすると、話しかけてきた方々は、なんとも言えないお顔で立ち去って行かれます。
「ビオラ、ああいった態度は感心しない」
珍しくハリー様が不機嫌さを顕にされていました。
「あら? 小さな小さな自尊心が傷つけられまして?」
「いや。私に関して差異はない。だが、ただ挨拶をしてくれただけのご令嬢方に、あのような下卑た考えをしているのだろう、と投げつけるのは流石に我慢ならない」
――――泣くものか。泣いてたまるものか。
「そうでしょうか? 下級貴族の令嬢など、その程度ですわよ。親も同じく」
「………………それは、君もそういう考えだと?」
「っ……さあ? どうでしょうね?」
ハリー様の眉頭に皺がより、藍色の瞳が濃くなったような気がしました。
「私は君の本心が知りたい。ビオラ、君はこのままこんな態度を続けるつもりなのか? 今後のことをちゃんと考えているのか?」
あぁ、ハリー様は残酷です。
こうやってまざまざと見せつけてくるのです。私がハリー様にとって妹でしかないという事実を。
どうか、私など捨て置いてください。
父の毒牙に咬まれないでください。
侯爵家を内側からじわじわと乗っ取ろうなどと、頭の悪いことを言う父。
身も心も醜いあの男と縁続きになんて、なってはいけないのです。
だから、ハリー様に縋りつきたい弱い自分を隠して、勝ち気に嗤うのです。
「アハハハハハ! 本心ですって? そんなことを面と向かって女性に聞くなんて、貴族としての教育をちゃんと受けましたの? 脳みそまで筋肉で出来てるのではありませんこと?」
「……ビオラ」
ハリー様が悲しそうなお顔で私の名前を呟きました。
そのお顔が、その声が、私の心臓を酷く締め付けます。
「すまない。私は先に帰る…………本当にすまない」
夜会でエスコート相手を置いていくというマナー違反を犯すほどに、私に耐えられない。そう、言外に言われたような気がしました。
――――泣くな。私に泣く資格なんてない。
下唇を噛み、目蓋を瞬かせて湧き出そうになる涙を散らします。
壁に寄り添い、ぼぉっと会場内を眺めているときでした。
「ビオラ! ハリーくんが出ていく姿を見たが!? 何か事件で出動がかかったのか?」
お父様が酷く焦ったようなお顔です。
にこりと微笑み、小首をかしげました。
「さあ? 私の言葉や態度に耐えられないとのご様子で、先に帰ると仰られましたわ。非常識な方ですわね」
「っ! お前は――――!」
お父様のお顔に怒りが浮き出てきました。
大きな声を出しかけて、グッと堪えたようです。
ここらが頃合いでしょうね?
「私、あの方が嫌いなのです。生理的に受け付けませんわ」
「っ…………! その話は家に帰ってからだ」
お父様にグイグイと腕を引かれながら会場を出て、馬車に詰め込まれました。
馬車の中では無言で過ごしましたが、お父様が足をガタガタと揺らして今にも怒鳴りだしそうな雰囲気です。
家に着き、お父様の執務室へ放り込まれ、床に倒れ込んだ瞬間、頬がありえないほどに熱くなりました。
パァンと乾いた音が執務室に響きます。
顔を真っ赤にしたお父様の右手には馬用の鞭が握られていました。
その鞭を何度も何度も振り下ろし、私の顔や体を痛め付けて来ます。
「お前は! 私がどれだけ大変な思いをして、あのガキと婚約させたと思っている! あのガキに! どれだけ頭を下げたと思っている! あのガキの家に! どれだけ辛酸を舐めさせれられていると! やっと! やっと復讐ができるというときにっ――――」
振りかざされた鞭が私に振り下ろされる瞬間でした。
「――――そこまでだ」
「な!?」
低くゆっくりとした、耳触りの良い声。
金色の髪と濃紺の瞳。
夜空とお月さまを持った、私の大好きな方。
「…………ハリーさま?」
「ビオラ。すまなかったね……本当に、すまない」
ポカンとしているお父様を押し退け、ハリー様が私に近づいて来ました。
ゆっくりと後ずさりしていたのですが、それよりも早く歩き、ギュッと抱きしめてくださいました。
「なんで?」
「……ずっと、苦しめていて、済まなかった」
「っ、なんで?」
わけが分からなくて、なんでなんでとそればかりを呟き、ハリー様の胸に抱きつきながら、幼い子供のようにわんわんと泣いてしまいました。
ハリー様は、そんな子供みたいな私をきつく抱きしめ、ずっと謝られていました。
その後、執務室に雪崩れ込んできた騎士様たちに、お父様が後ろ手で捕らえられました。執務室の片隅に置物のようにいたお母様も。
私も捕縛されるのだろうと手を後ろに回すと、ハリー様が慌てたような声で私の両腕をがしりと掴みました。
「ビオラ!? 何を!?」
「抵抗はいたしません。どうぞ捕らえて下さい」
「っ! あ……分かった。君を、捕らえる」
何故かハリー様に抱きしめられたあと、唇にふにっと触れるだけのキスをされました。
「君は、私に一生捕らえられるんだ。いいね?」
「…………? え?」
「っ――――! その、私と一生、共にいてくれないか?」
「へっ!?」
