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73.月の輪亭にて-前編<ヘンリー視点>

 夜のピークの時間帯が過ぎた月の輪亭の食堂は、がらんとしていた。


「クラリッサさん、お待ち(どお)さまです」


 看板娘のジュリアによって、残り一組の客であるクラリッサの目の前のテーブルに、大きなハンバーグステーキが置かれた。

 鉄板の上で香ばしい匂いと共に音を立てるハンバーグの上には、円形に切られた薄切りのチーズで飾られている。


「わあ、これが名物の月の輪ハンバーグなんですね。……ヘンリーさん、御馳走になります!」


 クラリッサは目を輝かせながら、長い耳をぴくりと動かすとフォークとナイフを手に取った。

 どうも喜んだ時の癖らしい。


「遠慮なくどうぞ。……テンション高いなあ」


 一方、テンションの低いヘンリーが注文した料理はハーブで焼いた鶏肉とサラダ、それと塩気の少ないぬるいスープだった。ぬるいものを出されたわけではなく、猫舌なのであえて冷まして貰ったものである。


「お二人さん、相席いいですか?」


 ジュリアが賄いらしき料理を乗せたトレイを手に、二人に声をかけてきた。

 食堂の客を捌き終えて、ようやく少し遅い夕食にありつけると言った処かもしれない。

 

「ああ、構わないよ」

「どうぞどうぞ」


 ジュリアがテーブルに加わり三人となる。

 手に持ったトレイに乗せられているのは、ヘンリーと同じスープとサラダで、鶏肉だけ省かれた組み合わせである。

 もし夕食がまだだとしたら物足りないだろうと思ったが、彼女にも思惑があるのだろう。


「クラリッサさん、もう結構遅い時間ですけど、がっつり行きますね。……うちとしてはありがたいですけど。それにアフターオーダーに季節のフルーツパフェって大丈夫ですか」

「大丈夫です。ふふ、ヘンリーさんの奢りなので普段食べる機会のないオーダーをしてみました。……このハンバーグは赤ワインと合いそうですね」

「クラリッサ、酒は駄目だからな。エリアと一緒に運ぶの大変だったんだから」


 片肘を突きながら、ヘンリーは呆れたように言った。


「クラリッサさん、もし酔って歩けなくなるようなら部屋が空いてますから。泊っていけますよ」

「ジュリア、一滴でも飲ませない方がいいんだ。本当に弱いみたいなんだよ。絡み酒もするし、終いには吐いたり抱き着いたりもするから」

「す……すみません。そうだったんですか。悪酔いするようなら問題ですね」


 ジュリアはクラリッサを見たが、クラリッサは全くお構いなしに肉厚のハンバーグを頬張っていた。


「……ああ、美味しい。ジューシーな肉質。頬が落ちそうです」


     ◇


 数十分ほどで食事は終わり、三人はしばらくの間、談笑していた。

 アフターオーダーに運ばれた季節のフルーツパフェも問題なく平らげている。エルフの食は細いという言い伝えは迷信とみて良さそうだった。


「……クラリッサさん、魔法学院の生活はどうですか? クラリッサさん、その見た目からするとずばり人気者な気がします」

「えーっと……正直な処、あまり良い感情は持たれてないですね。好奇の視線、いやらしい視線、嫉妬の視線の三点がメインです。人づきあいが少し苦手だった事もありますが」

「……そうなんですか? 明るくてスタイルも飛び抜けて抜群なのに。正直羨ましいのですが」

「学院のルールというものがあって、それから外れているみたいですね。マナーとかしきたりとか派閥とか、エルフのわたしには理解がしづらくて。それとエルフといった存在は結局異分子(イレギュラー)ですから」


 クラリッサは少し落ち込んだ表情を見せ、さらに続ける。

 

