兄の婚約者 ②
俺がシルヴィアを初めて見たのはデビュタントの時だ。
兄のアーロンに婚約者の相手をするようにと言われて、俺は嫌々会場へと向かった。自分の婚約者でもないのに、ご機嫌取りをしなければならのかと思うと気が重かった。自分には何のメリットもなく、兄が楽をするだけなのだ。
デビューする女性たちを会場までエスコートするのは親族の務めで、初めてダンスをするのは婚約者か親族だ。
だから俺はダンスが始まるまで特になにもすることがなく、退屈でデビュー前の少女たちを眺めていた。
皆、お洒落に着飾っていて可愛らしく、ソワソワとしていて落ち着かない様子は初々しかった。
そんな彼女たちを目の保養にして眺めていて、はたと気付く。
俺はシルヴィアの顔を知らない。
アーロンから聞かされていたのは、物静かで地味な少女だということと、焦げ茶色の長い髪に黒い瞳ということくらい。髪色と瞳の色は一般的で、眺めていた少女の中に何人もいた。
(見つけられねーだろ。これ。)
物静かって言うので分かるかと思っていたけど、普通に考えたら話しをしてみないと分からない特徴だ。兄の笑う顔が容易に想像できた。
兄は人をからかって遊ぶのが好きなのだ。
俺は兄にやられたと頭を抱えた。どうしようと考えるが良い案が思い付かない。
デビュー前の少女たちを歓迎する偉い人の言葉が終わる。ダンスを踊るための準備が始まり、タイムリミットが迫る。
「あ、アーロン様っ!」
そんな、絶望的な状態だった俺に一人の少女が声をかけてきた。俺は救われたと思った。
その少女は焦げ茶色の髪に黒い瞳をしていた。
兄の名前を呼ぶということは、おそらくは彼女がシルヴィアだろう。俺はそう思うと同時に、心の中で安堵のため息をつく。無事に見つけられて良かったと。
だが、兄から物静かだと言われた少女は、俺にビシッと指を突きつける。
「貴方ね!約束をすっぽかすなんてどういうことかしら!!」
「…えっ?」
あの兄のことだ何か仕掛けてくるとは思っていた。恐らく、会場内のどこかで彼女と待ち合わせの約束をしていたのだろう。
兄はきっとこの状況になることを予想し、今頃笑っているだろう。
「ご、ごめん!」
だけど俺は、兄のおもちゃになる気などさらさらない。この状況を回避するには、素直に謝れば良いのだ。
それに、今日の俺はアーロンなのだ。今日の俺の全ての行動がアーロンの行動として残る。気にすることなどない。
だから、貴族とかそういうのを捨てて俺は頭を下げて謝った。
もちろん、周りの人間はどうしたのかとこちらに注目するが、そんなこと気にしない。
もう一度言おう。
だって、今日の俺はアーロンなのだ。
だけどそれを知らない目の前の少女は、俺が頭を下げて謝罪したことに戸惑う。
「ちょ、ちょっと、頭を上げて。」
言われた通りに頭を上げると、じっと黒い瞳が俺を捉える。じっと見つめられると、さすがに俺も落ち着かない。
「な、何?」
「い、いえ、ちょっと気になっただけ。…それよりアーロンに相談したいことがあったのよ…」
ぷくぅと頬を膨らますシルヴィアは、まるで小動物のようで可愛らしく、ぷにぷにとした頬は思わず指でつつきたい衝動にかられた。
そんなことを考えていると、音楽を奏でる音が会場内に響く。
「こりゃあ、話しは後だな。とりあえず踊らないとだ。」
「そ、そうね。」
手を差し出すと素直に手を重ねるシルヴィア。
緊張しているのか少しぎこちなかったが、リードすれば問題なくついてくる。
「相談したいことって何だったんだ?」
「え?」
聞き返しながらも、しっかりと俺のステップに合わせてついてくる。
「さっき言ってただろ?」
「あっ、うん。」
「今、聞いてやるよ。」
「えっ、い、今?」
「なんだ、踊りながらじゃ無理ってか?」
