預言の聖女は侍女に仮面を剥がされた模様⑥
恋愛タグが付いている割に、恋愛要素が薄いなぁと思って、ふと夜中に書きました。
「ヴィクトリア! 新進気鋭のマイスターが手塩にかけて作った、最新のカットを用いたダイヤモンドのネックレスを手に入れたぞ。これを付けて誕生パーティに参加すれば、さぞかし周囲の注目を集める事だろう」
大粒のダイヤモンドがいくつも連なっているネックレスを侍従兵に持たせて、ローレンス王太子がドヤ顔で言い放った。
家女中に指示して王太子の執務室を整理整頓していたヴィクトリアは、ウズラの卵ほどもあるダイヤモンドを中央部に、そこから小指の先ほどもある小粒(?)のダイヤモンドを配してあるネックレスを一瞥して一言――。
「……素晴らしい贈り物に感謝いたします、殿下」
そう棒読みで諳んじた後、カーテシーをして作業の続きに戻った。
「待て待て! ヴィクトリア、欠片も嬉しいと思っていないだろう!?」
「いま忙しいのですが。お礼の手紙なら後から書きますよ?」
取りすがるローレンス王太子を面倒臭げにあしらうヴィクトリア。
「いらん! そんなものより、本音の部分ではどう思っているんだ! 不満があるなら、この場でハッキリ言え」
「不満など……仮にも王太子殿下である貴方本人を前にして、侍女であるわたし如きがあろうはずがございません」
取り付く島もないヴィクトリアの態度と言葉遣いに、首を捻るローレンス王太子。
「なにをいまさら……というか、お前は私の侍女兼婚約者だろう(さっさと辞めて結婚してもらいたいものだが)? 婚約者として忌憚のない意見を求めているのだが」
「それは王太子殿下としてのご下命でしょうか?」
「――いや。婚約者としてのお願いだな」
ローレンス王太子の返答に、多少は見直した……という雰囲気で、頑なな態度を軟化させるヴィクトリア。
「それでは失礼を承知で――」
そう前置きしてから一言。
「ダイヤモンドとか阿呆ですか、殿下?」
「本当に失礼だな!! というか何なんだ藪から棒に? お前のために特注させたプレゼントだぞ。泣いて喜ぶのが普通ではないか!?」
「好意というものは相手に受け入れられなければ、ただの自己満足の押し付けにしかなりません。というか前々から思っていたのですが、殿下は自分が決めたことは、誰もが無条件に従うと思っていませんか? それは愚者の思考ですよ。暗君」
逆上するローレンス王太子に対して、心なしか普段よりも割り増し感の高い、冷たい眼差しと声のトーンでヴィクトリアがポンポンと言い放つ。
一連の寸劇のようなやり取りに呆気にとられる家女中たちに、気にせずに作業を続けるように促してから、改めてローレンス王太子に向き直ったヴィクトリアが、噛んで含めるような口調で要訣を話し出した。
「いいですか。まずもってそのネックレスを身に着けて、わたしが赴くのは、〝フィオレンツァ上太皇后様”の〝誕生パーティ”に、〝王太子殿下の婚約者”である〝公爵令嬢”として招待されたパーティですよね?」
「お、おお。当然だろう」
もしかして何か知らずに地雷を踏んだか? という風情で、最初の威勢はどこへやら、恐る恐る足元を覗うような調子で首肯するローレンス王太子。
「それで、どうしてダイヤモンドな訳なのですか?」
「ふふん、知らんのか? 最近新しいカット方法が編み出されたとかで、いま流行に敏感な者たちの間ではダイヤモンドが持て囃されているのだ。最新最高のネックレスというわけだ」
文句はあるまい、と言わんばかりの軽薄そうな顔をまじまじと眺め、ヴィクトリアは深々とため息を吐いた。
王太子殿下を相手に、いかに婚約者といえど本来ならマナー違反、不敬そのものの行為だが、このふたりに限っては日常茶飯事なので、ローレンス王太子も取り立てて目くじらを立てない。
「……流行かも知れませんが、まずもって貴族階級以上の者が婚約指輪を贈る場合は、普通はルビーなのですが」
「そうなのか?」
「……歴代の国王陛下、妃殿下の皆さまの婚約指輪はすべてルビーです。というか、王冠に用いられている宝石がルビーなわけですけれど、もしや将来自分が戴くべき王冠の形状すらご存じないのですか?」
王冠など帽子程度の感覚で見慣れているがゆえに、ろくすっぽ注意して見たことがなかったローレンス王太子は、きまり悪げにヴィクトリアから視線を逸らせた。
「ともあれ、かように価値のある特別な宝石であり、宝石言葉で『愛』を意味するルビーを、男性が求婚する際に、女性の前に跪いて指輪を差し出して『私と結婚してくれますか?』と尋ねるプロポーズの形式は、何百年も前から定番となっています。が」
『が』と、強いアクセントを置いて続けるヴィクトリアの舌鋒は止まらない。
「昨今は貴族以外の中流階級でも、婚約指輪を贈る文化が流行しています。しかしながら高価で希少なルビーは、一般人が入手することができないため、代わりに安価なダイアモンドを指輪にしているというわけです」
「いや、これはいいモノで、大粒のルビーに負けず劣らずの値段が――」
いまだピンと来ていないローレンス王太子が、しどろもどろに言い訳をするも、
「若い令息や令嬢が集まってのサロンやガゼボならともかく、格式高いパーティ会場に『貧乏人の宝石』であるダイヤモンドの宝飾品を身に着けて参加するなどあり得ません。ましてや王太子殿下が婚約者に贈るなど、殿下がこの婚約を貴賤結婚に準じたものだと考えて、『この程度の女には、ダイヤモンドで十分だろう』と、わたしを軽んじ、侮辱していると取られてもおかしくない状況なわけですが?」
まあ、あと百年もすると普通にダイヤモンドが宝飾品として、王侯貴族にも持て囃されるかも知れませんけれど、と付け加えるヴィクトリア。
ちなみに貴賤結婚というのは、著しく身分の離れた者同士が結婚することで、その場合は王太子といえど王族から抹消され、法定相続人からも除外され、生まれてくる子供も王族と認められないのが通例である(伯爵とか適当な身分が与えられる)。
「いやいやいや。そんなこと全然考えていなかったぞ、私は!!」
「だから言ったのです、『阿呆ですか、殿下?』と」
必死に弁明するローレンス王太子に向かって、織り込み済みといった風情で即座に言葉を投げ返すヴィクトリアであった。
「世間一般的に考えればそういうことになるのです。ということは、殿下はわたしをアルカンタル公爵令嬢ではなく、ただの侍女と考えてエスコートするつもりである……という考えに帰結するのは当然です。それゆえにわたしも一介の侍女として対応したわけですが」
本気で誕生パーティにこのネックレスを付けさせるつもりですか? 国王陛下やアルカンタル公爵は当然として、周り中の顰蹙を買いまくって針の筵になるのは目に見えていますよ?? やったら二回目の婚約破棄と廃太子コース一直線ですよ???