「一年目はとにかく楽しかったです。二年目は挫折の年。……三年目についに梯子を外されました。ちょっとピンチですよ」

「梯子はずし? ……何かあったんですか」

「特待打ち切りです。……有意義な才能を示せなかったわたしが悪いですが。一番得意とする召喚術は評価対象外なんですよね」


 そう言い終えると、クラリッサは残念そうに溜息をついた。本当は彼女を推挙した教授との間にもっと根深い問題があったが、それについては言及しなかった。ジュリアに配慮したのだろう。

 そして彼女の言う通り有意義な才能──つまりは多くの魔術師がぶつかる魔術ランクAの壁を突破できていない。そして彼女の理論の理解度からすると少なくとも突破は難しそうだった。

 とはいえ卒業までに魔術Bランク認定を受けられる実力があれば優秀な生徒である。彼女が駄目というわけではない。魔術Aランク相当は生徒を教える立場に求められるレベルだった。

 

「とにかく今は金銭的に辛いです。あと二年は頑張らないと。……学費が馬鹿みたいに高いですね。年間金貨九八〇枚っておかしくないですか」

「え……そんなに。わたしが通っていた学校とは比べ物にならないです」


 金額を聞いたジュリアが目を丸くして驚いていた。


「高いとは思うけど、魔術や神聖術は高等な学問だからね。君が支給されている制服一つにしたって事故を防ぐために防護がかかった上等な物だ。先日納品したマジックポーションもそうだけど、そういった費用を賄う為にも必要なんだよ」


 ヘンリーは一拍置くと、さらに続ける。


「正直、魔法学院卒業ってそこまで大きいかな? 二年間は特待生候補って事で免除して貰ってるし、すっぱり退学してもいいんじゃないか。今まで学んだ事がリセットされるわけじゃない」

「……ヘンリーさんは賢者という称号を持つ天才だからそう言えるんですよ。わたしには意味がありますね。……宮廷魔術師になりたいんです。貴族さまのように家柄の後ろ盾がないわたしは、魔法学院卒業という箔が大事です」

「クラリッサは王宮務めを希望してたのか。初耳だな」

「はい。寿命の長さを活かして、いずれは影の支配者と呼ばれる存在になりたいですね。……王国五代に仕え支える古老エルフってどうですか」

「どうって言われても……結構野心的なんだな。……ここまで俗っぽいエルフ初めて見た」


 ヘンリーは呆れたように呟いた。

 ただ、もし本当に百年もの間、研鑽を続けられるのであればそういった存在になれる可能性もないとは言えない。

 ただ、学院でのしきたりやルールから逸脱した彼女が、王宮で生き延びる事が出来るのだろうか。

 権力闘争で勝ち抜けるような性格ではないだろう。良い意味でも悪い意味でも純真な性格をしていた。


「……クラリッサさん。もしお金に困っているようでしたら、月の輪亭でアルバイトしてみませんか? 第二、……いえ、メインの看板娘になれると思います」


 ジュリアが人差し指を立てて提案を行った。


「……え、わたしですか?」

「マーロックさん、いいですよね。わたしも休みが少なくて困っていたので」


 困惑するクラリッサに対し、ジュリアが調理場に入り声をかけた。


「まあ、ジュリア一人では大変そうだからな。……時間給。寝床はジュリアと共同で良ければ。食事の賄いくらいは無料で提供する。しばらくは仮採用という事なら」



「……ヘンリーさんはどう思います?」

「うーん、ルビーの髪とサファイアの髪か。色合い的にはバランスが良いかも。……まあ、人間社会の勉強になるとは思うよ。魔法学院とは違う世界があると知るにはいいんじゃないかな」


 クラリッサの質問に対し、ヘンリーは二人を見渡した後、遠回しに肯定をした。


「……えっと……もしよかったら、お世話になりたいです。……寝床と美味しい食事がタダっていうのは大きいですね!」


 もちろん厳密にはタダではない。それは労働の対価である。

 どうもクラリッサは無料(タダ)という言葉に弱いのかもしれない。その辺りが心配な処ではあった。




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