挑発的に言えば、ムスッとあからさまに不機嫌になるのが、まだ社交場に慣れていない少女らしくて初々しいなと思う。
「で、出来るわよ。」
「じゃあ、どうぞ。」
不満そうな視線が俺を突き刺すが、すぐにそれは伏せられる。すごく言いづらそうにして、言葉を探しているようだった。
「…父の事業がうまく行っていないの。それで、私…お手伝いしたいのだけれど、女がそんなことするもんじゃないって言われてしまって…それで、どうしたら良いかって悩んでいて」
「…」
「や、やっぱり変よね。そんなこと考えるなんて…」
「いや…すごいよ。そんなことまで、もう考えてるのか。」
俺の言葉にシルヴィアは驚いた顔をしている。予想していた言葉と違っていたらしく、それで少しリズムを崩した。
「まぁ、でも…そうだな…。認めてもらわないことには、仕事に口出しするのは難しいだろうよ。
うーん…まずは父親じゃなくて周りの人間から固めていったらどうだ?」
「うーん...話を聞いてもらえるかしら。」
「声をかけやすい人や性別や年齢に偏見がなさそうな人を見つけて、そこにまずは自分の考えや意見を伝えてその反応を見るんだ。うまく行けば、シルヴィアの意見が通るかもしれない。」
ニッと、俺が笑うのなんて目もくれずシルヴィアは考え込んでいた。そんな彼女の姿は魅力的だった。
「ありがとう!アーロン。私、早速やってみるわっ。」
一曲終わると、それだけ言い残して彼女は行ってしまう。全くもって婚約者らしくない関係に笑ってしまう。
たった一曲踊っただけ。
たった数分話をしただけ。
なのに、
最後に向けられた屈託のない笑顔が俺の心から離れなくなっていた。
でも、シルヴィアは兄の婚約者だ。
悪足掻きだと理解しつつも、俺はどうにかして彼女を振り向かせようと、その後も兄のフリをして彼女に会った。
こんなことしても、俺をアーロンだと思っているのだから、意味がないことは自分でも分かっていた。だけど、彼女の笑顔が見たかったのだ。
もちろん、彼女は俺のことに気付いていない。俺のことをアーロンだと思って接してくるシルヴィアは、アーロンのことが好きなのだと嫌でも分かった。手を握れば頬を染め、頭をなでれば嬉しそうに笑うのだ。
苦しくて、こんな空しいことは止めようと何度も思うのにそれが出来なくて、そんなことを続けていた。
…だが、ある日
兄ではなく俺が婚約者になるようにと言われたのだ。
これはチャンスだと思った。
これで俺を好きになってもらえば良いのだと、簡単に考えていたのだ。
だけど、俺はレオとして彼女の前に立って思い知った。
シルヴィアから向けられる笑顔はなく、感情のない瞳が俺を見る。
アーロンが好きだったシルヴィアにとったら、ショックな話だっただろう。こうなることなんて分かりきっていたはずなのに、俺はチャンスなんてバカなことを考えていたのだ。
彼女は俺がアーロンに扮して会っていたことを知らない。今更説明したところで信じてもらえるはずもないし、それで俺を好きになれというのは余りにも自分都合だと思った。
だから、俺は勝負を仕掛けたのだ。俺を好きになってもらえれるかもしれないという一縷の望みをかけて。
そして、今日、シルヴィアとのデートを約束した。少しでも歩み寄ってくれたことが嬉しくて、俺は浮かれていたのだ。いても立ってもいられず、俺は少し早かったが彼女の家へと向かった。
だけどそこで、俺は身を引くべきなのだと思い知らされた。
シルヴィアの家に着いた俺は、庭で兄の姿を見つけた。
そして、彼の隣には頬を赤らめているシルヴィアの姿。
今の俺には一切見せてくれなかったその表情は兄に向けられていて、まるで恋人同士のようだ。
やはり俺に入り込む余地はないのだと、俺は痛感したのだ。
広告下の☆☆☆☆☆から簡単に評価できますので、評価していただけたら嬉しいです。
また、ブックマークも合わせてお願いします。