預言の聖女は侍女に仮面を剥がされた模様⑤
「三カ月後に開催予定のフィオレンツァ上太皇后様の誕生パーティにわたしも参加ですか? 殿下のエスコートで?」
「いや、正式にヴィクトリア宛に招待状が届いている」
ひょいと無造作に渡された招待状を受け取り――すでに中身は検閲済である――ヴィクトリアは推し量るように、椅子に座ったローレンス王太子の目を見返した。
「フィオレンツァ上太皇后様といえば確か現在は隠遁して、王都近郊に独立国扱いの自治領を与えられ悠々自適の生活を満喫しつつも、一朝有事の際には、たとえそれが国王陛下であろうとも対等に渡り合う、《影の女帝》とも呼びならわされる御方――ですが、ここ五十年来ほとんど表舞台に出ることもないと聞いていたのですが、まだご存命でしたのですか?」
「ああそうだ。私の曽々祖父の正室に当たる人物で、昔から顔を合わせるたびに父上も……覚えている限り先代国王でさえも小僧扱いで、私も事あるごとにガミガミと遠慮会釈なく叱られたものだ」
「ふむ……他の方々はともかく、ローレンス殿下に対しては、おそらくは筋の通った戒めの類なのは想像に難くないですが」
そう大真面目な顔でヴィクトリアが同意を示すと、ローレンス王太子は盛大に顔をしかめた。
「いや、これが公式の場ならともかく、身内だけの私的な場所でも、やれ『常に周囲の目を気にして威厳を持て』だの、『兄弟と言えども一線を設けて、配下として扱うように』とか、『まさか王立学校の女生徒ごときに色目を使われて、婚約者――当時はブリセイダだったが――を蔑ろにしているのではないでしょうね』だとか、事もあろうに面と向かって父上に『貴方も若い頃は大概でしたけれど、息子たちは輪をかけて半端物揃いですね。一番マシなローレンスでも、こんなボンクラだとは』と、文句を付けていたくらい……まあ立場もあって好き勝手言ってくれる相手で、俺も積極的に関わり合いになりたいとは思わんほど偏屈な人物なのだ」
ちなみにローレンス王太子の異母兄弟であるデシデリオ第二王子とイスマエル第三王子に対する評価は、「王の器ではありません。玉座をただ光り輝くだけのものとしか思えない、所詮は遊びの権力願望しか持っていない夢見る子供ですね」という、取り付く島もない断定であったという。
そのせいもあってか、デシデリオ第二王子とイスマエル第三王子はフィオレンツァ上太皇后を毛嫌いしていて、なんだかんだ理由をつけては顔を合わせないようにしているらしい。
「それはまた……。聞いた限り真っ当過ぎる意見ばかりで、話が合いそうな御方ですね」
ローレンス王太子の繰り言を聞いただけでも、どれもこれも頷ける諫言の類にヴィクトリアはシンパシーを覚えるのだった。
「どこがだ!? ――いや、確かにお前とは馬が合いそうだが」
不本意と納得の両極端の表情を垣間見せるローレンス王太子に対して、ヴィクトリアが指折り数えてフィオレンツァ上太皇后の御小言の内容を噛み砕いて説明する。
「そもそも公私のけじめについてですが、王族――ましてご正室の第一王子に生まれた段階で殿下に『私人』としての側面はございません。常に公人であることを自覚するように意見されたのでしょう」
「なっ……私にプライベートは存在しないのか!?」
納得いかない表情で噛み付くローレンス王太子。
「風呂に入ったり、トイレに行くにも護衛が付く殿下に、プライベートなどいう幻想はありませんよ。常に誰かに見られているということを意識して、国民の規範になる……もしくは王者として貫禄を忘れないようわきまえてください」
「いやいや。私だって一個の人間だぞ。たまに羽目を外しても――」
「ですから私人の前に公人――国民の税金で暮らしているという自覚を持って、愛嬌程度で済ませられる程度の羽目の外し方ならともかく、明確に法律や倫理的にアウトな行動は厳に慎んでください」
実際のところは王族の直轄領や個人資産だけでも莫大な財産を持っているのだが、もともとの出どころや利権の根底は国民や植民地からの搾取の歴史でもある。
「以前にも申し上げた通り、我が国は法治国家であり、何百年も前の絶対王政の時代ならともかく、王命よりも法が優先されますし(まあ、実際は戦争や災害時などの緊急時には司法院や元老院を飛ばして、国王の絶対命令権が発動される条文がイの一番にありますが)、最近は知識階級に配慮して『高貴さは義務を強制する』などという言葉が流行っていますので、王侯貴族は常に『社会の模範となるように振る舞うべきだ』という責任と無私の行動が求められ……」
「???」
「……要するに『常に空気読んで社会的に忖度しろ』という意味です」
いまいちピンとこないローレンス王太子に、さらに言葉を飾らずにぶっちゃけるヴィクトリア。
瞬時に相手のレベルに合わせてハードルを下げられるのが、彼女の非凡なところであった。
「いや、そんなもの正直『うるさい。俺の勝手だ関係ないだろう、馬鹿野郎』の一言で終わる話ではないのか?」
「本音はともかく、それを言っては国が傾きます。常に本音と建て前を使い分けるのが王侯貴族に求められる資質でありますが、殿下の場合は力の抜きどころが間違っているので、常に緊張感を持続させるしかありませんから」
「だったらデシデリオやイスマエルはどうなんだ! あいつら俺と同じこと言われたことはないし、好き勝手やっているぞ!!」
