灰被り姫は侍女に正体を暴かれた模様②
「……なるほど。盗まれたカールミネの風景画は、メンシス国のヨールン海岸を描いた晩年の名作で、キャンバスサイズは三十号(約九十エカト×約六十五エカト)。飾ってあった場所は大理石をレンガ状に組み合わせた壁で、梯子でもかけないと手は届かない……ですが、それらしい道具は見つかっていない。ただし、額縁は校舎裏に捨てられていたのが発見されている、ということは中身だけ丸めて持ち去ったのでしょうか? それでもそれなりの長さになると思いますが」
翌日、学園に向かう王太子専用の箱馬車の中で、ローレンス王太子と相対する形で着席しながら、ヴィクトリアは数枚の報告書を読んでいた。
「盗難事件の概要か?」
怪訝な表情のローレンス王太子の質問に、書面をめくりながら頷くヴィクトリア。
「ええ、通り一遍のものですが、なかなか興味深い内容ですね」
事件の起こった場所が王立貴族学園。おまけに来賓として国王陛下もお出ましになられていたとあって、捜査には王都警察ではなく、王宮の諜報機関が携わっている。その関係で伝手をたどって手に入れたものだが(無論、素人に明かして問題がない部分のみである)、ヴィクトリアは非常に興味深そうな態度で書面と睨めっこしていた。
「……お前、セシリオに会いに行くのが目的だろう? まさか名目だけで、実際のところは盗難事件の野次馬が目的ではないだろうな?」
不信感丸出しのローレンス王太子に対して、
「そんなことはありませんよ。念のために確認しているだけです」
気軽な口調でそう答えるヴィクトリア。
「ならいいのだがな。気をつけろよ、おそらく犯人は卒業パーティのドサクサ紛れに外部から侵入したのだろうが、ひょっとするといまだに学園内部に潜んでいる可能性があるんだ。私もできる限り気を付けるつもりだが、それでも万一ということがあるかも知れん。危ないことなどするなよ?」
善意からの忠告に、ヴィクトリアはわずかに口元をほころばせた。
「ええ、わかっております。無茶はいたしません。なにより剣を取っては一騎当千と名高い、デシデリオ第二王子と比肩する殿下に守っていただけるなら、安心ですわ」
途端になぜか黄昏た表情になって、ため息をつくローレンス王太子。
「自称〝一騎当千のデシデリオ”か。あいつの理屈では『相手が千人でも、1VS1を1000回繰り返せば余裕』というあり得ないものだからなぁ……」
どこの世界にお行儀よく順番に挑んでくる敵がいるんだ、しかも銃が剣に取って代わっているこの時代に……と、内心でもっともな突っ込みを入れて、デシデリオ第二王子と同類扱いされたことに、悄然と肩を落とすローレンス王太子であった。
「殿下は他のご兄弟とは、個人的にも親しい関係なのですか?」
離宮以外での王族同士の親交や会話については、さすがに把握していないヴィクトリアの問いかけに、ローレンス王太子は小首を傾げた。
「さて? 一般的な兄弟の関係はよくわからんが、この間デシデリオとイスマエルと顔を合わせた時に、私の婚約を祝ってくれたので、『お前たちはまだ婚約者を決めないのか?』と聞いてみたのだが――」
王宮にあるこじんまりとした(あくまで王族の基準で)部屋に集まって、雑談に興じていたローレンス王太子とデシデリオ第二王子、そしてイスマエル第三王子の三人(無論、周囲には侍従やメイド、護衛がいる)。
ちなみにこの三人の下には王女が五人ばかり続き、第四王子、第五王子、第六王子と弟王子もいることはいるが、第四王子でさえ現在八歳であることから、実質的に王位継承権を持つ王子はこの三人に絞られる(ローレンス第一王子が立太子していることから、九分九厘次の国王はローレンスであるが)。
『――まあそういうわけで、私は珠玉の愛を見つけたわけだが。お前たちにも気になる相手や、配偶にすべき女性はいないのか?』
そうソファに座って尋ねたローレンス王太子に向かって、部屋の中央で剣を素振りしながら――三カ月違いの異母弟にして、堂々たる体躯に獅子のような厳つい顔をした――デシデリオ第二王子が鼻を鳴らした。
『相変わらず軟派なことですね、兄上。女の事を考える暇があれば、素振りの一本でも増やしたらいかがですか?』
『デシデリオこそ相変わらずだな。だいたい剣は何も言わないし、寒い冬にも体を温めてはくれないだろう?』
やれやれと肩をすくめるローレンス王太子に、至極真面目な表情でデシデリオ第二王子が言い放つ。
『そのようなことはありません。剣の声が聞こえないのは兄上の修行不足のせいですな。それと寒い冬でも剣を振っていれば、自然と汗は流れ体は暖かくなります』
『…………』
この剣術バカの弟とは会話にならないのを悟ったローレンス王太子は、視線を下座に座っているイスマエル第三王子へと向けた。
