あ話「穴」
その日の俺はいつものようにコンビニで買ったパンとお茶を片手にベンチに赴くという、非常に冴えないランチタイムを過ごしていた。
手持ち無沙汰にスマホを弄っては周囲の声に耳を傾ける。
その公園は中々に広いため、昼時にも関わらず親子連れの姿が多く見られた。
キャッキャとはしゃぐ子供の声がよく聞こえる。
「元気で何より」などとぼんやり考えていた時だった。
俺の座るベンチから少し離れた通路の真ん中で、幼稚園児くらいの少女がしゃがみ込んで何かを描いていた。
(チョークのラクガキか……懐かしいなぁ)
最近はあまり見ないような気がする遊びだ。
しかし個人宅の庭ならともかく、公園の──それも歩道となると苦情が出てしまうかもしれない。
余計なお節介かと思いながらも、俺は保護者らしき人物がいないかと周囲を見回す。
しかし近場にはボール遊びをしている親子やジョギングをしている男性がいる位で、少女の親らしき姿は見当たらなかった。
(おいおい、小さい子放置かよ)
かといってこのご時世だ。
下手に声をかけたら事案発生だろう。
どうしたものかと考えていると、少女はガリガリと丸を描いて立ち上がった。
どうやらラクガキは終わりらしい。
歪な丸を眺めている内に少女はテトテトと走って行ってしまった。
関わらずに済んでホッとする反面、少し消化不良な気分である。
俺も行こうかとスマホを閉じた瞬間、「あーっ!」という子供の声と共に、小さなゴムボールが歩道に飛び出してきた。
テーン、テーン
跳ねて転がるボールが不自然なカーブを描いたかと思うと、少女が残した丸へと吸い込まれるように向かっていき──
「……え?」
落ちて、消えた。
さながらゴルフのような光景だったが、ここは公園の歩道である。
しかも穴は先程描かれたばかりのチョークのラクガキ。
慌てて目を凝らしてみたものの、そこに穴などは無くただの歪な丸やよく分からない絵が残っているだけであった。
「あれー? パパー、ボールないよー」
「全く……すみません、こっちの方にボール来ませんでした?」
「……すみません。ちょっと分からないです……」
本当に意味が分からないのだから仕方ない。
困った様子の親子には申し訳ないが、きっとあのボールはもう見つからないのだろうという予感がしていた。
そんな不思議な体験をした数日後。
俺は同じベンチで同じように昼食を食べていた。
(今日も賑やかだなぁ……って、あれ? あの子は確か……)
なんとあの時の少女があの時と同じようにラクガキをしているではないか。
俺は鼓動が早まるのを感じながら、じっと少女の動向を見守った。
彼女はご機嫌にアニメの主題歌らしき歌を歌いながら絵を描いている。
暫くすると満足したのか、再び歪な丸を描いて走り去ってしまった。
(あの丸……何なんだ?)
少し遠目とはいえ、どう見てもただのラクガキである。
考え過ぎかと溜め息を吐いた時だった。
──チャッチャッチャ
──ハッハッハッ
犬の爪音と息遣いだ。
思わず視線を向けると小型犬を連れた女性がジョギングしながらこちらに近付いてきていた。
──ハッハッハッ
(だ、駄目だ!)
そう思った時にはもう遅く。
──キャイン!
犬が、落ちた。
「キャ!?……え? チョビ!?」
困惑する女性の声が胸を刺す。
突然犬の姿が消えてしまったのだから驚くのは当然だ。
途中から切れたリードが生々しい。
叫ぶように愛犬の名前を連呼して探す女性を見ていられず、俺は逃げるようにその場を後にした。
(間違いない。あの丸は、飲み込む瞬間だけ穴になるんだ)
俺はこの出来事を切っ掛けに公園を訪れるのを止め、コンビニのイートインを利用するようになった。
行きつけのコンビニは二階にあり、イートイン席は窓際である。
この日も俺はいつもの席でぼんやりと窓の下を行き交う人々や車を眺めていたのだが、ふと目に入った光景にギョッとした。
あの少女がいたのだ。
公園でも住宅地でもない、普通の歩道で。
昼時らしくスーツを着た人々が行き交う中、少女は風景に溶け込むようにしゃがみ込んでラクガキをしていた。
(やめろ、描くな、描くな!)
ふいに少女の手が止まり、一際大きな丸を描き始める。
(おいおい嘘だろ!?)
ボールや小型犬どころではない。
その大きさでは──
「!」
一瞬だった。
サラリーマンが落ちたのだ。
いつの間にか少女は居なくなっており、周りの人間は誰も人が一人消えた事に気付いていないようだった。
「ぅぐ、」
目眩がする。
気持ちが悪い。
ここから一刻も早く立ち去ろうと立ち上がった俺は、今度こそ悲鳴を上げた。
足元にあの少女がいたのだ。
それも俺を囲うように丸を描いている途中の──
声にならない声を上げながら飛び退くと、少女は子供らしくない歪んだ笑みを浮かべて呟いた。
「なぁんだ、見つかっちゃった」
トトトと駆け足でコンビニを出ていく少女の背を呆然と眺める。
見つからなかったら俺を落とす気だったのか。
この日以降、俺が少女を見掛ける事は二度と無かった。