1)
宝石職人の頭領として、レネは職人たちを束ねてきた。その誇りにかけ、相手の言葉の意味を一語一句聞き逃さないように、全身を耳にして聞いていたはずだった。
「結婚の祝に夫婦が揃いの装身具を身につけるときは、何が一番多い」
高貴なる御方、王太子殿下に当たり前のことを聞かれて、とっさに答えられる者がいるだろうか。
「指輪が多いとおもうが、相違ないか」
「はい。そのとおりです」
レネは混乱するしかなかった。わかっていることを何故聞かれるのかわからない。
「指輪の次は何が多い」
王太子殿下の難問に頭を抱えたくなった。
「殆どが指輪です」
レネは正直に答えた。他はなにがあったか、思い出せない。というより知らない。
「そうか」
あからさまにがっかりした王太子殿下が、少し可哀想になった。王太子妃殿下に贈り物でもされるのだろうか。
お二人の仲の良さは有名だ。
「結婚と関係なく、揃いの装身具というときは、皆様、様々にご注文されます。最近では」
言いかけてレネは止まってしまった。若い王太子殿下にきかせてよいかわからない。
「何だ」
「あの、足首にそろいの装身具をご注文なさった方も」
言い淀んだレネに、訝しげだった王太子の頬が染まった。何を想像されたかは、聞かずともわかる。仲睦まじいお二人だ。若いことは素晴らしい。
「あぁ、なるほど他にはないか」
「ほかは、本当に様々です。首飾り、耳飾り、首飾りと飾りボタン、腕輪でしょうか」
「腕輪か。腕輪ならば服で隠れることも多いな」
「はい」
装身具は見せるためのものだ。夫婦で揃いのものを作るのはそのためだ。隠すと聞いて、レネは慌てた。王太子殿下と妃殿下は仲睦まじくていらっしゃるはずだ。隠すようなことなどあろうはずがない。相手は誰か、知ってはいけない人物なのだろうか。
「腕輪でいいな」
王太子殿下が、それまで黙って立っていた鉄仮面に声をかけた。
「アレキサンダー様」
「お前もそれならば、つけやすいだろう。遠慮はするな。目印はあったほうがいい」
何の目印か、鉄仮面とあの少女との婚姻は春のはずだ。レネは、近々納品しようと作っているもののことを思い浮かべた。
「目印ですか。確かに。腕からそう簡単には外れないものであれば、万が一のときに目印になりますね」
鉄仮面の言葉に、レネは何か不吉なものを感じた。
「簡素なものであれば、狙うものも少ないでしょう。不慮の事態でも、私とわかるでしょうから」
穏やかな鉄仮面の言葉に、レネは愕然とした。不慮の事故で、装身具で身元を区別するのは、死体だ。
「お前は、その目印ではないだろう」
王太子殿下が声を荒らげた。それはそうだろう。腹心が、自分が死んだ時の話をしているのだ。
「万が一です」
「死ぬ話でなく、生きる話をしろ」
淡々と答える鉄仮面に、王太子殿下が口調を荒らげる。
もう何年もたったのに、まだ記憶に新しい日のことをレネは思い出した。レネよりずっと若かった。息子の才能にレネは惚れ込んでいた。素晴らしいものを作った。鳥や花の細工が得意だった。無骨な息子は可愛らしい細工を得意とした。息子がいれば工房も発展すると信じていた。
己の死を静かにかたる鉄仮面に、あの日の息子の姿が重なり、レネの目に涙が溢れ出てきた。
「どうされました」
レネは涙を抑えることが出来なかった。
「申し訳、ありません。息子のことを思い出しました」
鉄仮面がハンカチを差し出してくれていた。そう言えば、前にハンカチを貸してくれたのも、鉄仮面だった。
「一人息子でした。若かったのに、冬に、熱を出して、あっという間で。死ぬ前に、『とうさん、ごめん』といって」
謝ってなどいらなかった。生きてほしかった。レネが代わってやれるなら代わりたかった。
レネが受け取った鉄仮面のハンカチの隅に、小さく刺繍がされていた。
男のハンカチに刺繍をするのは、恋人や妻、家族などの近しい女性だ。息子には、ハンカチに刺繍をしてくれるような相手は現れなかった。仕事以外には不器用な男だった。同じ職人仲間の娘との話もあったが、顔合わせする前に死んでしまった。
「あなたは、死んではいけません。ハンカチに刺繍をしてくださる方がいらっしゃるのです。あなたは死んではいけません」
レネは職人だ。王族に仕えるような男に、不躾な言葉を口にするなど、無礼なことだ。だが、鉄仮面は、泣いたレネのために、恋人が刺繍してくれたハンカチを差し出すような男だ。怒ったりはしないだろう。
自慢の息子だった。息子は還ってこない。息子の道具はまだ、工房にある。使う者のいない道具の手入れを、レネは続けていた。無駄とわかっていても、止められなかった。虚しくても、手を止められないのだ。
鉄仮面が驚いたように目を見開いた。宝石のような美しい瞳に、映る自分をレネは見た。
つくづく男に生まれたのがもったいない。こんな美しい瞳に自分が映っているのを見たら、男は皆惚れるだろう。女に生まれたら、傾国の美女となっただろうから、神様は、それを避けたのだろうか。
「そういうことだ。ロバート。お前は良いことを言うな。腕輪にしよう。ただし秘密は守れるか」
「もちろんでございます」
王太子殿下の言葉にレネは慌てて、仕事に意識を戻した。
王太子殿下の腹心が身につける秘密の腕輪だ。下賤な推測をする己に、レネは仕事だと言い聞かせた。