視線から問いかけの意味を察したイスマエル第三王子は、
『いやはや……ローレンス兄上の新たな婚約者であるアルカンタル公爵令嬢でしたか? そのような素晴らしい血筋と家柄の相手がいればよいのですが、おいおい自分に似合った、それ相応の配偶者を得られますよう頑張りたいと考えております」
にこやかに細面の狐に似た顔をほころばせて――よくよく見ると目は笑っていない――如才なくそう答える、上のふたりよりも一歳年下のイスマエル第三王子。
「そんな感じで、そのあとはイスマエルがやたらとお前のことを聞いてきたので、適当に答えていたが」
それはもしかしてわたしが狙われている――婚約者をローレンス王太子から略奪することで留飲を下げるのと、公爵家の令嬢というブランドを手に収めて悦に入るためな――のでは? 相変わらず発想がみみっちくて下種だわ、とイスマエル第三王子の狙いに目星をつけるヴィクトリアであった。
やがて馬車は護衛とともに王立貴族学園へと到着し、ちょっとした宮殿ほどもあるキャンパスにローレンス王太子ともども、ヴィクトリアは足を踏み入れるのだった。
◇ ◇ ◇
王立貴族学園は基本的に全寮制である(安全面の配慮から、王族や一部上位貴族の子弟については通学を可能としているが)。
卒業式も終わり、夏季休暇に入った学園内部は閑散としているが、一部の生徒はいまだ帰郷せずに寮へ残っていた。
そしてヴィクトリアの実弟であるセシリオもまた、本来であれば所領にある本邸に戻っている時期であったが、今回のヴィクトリアの養子縁組の件とローレンス王太子との婚約関係で、王都を離れられずに寮に残っていた。
なお、もともと領地を持たない法衣貴族であるラミレス伯爵家であったが、パトリシア夫人が嫁入りする際に、持参金代わりにアルカンタル公爵家の領地の一部を割譲して分け与えたことで領主貴族となっていた。
無論、可愛い娘に不自由な生活をさせないための親馬鹿MAXな配慮であり、これにより、ラミレス伯爵家は実質的にアルカンタル公爵家の陪臣と化したのだった。
事前にセシリオが寮にいるとの情報を得ていたローレンス王太子とヴィクトリアが、真っ直ぐに男子寮を目指していたところ、思いがけずに目当ての相手が寮の傍らにある大樹のすぐ脇に立ちすくんで、梢を見上げているのが目に入った。
「…………!」
足音で気が付いたのだろう。ローレンス王太子と一歩離れて斜め後ろに佇むヴィクトリアを前にして、真昼に幽霊でも見た顔で硬直している十五歳ほどの銀髪に紫色の瞳をした美少年。
「珍しいところで会いますね、セシリオ」
にこりともしないヴィクトリアの挨拶を受けて、ようやく呪縛が解けた様子で学園の制服を身にまとった少年――ヴィクトリアの実弟である伯爵家嫡男セシリオは、一息一息振り絞るような鯱張った態度で一礼をした。
「……お、お久しぶりです、姉上様」
ギクシャクとしたその態度にローレンス王太子が小首を傾げる。
「なんだ、ずいぶんと他人行儀だな」
ヴィクトリアとセシリオ、どちらへ対してともない言葉に、先にヴィクトリアが淡々と答えた。
「左様でございますか? いつもこのような感じですが……そもそもセシリオと直接言葉を交わすのも、五年……いえ、三年ぶりでしょうか? 息災そうでなによりですね」
次いでセシリオが決まり悪げにローレンス王太子に答えつつ、
「はあ、なにぶん姉上は僕が物心ついた頃には王宮で働いていて、ほとんどお戻りになられませんでしたから……あっ、姉上こそ此度のローレンス王太子殿下とのご婚約おめでとうございます。実弟としても、殿下に常日頃お世話になっている者としても、誠に以て慶賀に堪えません」
続いてセシリオが、ガチガチに緊張しながらも神妙な顔で、定型の賛辞をヴィクトリアに贈った。
それに対してヴィクトリアはにこりともせず、
「……へえ」
と、微かに感心した声を放って、改めて居心地悪げにその場に直立不動をしているセシリオを見詰める。
「一般教養としての挨拶もできるのですね、セシリオ。てっきりあの母の腹話術人形のように、一切の自由意思を持っていないのかと思っていましたが」
皮肉ともとれるヴィクトリアの感想に、ローレンス王太子もさすがに看過できないと思ったのか、「おい!」と、割って入ろうとしたのだが、当のセシリオが手を挙げて押しとどめるようにして、哀惜と諦観の混じった表情で述懐した。
「姉上が僕たち家族を恨むのは当然です。父上はあの通り母上の言いなりで、領地経営はおろか子供にも無関心で」
「一応、養子縁組と殿下との婚約に際して会った場で、形式的なお祝いの言葉をいただきましたよ。母は手紙ひとつ寄こしませんけれど」
すかさず一言口を挟むヴィクトリア。
セシリオが沈痛な表情で続ける。
