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猫ちぎり 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 うーん、いかに型稽古といっても、寸止めって見ている方も緊張しません?

 昔から結構、ぎりぎり系って苦手なんですよね。一歩間違えば大惨事になりそうなケース。

 漫画とかでありません? 城壁とか橋の欄干の上で腰かけたり歩いたりしながら、会話をするシーン。

 あれ、現実だったらやる度胸ないですよ、私。一歩間違えたら大惨事じゃないですか。

 けれども、ぎりぎりを攻めることは、いつでも追及されますよね。物理的にも精神的にも、法律的にも。時限爆弾のカウントがギリギリで止められるのも、お約束とはいえ盛り上がらずにはいられません。

 私たち、どうしてグレーゾーンを狙うんでしょうね? 白でも黒でもなく。

 実は昔に、ぎりぎりを攻められた経験、私にもあるんですよ。先輩の好きそうな話ですし、聞いてみませんか?

 

 

 猫だまし。先輩、ご存じですよね?

 相撲の戦法のひとつとして知られるこの技は、相手にスキを作る際に使われるみたいですね。

 目の前でぱちんと手を打ち鳴らされると、びっくりして目をつむったりしちゃいます。そこへ自分から身体をぶつけていって、優位を得るわけですね。

 そして、日常の脅かしでも定番です。背後から「ねえねえ」と声をかけてくる人がいたら、これか指ツンのどちらかがくる確率、64パーセントくらいですね。当社比較の結果ですけれど。

  

 そして私のクラスに、この猫だましを極めんとする子がいました。

 しょっちゅうじゃないところが、ミソなんですね。天災は忘れたころになんとやらですが、彼女もその同類です。

 わざわざ声をかけなくとも、不意打ちでやってくるんですからね。用を足して、個室から出た瞬間に、ぱちんとやられた時にはもうびっくりしちゃって、反射的に殴り掛かる1秒前でしたよ、ええ。

 心臓にくる彼女の猫だましですが、顔に受ける風圧も半端じゃありません。手が合わさってからひと呼吸おいて、前髪をふわりと浮かせてくる威力。もはや職人芸といっても過言じゃありません。

 ああ、先輩があの場にいたのなら、一発もらってほしいくらいですよ。きっと話に聞くより何倍も驚くし、感心しますって。

 けれども、やがて彼女の猫だましに、疑念を抱く子が増え始めたんです。

 

 彼女に無理やり目をつむらされた、というのが被害者の弁です。

「いや、つむらせるためにやっているんだろ?」と思うかもですが、どうも彼女の打ち合わせる手が、自分に触れたというんです。

 もっとも多いのが、まつ毛でしたね。あそこを挟まれたために、目をつむった話す声をちらほら聞きました。

 次点がウソかまことか、「鼻の穴とその痛み」でしたが……まあ、これはお手入れをしっかりしましょう、というところでしょうね、うん。

 とまあ、不穏なうわさが少しずつ彼女の周りに立ち上り始めたわけですよ。

 さらには、それを裏付けるかのように、猫だましをした後の彼女は、すみやかに自分の席へ戻り、ティッシュで手を拭うようなしぐさを見せていたんですね。



 そしてついに、私自身もえじきとなる時が来てしまいます。

 音楽室からの帰り、他のみんなより少し後方にいた私は、いきなり肩を叩かれました。

 一瞬、すぐ振り返ろうとして、ふと彼女のことが思い当たり、身体を前に向けたまま、ほんのわずかに首を向けたんですね。

 直後に、鼓膜を揺さぶる拍手かしわでの音。そして引っ張られる耳たぶ。いや、厳密には耳たぶの近くの産毛が、引っ張られ、ちぎれる音が続いたんです。

 もし完全に振り向いていたら、それこそ顔の真ん前でやられていましたね。


 ――彼女、本気だ!


 ぱっと向き直った私は、廊下にもかかわらず駆け出していましたね。

 もう猫「だまし」の領域を越えた。実害を受けた以上、これは「狩り」と大差ない。

 そう、狩りです。彼女は少なくとも、私たちから「びっくり」を狩っているのだと、その時は思いました。

 前行く他の人たちとの間は、ほんの数メートル。何秒も走らなくても、紛れ込むことはできる。

 そう、その時は思ったんですけれどね。



 ぬっと、私の眼前を遮ったものがあります。それも左右から。

 人の手でした。「だーれだ?」とやらんばかりに、私のまなこの真ん前に立ち、視界を塞いできたんです。

 おおかた、彼女が私を止めようと腕を回してきたのでしょう。構うものかと、そのまま私は走って、覆いを突き破ろうとしたんです。

 が、できません。

 確かに私は走っている。なのに、彼女の手と一向にぶつかる気配がありませんでした。

 後ろからの足音はなしとくれば、考えられるのはひとつ。

 ろくろ首の首のように、彼女の腕が伸びているとしか思えなかったんです。走る私に負けないほどの速さで、ぐんぐんと。

 

 ぱちん。

 打ち鳴らされる手と手。それは今度こそ確実に、私の両まなこを閉じさせます。

 確かに感じましたよ。自分のまつ毛がばちりと挟まれるのを。抜き取られるのを。

 足を止めて振り返ったとき、彼女との距離は3メートルほど開いていたと思います。その後ろで、彼女はティッシュを取り出しながら立っています。

 私と大差ない長さの腕でもって、悠然と手のひらをぬぐいながら、ね。

 


 詰め寄る勇気を、私は持てませんでした。

 あの目の前を塞がれた時が、忘れられなかったんです。やぶ蛇になるくらいならと、彼女とは距離を置いてしまいました。

 それからも彼女の猫だましの話は耳にしましたが、どうも聞く限りでは、同じ人には二度と仕掛けなくなっていたみたいなんです。

 そうして、同じ学年の人があらかた被害にあったころ。

 休み時間中、地震があったんです。その時は教室に、たまたま私とその子しかいない瞬間でして。最初、弱い揺れだからと、私は自分の席で読書をしていたんですが、急にあの子が床を踏み鳴らしながら、近づいてきて叫ぶんです。

「早く、机の中に潜って!」と。


 ものすごい剣幕プラス、あの日の記憶がありますからね。なかばおびえるようにして、机の中へ潜り込んだ私ですが、ほどなく何かが机を打つ音がして、はっとしちゃったんです。

 明らかに何かが上から落ちる音。思わず机の下から顔をあげて、ぎょっとしましたね。

 私の机の裏側、引き出しの底面に、無数のまつ毛がびっしり張り付いていたんですよ。それこそ元の銀色など、わずかにも残さないほどです。

 ビビるままに、机から出てまたもびっくり。私の机には、基部ごと外れた蛍光灯が突き刺さっていたんです。

 普通、机の強度なら表面ではじきそうなもの。それが木の部分どころか、中の引き出しの底までくし刺しにして、支柱のように微動だにしないんです。

 固まりかける私の肩を、とんとんと叩いてきたのが、例の彼女。思わず無警戒で振り返った私に、もう彼女は猫だましを仕掛けません。

 ただ一言。「危なかったね」と。


 この後、すぐに先生を読んで、机を取り換えてもらいます。ぽっかり穴が開いた蛍光灯の基部も、すみやかに直されました。

 もしあのまま本を読んでいたら……と思うと、ぞっとしますね。

 お礼はしましたが、彼女はその場ではぐらかして、とうとう卒業まで詳しいことは話さずじまいだったんです。


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