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造語


 造語は辞書に出ていない言葉です。例をあげると、手塚治虫氏はピノキオの女の子バージョンにアッチョンブリケという言葉を発見し、今日ではムンクを知る人も知らない人も誰でも知っている言葉になりました。これこそは人間の純然たる表情をとらえて、そこから今までにない新しい絵画的表現を与えたわけです。


 みじかびの、きゃぷりてとれば、すぎちょびれ、すぎかきすらの、はっぱふみふみ。

 はらたいらさんに三千点。

 ここでは、このような著名人が作って、一時的に流行する、いわゆる流行語は問題にしません。造語とは、流行語とは違って、既知の言葉ではどうしても表現できないことを、重力レンズやスプーン曲げのように、世界を歪めてでも表現しようとする切実さがなければ意味がないからです。


 約束したわけではないけれど、誰かを待っている様子、こんな雰囲気をどう言葉にしたらいいでしょうか。


 ハチは橋の傍らにうずくまって、さっきから飼い主の帰りを待っている。

 見上げると、石の欄干には蔓草が共生していて、時々橋を通りすぎる小学生のランドセルが、鮮明な西日に映発して、風に巻かれている。しかし、飼い主の帰りはない。

 ハチはそっと立ち上がって、気安く橋の下の洲を見渡した。

 橋の下の黄泥(こうでい)の洲は、剰すところ二坪ばかりの広さで、すぐに水と接している。水際の蘆の間には、恐らく蟹の巣穴であろう、いくつもサークルがあって、そこへ浸潤する波のかすかな音が断続的に聞こえた。しかし、飼い主の帰りはない。

 ハチはやや待遠しげに水際まで肢を進めて、舟一艘通らない静な川筋を眺め見た。

 川筋には青い蘆がひしひしと生え、その間には所々に川楊(かわやなぎ)がこんもりと円く茂っている。そのため川の流れが川幅の割には広く見えない。ただ、帯ほどの澄んだ水が、水月のような雲の影をたった一つ泳がせながら、ひっそりと蘆の中にうねっている。しかし、飼い主の帰りはない。

 ハチは水際から鼻をめぐらせて、今度は広くもない洲の上を、すずろに肢を運ばせながら、徐行する暮色の静寂に耳をすました。

 橋の上はしばらくの間、人影が途絶えたのであろう、靴の音も、車輪の音も、そこからはもう聞こえてこない。風、蘆、水――それからどこかでけたたましく、蒼鷺(あおさぎ)の啼く音がした。と思う間に、いつしか潮が上がり始めたと見えて、黄泥を浸す水の匂いが、さっきより強くなっている。しかし、飼い主の帰りはない。

 ハチは落ち着かない様子で、橋の下のうす暗い洲を、いよいよ駆け出した。するうちに、川の水は、刻一刻と水嵩に時を刻んで、次第に洲の上へ上って来る。同時にまた川に煙っている藻の匂いや水の匂いも、冷たく被毛にまつわり出した。見上げると、もう橋の上には鮮かな西日の光が消えて、ただ、石の欄干だけが、ほのかに青ざめた灰の空を、型抜きしている。しかし、飼い主の帰りはない。

 ハチはとうとう遠吠えをした。

 川の水はもう趾をすっぽり濡しながら、氷柱よりも冷やかな光を湛たたえて、果てしなく橋の下に広がっている。すると、前腕部も、大腿部も、背も、恐らくは時を待たずに、この残忍な満ち潮に押し隠されてしまうだろう。そうだ、そういう間にも水嵩はますます増して、今ではとうとう膝さえも、川波の下に没している。しかし、飼い主の帰りはない。

 ハチは水の中に立ったまま、まだ灰の空に残る窄められた一条の光を頼りに、何度も橋の空へ眼を投げた。

 ハチの周りは、とうにほの暗い暮色が押し包んで、そこかしこに茂った蘆や柳も、寂しい葉ずれの音ばかりを、ぼんやりした霧の中から送っている。と、ハチの鼻を掠めて、(すずき)らしい魚が一匹、もんどりうって白い腹を見せた。その魚の跳ねた空にも、疎らながらもう星の光が射して、蔓草が身を寄せた橋の欄干の形さえ、宵闇と文色もない。しかし、飼い主の帰りはない。……

       ―――――――――――――――――――――――――


 夜半、月の光が一つの川の蘆と柳とにこぼれた時、川の水と川の風とは静かに囁き交しながら、橋の下のハチの(むくろ)を、やさしく海の方へ運んで行った。しかし、ハチの魂は、寂しい天心の月の光に、うららかな春の芝生の日だまりを思い出したのかも知れない。ひそかに骸を抜け出すと、ほのかに明るんだ空の向うへ、まるでバブルリングが小さな音を立てて水中を立ち昇るように、ふわふわと高く昇ってしまった。……



 それから幾つかの年号が改まったのち、この魂は無数の流浪の魂となり、初めて生を人の間に託さなければならなくなった。それが僕にも宿っている魂なのである。だから僕は人生は生きるに値すると考えないでいることはできない。漫然と夢みがちな安息日を送っていても、ただ、何か来るべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどハチが薄暮の橋の下で、永久に来ない飼い主をいつまでも待ちぼうけしたように。


 忠犬ハチのように。直喩はやめて隠喩でハチっと、はどうですか。


 イースター島のモアイ像はハチっとしています。バルタン星人の音ないを待っているのでしょう。

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