「さぞ母上を恨んでらっしゃるのでしょうね、姉上? ラミレス伯爵家にいた時には、家族の食卓にもつけずに、嫡男である僕ばかり可愛がられ、いないものとして扱われた――そう聞いています。そのためにわずか七歳にして家を出て、侍女として奉公人になったのですから。さぞご苦労をしたことでしょう。その原因である母と僕とを嫌うのは当然です……」
そうして悄然と項垂れるセシリオを見据えながら、ヴィクトリアは内心で、「へーっ、ろくに会ったことなかったけれど、あの母に猫っ可愛がりされて甘やかされて育てられたわりに、まともに成長したわね」と、感心をしていた。
ともあれ、無駄な罪悪感を払拭するために、ヴィクトリアは冷然と言い放つ。
「セシリオ、それは誤解です」
ピシャリと言い切られて、セシリオは弾かれたように顔を上げた。
「私は母や貴方に思うところはありません。そもそもわたしの人生に関わらない以上、興味も関心もありませんからね。それに侍女になったのもわたしの選択です。確かにローレンス殿下の面倒を見ることで苦労はしましたが、王宮勤め自体は悪くはありませんからね」
「誤解って私自身に対してか!? いやまて、私なりにヴィクトリアとの十年間は楽しく、お互いに人生を謳歌してきたつもりなんだが」
いきなり流れ弾が飛んできたローレンス王太子が異議を呈す。
「殿下、その言い方だとまるで私の侍女人生に潤いがあったかのようではないですか?」
「違うのか、おい!」
そんなふたりの気の置けないやり取りを眺めながら、どう判断していいか微妙な表情で、「……はあ」と、気の抜けた返答をしてから、
「――ですが、仮にも伯爵令嬢として、本来ならこの王立貴族学園にも通学できた姉上が、侍女という境遇にならざるを得なかったのは……」
拭い切れない後ろめたさを抱いているらしいセシリオに対して、ヴィクトリアはわずかに柔らかな声で言い含めるのだった。
「セシリオ。わたしが侍女として過ごした時間は決して無駄ではありませんよ。そこで得られた技能、様々な思い出、失敗から学んだ教訓、共に働く仲間、知己となった人脈。これらは一生の宝物として、わたしの胸の宝箱の中で燦然と輝くでしょう」
「おまけに私という生涯の伴侶を得たわけだしな!」
すかさず自己主張をするローレンス王太子。
「…………まあ、仮に宝箱の中身が空っぽでも、豊富な経験と実績で再就職も引く手あまたでしょうし、慰謝料と退職金もがっぽりですから」
いい話に収まりそうだったところ、いきなり現実をぶち込まれて反応に苦慮するセシリオと、
「なんだ慰謝料ってのは!?」
「殿下がやらかして破談になった場合の、極めて高い可能性です」
聞きとがめて突っ込みを入れるローレンス王太子と、当然という口調でそれに答えるヴィクトリアであった。
「……セシリオ、お前も大変だなこんな姉で。困ったことがあればすぐに私に相談しろ、なにしろお前とは義理とはいえ兄弟になるわけだからな。なんだったら義兄と呼んでくれても構わんぞ」
困惑しているセシリオに親しげに話しかけるローレンス王太子。
「できるわけがないでしょう。私的な場所ならともかく、人目のある場所で陪臣扱いの寄子である伯爵家の嫡男を優遇していては、寄親であるアルカンタル公爵家をないがしろにするも同然なのですから」
すかさずヴィクトリアの諫言が飛ぶ。
「……つくづくキツイな、お前の姉は」
「はあ……。僕としては、母上そっくりの姉上が、いつも仏頂面をしているので、自分がとんでもない失態を冒した気分になって、どうにも落ち着かないのですが……」
ヴィクトリアに対する苦手意識の源泉を、正直に吐露するセシリオ。
ちなみにヴィクトリアと母であるパトリシア夫人は、唯一、瞳の色が違うのを除けば(父親譲りの紫色の瞳だが、セシリオと父がパープルなのにくらべ、より濃い濃厚なバイオレットである)ほぼ相似形である。
「――いや、さすがに年齢的にも違うだろう?」
たまに社交界で見かけるパトリシア夫人は、年齢の割に若いとはいえさすがに三十代の女性であり、髪形も高く結い上げているのを思い出して、そう首を捻ったローレンス王太子だが、
「うちの母は、自宅にいる時は娘気分で、全身に白粉を塗って若者向けのワンピースを着て、髪も未婚の女性のように垂らしているんですよ……」
力ないセシリオの返答に、
「うわっ、キツッ!」
思わず本音を漏らすローレンス王太子であった。
※1エカト=約1CMです。
お読みいただきありがとうございます。
不定期になりますが、地道に更新していきますのでお付き合い下さい。
ブクマ、評価、感想などしていただけると作者の原動力となりますので、どうぞお気軽にお願いいたします。
もう既にしてくださった方は、本当にありがとうございます。