再三に渡って念を押されたローレンス王太子の顔面から血の気が引く。
「わ、悪かった。ネックレスはなかったということで――」
侍従兵を下がらせようとするローレンス王太子の指示が飛ぶ前に、一歩前に出たヴィクトリアが無造作にネックレスを手に取った。
「いえ、もったいないですし、殿下のお小遣いとはいえもとは民の血税。それを無駄にするわけにも参りませんので、ありがたく頂戴します」
貰えるモノは貰っておけの精神を隠すことなく、髪をかき上げてネックレスを胸元に飾るヴィクトリアであった。
なお王太子と婚約者であるヴィクトリアに対しては、毎月国王陛下のポケットマネー(公領から上がる収入)からお小遣いが支払われている。
金額的には中小貴族の年収ほどで、公務のためにかかる費用などを賄うという名目のもと、私的な使用人に対する給与や公務に関わる旅費、衣服代など多岐にわたる……となっているが、詳細は議会にも伏せられてた。
窓から差し込む明かりを受けて、キラキラと輝くダイヤモンドは硬質な美貌のヴィクトリアに非常に似合っていて、ローレンス王太子は暫し見とれるのだった。
「綺……あ、いや、すまんな、もの知らずで。では、改めてルビーの宝飾品を――」
「あ、それはいいです」
気を取り直して言いかけたローレンス王太子の言葉を遮って、ヴィクトリアは即断する。
「パーティの主役はフィオレンツァ上太皇后様ですので、あまり出しゃばらないように控えめなほうがよろしいかと存じます。事前にわたしのドレス案は提出してありますので、それに合わせて再考を御願いします。あと作ってから聞くのではなく、もうちょっと早めに、お互いの考えの擦り合わせをするようにしてください。――まあ、当日に渡されて後戻りができなくなる、最悪のケースを回避できたのは僥倖でしたし、多少の進歩の跡は見られますけれど」
「う、うむ。わかった」
きまり悪げに頷くローレンス王太子を上から下まで眺めて、ヴィクトリアは嘆息混じりに付け加える。
「それに、本物の、絵本に出てくるような王子様からルビーの宝飾品をいただけるなら、もっと劇的なタイミングやシチュエーションがあるでしょう。わたしだって夢見ることはあるのですから、もう少し考えてください」
「……えっと、それって……?」
「――察してください」
ぶっきら棒な物言いで背中を向けたヴィクトリア。
その耳が、赤く染まっているのを目にして、さしものローレンス王太子も色々と理解して続く言葉に窮するのだった。
思わず助けを求めるように周囲を見回すも、侍従兵も家女中たちも、揃いも揃って微笑ましいものを見るような生暖かい眼差しを向けるだけであった。
「あー……善処する」
ともあれそう絞り出したローレンス王太子の返答に、ヴィクトリアは無言で肩をすくめるという微妙な反応を返した。
ルビーはいまでも王侯貴族の持つ宝石の最高峰です(日本の皇族も婚約指輪はルビーです)。
ダイヤモンドが宝石扱いされるようになったのは19世紀くらいからで、それまでは『硬い石』という認識で、石工などが使用していました。
また、結婚指輪を男性が女性に贈る習慣は500年ほど前から始まったとされています(当時は王侯貴族の習慣)。その後、産業革命を経て庶民の間にも広がったわけですが、本文にも書かれていた通りルビーは買えなかったので、代わりにダイヤモンドを贈って、それがいつの間にかスタンダードになってしまいました。
『貴賤結婚』について――。
一夫一妻制の国の場合はまず認められません。王子が無理やり強行する場合は、たとえ唯一の王子であっても王籍から除外して、臣下としてすべての権限を奪います。
その後適当な身分を与えて(大抵が伯爵で、死後に侯爵にするとかが普通で、物語のように平民にまで落とすということは王家の体面もあり、さすがにあり得ません)、親戚筋から新たな王太子を見繕う形となります。
逆に一夫多妻制の王族の場合はあまり気にしません。実際、イギリスでは王妃に革職人の娘を娶った例があります。
日本になるともっと極端で、女性は跡取りの子供を産めればOKで、身分とかどーでもいいというノリでした。