その時のハリー様の真っ赤なお顔は、あまりにも可愛らしくて、普段とのギャップで心臓がいつにも増してギュムムムと締め付けられました。
どうやら、婚約破棄にはならないようです。
「破棄? するわけがないだろう? こんなにも深く深く愛しているのに」
「では、もう、悪役のような態度は…………しなくてもいいのでしょうか?」
「ああ。そんな仮面は不要だ」
「っ……はいっ」
ハリー様に両頬を包まれ、長く深くキスを落とされました。
「一生、離さない」
「っ、はい」
――――どうやら、悪役令嬢の仮面を外すときが来たようです。
◆◇◆◇◆
生まれる前から決められていた婚約者のビオラ。
初めて顔を合わせたのは、私が十歳で彼女が〇歳のとき。
生まれたばかりでふにふにとした、とても愛らしい赤ん坊だった。
「ハリーよ、この婚約は破棄したければして構わない」
父の執務室で告げられた言葉を理解するまで、しばらくの時間が必要だった。
母上の妹――叔母上の夫が、出仕先の伯爵家で不貞を働いたとのことだった。
そして、相手が妊娠してしまったらしい。
その子の婚約者に私がなるのであれば、叔母上の夫の命を助ける。そう言われたそうだ。
「…………なるほど?」
「まぁ、そういう反応になるとは思った。妻――ジュリアに頼み込まれたので受理したが、お前が嫌だったら破棄して構わない」
どうやら母が叔母上に泣きつかれたらしい。確かに最低だが、命までは……と。
父は母を溺愛しているので、母の頼みは基本断らない。
それとは別に、政治的な方面で、伯爵家とその上にいる公爵家を大人しくさせておきたい目的もあるそうだ。
であれば、私はそのままで構わないと伝えた。
彼女は可愛らしかった。
深い夜の髪、チョコレートのような甘い瞳、太陽のように笑い、口元に現れる愛らしいえくぼ。
全てが愛しいと思えた。
騎士団の副団長になって暫くした頃、彼女の態度が余所余所しくなった。
私が騎士団のことに手を取られすぎているせいかと、最速で仕事を終わらせて逢いに行くが、やはり余所余所しい。
そもそもだ、二十歳を過ぎた大人の男が十二歳の少女を愛おしく思っているのが拙いのでは?
はたとそんな事実に今更気付くほど、私は彼女しか見ていなかった。
それからはなるべく異母妹だと思うようにした。
彼女の成長を優しく見守り、変な虫は殲滅し、いつか彼女に好きな男ができたのなら、私は血の涙を流して祝福しようと。
ビオラが十八歳になった。
月のない静かな夜のような髪と、甘いココア色の瞳に吸い寄せられる蛾が多すぎる。
そして悔しいことに、彼女は私のことを信頼してはくれない。
余所余所しい態度から、刺々しい態度になり、明らかに私に嫌われようとする態度。それなのに、伯爵家は婚約破棄をする素振りはない。
流石に何かがおかしいと数年前から気付いていた。
彼女の父の怪しい動きも。
だが、肝心の尻尾がつかめない。
「あの派閥は弱いからな――――」
何かしらヘマをしてくれれば一瞬にして消せる、と父が悪どい嗤い方をしていた。
「消し飛ばして構いませんが、ビオラはもらいますよ?」
「……彼女があちら側でなければな」
「絶対に、ありえませんので」
状況から考えて、ビオラは違う。
だから頼って欲しいのに、伝わらない。
彼女はいつもこっそりと私を見ている。見つめてきている。
職業柄、視線に気付かないわけがないのだ。
彼女の態度と視線の食い違いが私に希望を抱かせる。
直接確認したい。
だが、彼女に付いている侍女や、少し離れてはいるものの必ず近くにいる伯爵の存在が邪魔だった。
日に日に酷くなる彼女の態度に、伯爵の我慢が限界のようだった。
伯爵は何が何でもこの婚約を結婚に持ち込みたいのだろう。
「すまない。私は先に帰る…………本当にすまない」
これは賭だった。
『夜会でエスコート相手を置いて帰る。それほどのマナー違反をするほどに、ビオラを嫌っている。』
目を光らせている伯爵家に焦りを覚えさせるためのパフォーマンス。
そのせいで起こりうる事は、何パターンも考えた。
あの気弱な伯爵のことだ、家に帰ってからしか行動は起こさない。安全圏でしか、動かない。
だからこそ、尻尾を掴みそこねているのだが。
騎士団に連絡し、伯爵家に忍び込んだ。
屋敷に残っていたビオラの母上に伝えると、深々と頭を下げて「娘だけはお助けください」と頼まれた。
彼女は何も関わっていないからと。自身の命などどうでもいいからと。
「安心しろ。彼女は一生をかけて幸せにする」
「ありがとうございます」
彼女を今すぐに助けに行きたい。
だが、彼女の今後のためにも、この国のためにも、伯爵の口から証拠が出るのを待たねばならない。
彼女の顔に傷が残ってしまうかもしれない。なのに、助けられない。
私はなんと無力なのだろうか。
――――すまない。一生をかけて君に償うと誓おう。
―― fin ――
閲覧ありがとうございます。
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