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擬音語を節約して


 擬音語は右脳を刺激して文章に具体的なイメージを与えますが、同時に表現を類型化し平準にします。


 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、(ひとへ)に風の前の塵に同じ。


 平家物語のこの冒頭に、擬音語を混ぜたらどうなるでしょうか? 鐘の声が久遠の彼方で、ざっくばらんに、砕けてしまいますね。


 三島由紀夫は鷗外の文章を解析して、擬音語の少なさが、鷗外の文章の格調の高さの秘密の一つであると感得しました。確かに、鷗外プラス、トオマス・マンで筆致した『金閣寺』は、擬音語が極度に節約されたものになっています。


 擬音語には抽象性がありません。それは聴覚刺激を聴覚刺激として伝えるだけで、言葉が言葉の本来の機能を果たす前の、楽譜のおたまじゃくのような無邪気な姿であります。


 擬音語を排した、音のない世界での笑いは可能でしょうか?


 「夏のイリュージョン」


 喪黒はある水泳部の助手からの依頼で、とある(いりうみ)を訪れていた。喪黒はあの喪黒福造である。人呼んで笑うセールスマン。黙っていても、目と口が同時にものをいっている。心の隙間をお埋めしたいという心意気が花開いたように、口に大きな白い歯が、びっしりと最密に充填されている。

 ここに夏のイリュージョンがはじまるのである。

 湾の岬の廻転式灯台の彼方には龍の巣が望まれた。夏のイリュージョン、それは予感され、復習されているようだった。


 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。指差しは、ほぼ正確に、五秒に一回行われた。太鼓は皮の張り替え修理に出されている。その替わりとして、助手は喪黒に白羽の矢を立てたのだった。


「もう何キロくらい泳いだかな?」

 と伝馬船の上で教官がいった。

 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。

「岸を出て、湾を横断し、燈台の三キロ沖まで来ているのです。もう十キロは泳いでいます」

 と助手は答えた。

 喪黒が指差しをした。大砲のような轟である。

「落伍者は、ひとりもなかったな」

 教官は眼を細め、伝馬船の前を泳いでいく生徒たちを眺めた。

「たいしたもんだ」

「たいしたもんです」

 教官と助手は口を揃えた。

 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。

「この分だと、県の遠泳大会は、今年こそわが校が優勝するな」

 教官は廿(にじゅう)人ばかりの水泳部員に目を向けた。

「この廿人の坊主頭の、誰かが優勝するにちがいない」

 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。

 轟から、次の轟まで、生徒たちは平泳ぎの手をふた掻きするのである。規則正しい()が、そこにあった。

「さて、それはどうでしょうか?」

 轟のなか、助手が疑問符をつけた。

「何だって、この程度じゃ不足だというのかね」

 教官が聞きとがめて助手を見た。

 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。

「いいえ、もちろん、この程度に泳げたら、申し分ないですね」

 助手は口角に笑み浮かべて答えた。

「おかしなことを言うじゃないか。今、この程度に泳げて、大会で泳げないということはあるまい」

 教官は助手を睨みつけた。


「確かに、練習でできないことは本番でもできません。しかし、それは、わかりませんよ」

 と轟のなか、助手は教官にいった。

「ほう。なぜだい」

「県の遠泳大会では、こういう具合に、規則正しい轟が生徒をはげましたりはしませんよ」

 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。


「なあんだ。そんなことか。大砲のような轟があるかないかで、それほどの違いが生じるとは思えないがね」

 と教官は苦笑して答えた。

「いや。あると思いますね。わたしは」

 と助手は異を立てた。


 喪黒は大砲のような轟とともに、指差しを続けた。

「轟がある限り、うしろの伝馬船に安心して、全力を出し切ることができる、といいたいんだろう」

 と教官がいった。

 助手は二の句を継いだ。

「それだけじゃありません。轟きには、暗示効果があります。今泳いでいる生徒たちは、一種の暗示にかかっているのです。暗示にかかった人間というのは、体力の限界以上のことをやります」

 喪黒が大砲のような轟とともに、部員を鼓舞する指差しをした。

「たとえば、一日中、片足で立っていたりすることも可能になってくるのです」

「そんな、馬鹿な」

 と教官が吐き捨てるようにいった。

「では、試してみましょう」

 助手は喪黒の指差しを止めた。すると、廿人の水泳部員は、忽然と、(おこり)が落ちたように、海中深く沈んでしまった。


「このままだと、暗示殺人になるぞ」  

 と教官が悲観的にいった。

「まだ暗示を解く手があります」

 助手が楽観的に喪黒を龍の巣の方に促した。


 喪黒は龍の巣目掛けて、指差しの連続発射を行った。轟は指数関数的にというよりは、この場合は指差し関数的に増大し、大大和(だいヤマト)砲のような轟になった。轟が龍の巣に到達するたび、龍の巣は黒みを帯び、大大和砲のようなそれが到達するに及んでは、日本中の煤煙を集めたように、真っ黒くなった。

「魔の巣だ」

「魔の巣ですね」

 教官と助手が異口同音にいった。・・・


 ・・・魔の巣の影響であろうか、辺りが夜が来たように突然暗くなって、灯台が夜標(やひょう)を出した。巨神兵の閃光のような不動光は魔の巣を照らし出す。と思う間に、魔の巣から飛び出して来るおびただしい何かがある。・・・

 

 ・・・蝙蝠群である。その戦闘機のような羽ばたきは、仮初めの夜を掃き消してゆく。辺りがそのざわめきを越えて明るさを取り戻すと、灯台の不動光が消えた。すると、蝙蝠群は金槌に変幻し、おびただしい金槌の雨が海原に降ったのである。

 金槌が沈んでゆく。・・・

 教官は意識的に目を金槌にして、動揺を鎮めた。部員は無意識に目を泳がせて、浮かび上がってきた。


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