アバターもえくぼ
なんでチーズではなく、バターなんですか?
チーズでは笑い顔を作れても、微笑みは作れないからです。宮様の微笑みにも、モナリザの微笑みにもバターの存在があったのですね。
はい、バター。
なんでチーズではなく、バターなんですか?
チーズでは正面を向けても、ひねりの位置に顔を置けないからです。エゴン・シーレのセルフポートレートの技法には、バターの存在があったのですね。
はい、バター。
なんでチーズではなく、バターなんですか?
チーズでは、その発音において、声門音声化することができないからです。コックニーアクセントの特徴の一つには、バターの存在があったのですね。
はい、バァ ァ。
チーズはどこに消えた? バターに替わった!
はい、バター。
三島由紀夫の短編小説に「遠乗会」があります。三島は情緒よりも方法論に惹かれる質で、この小説はパラレリズムの手法で描かれた悲劇です。ここに最後の段落を引用します。
池のむこうから大田原房子が大ぜいの友達に囲まれて、こちらへ向けた写真機のシャッタアを切ったところであった。
さて、房子はどんな掛け声を心の中でして、シャッタアを切ったのだろう?