そう反論するローレンス王太子に対して、しばし黙考してから諦めたようにヴィクトリアが語りだす。
「先ほどの『王の器ではありません。玉座をただ光り輝くだけのものとしか思えない、所詮は遊びの権力願望しか持っていない夢見る子供ですね』というフィオレンツァ上太皇后様の御言葉がすべてを物語っています。弟王子であるお二方はローレンス殿下が万一の際のスペア――次席王位継承権者だと考えてらっしゃるようですが、それはあり得ません」
「なぜだ? 年齢や順番からいってあのふたりが王位継承権の上位に位置しているのは間違いないだろう」
「名目的にはそうですが、そもそもあのお二人はいまだに婚約者もいらっしゃらない独身……というだけで、国王陛下や元老院の意図としては、臣籍に落とすかどこかに入り婿させて利用する程度の価値しか見出していないのが明白です。なにしろ立太子させるには、少なくとも婚約者か結婚相手がいるのが暗黙の了解ですから」
国王をフォローできる王妃あっての国王である。
独身の国王などという社会的に半端な存在はこれまで存在しなかったし、仮に外交の場にひとりで参加したとしたら、諸外国の国王や内外の貴族に馬鹿にされるか、下手をしたら侮辱されたと受け取られかねない。それほどの問題であった。
「確か殿下の同腹の弟君である第四王子(八歳)には、すでに婚約者がいらっしゃいますよね? つまり、国王陛下の総意としては、いざという場合の帝国時代の言葉で言えば、万一の場合の日嗣の御子は第四王子と、そう決められている……という所作ではないでしょうか?」
「な、なるほど!」
さも感心したように納得したローレンス王太子だが、対照的にヴィクトリアは渋い表情である。
「いや、そこはもっと危機感を持ってください。まだ八歳とはいえ弟殿下はそれなりに利発と聞いておりますから、潜在的な脅威でもあるわけですよ。それは確かに年齢的にも、またすでに立太子しているという事実がある以上、殿下の方が大きくリードしていますが、またトチ狂って下手なことをすれば、あっさりと崩れる砂上の楼閣の上にいるわけですから」
というか、ブリセイダ様と婚約していた当時、さりげなく婚約者に対する態度や学園での人間関係に注意を促されたということは、高い確率で婚約破棄騒動が起こることを察知していたということになる(馬の耳に念仏だったが)。
「つまり婚約者がいなくなった瞬間に王太子の資格も剥奪されるということですが、そこらへん自覚はございまいしたか?」
「…………」
ヴィクトリアの問いかけに、あっ! という顔で固まったローレンス王太子の表情がすべてを物語っていた。
「……いや、ライバルといったってまだ八歳だぞ」
さすがに競争相手として考えるのは無理だろう、と楽観視するローレンス王太子に向かってヴィクトリアはため息混じりに言い聞かせる。
「そうとも言い切れません。知的障害のある殿下でも、それを乗り越えて王太子になられたのですから、年齢が決定的なハンデになるものでもないでしょう」
「どういう意味だ!?」
喚くローレンス王太子を無視して、ヴィクトリアは改めて招待状を手に取って首を傾げた。
「ふむ……御年百十七歳の誕生日を祝う会ですか。微妙に中途半端な数字ですが、憎まれっ子世に憚るとはいえ、いつ何時天に召されるかわからない御年ですので祝いの席を開きたいというのは理解できますが……殿下、ブリセイダ様と婚約されていた時にブリセイダ様宛に招待状が送られたことはございますか?」
「え? いや……ないと思うな。少なくとも私は聞いたことがないし、パーティで見かけたこともない。そもそも会場に呼ばれるのは、少なくとも公爵以上の王族の血を引く同族ばかりだったしな」
普通はなくても婚約者を同伴させてエスコートをするものだが、つくづく気の利かない男である。
「――となると、単純に公爵家の娘であることから網に引っかかったのか、それとも上太皇后様の琴線に触れるものがあったのか。いずれにしても断れるものでもないですし、三カ月後となれば大急ぎで準備をしないと間に合いませんね」
わずかに切迫したヴィクトリアの言葉に、首を捻るローレンス王太子。
「ドレスや装飾品の準備です。というか、普通は婚約者が女性を引き立てるために仕立てるか、最低限どのような支度をするのか確認して、当日自分が着ていく衣装を合わせるものですが?」
別にプレゼントして欲しいとねだるつもりもありませんので、せめて衣装合わせくらいは協力してください、と続けるヴィクトリアの台詞の続きを聞いて、にわかにローレンス王太子は色めき立った。
「まてまて! そういうことなら王室御用達の仕立て屋を総動員してドレスを仕立てるので、私から贈らせてくれ!」
「……いや~。わたしは趣味の押し付けで、他人のセンスに合わせて衣装を仕立てられるのって好きではないので」
かつてナタリア嬢へローレンス王太子が贈って後に回収された、フリルとレースとがふんだんに使われたフリフリのドレスを思い出して、有難迷惑という顔で固辞するヴィクトリア。
そんな彼女のにべもない態度を遠慮であると単純に解釈をして、ここで汚名返上、名誉挽回とばかりにハッチャケて、執拗にドレスと装飾品のプレゼントにこだわるローレンス王太子とヴィクトリアとの攻防が、双方の思惑のズレを擦り合わせることなくしばし激しく繰り広げられた(最終的にローレンス王太子が装飾品を、ドレスはアルカンタル公爵家で仕立てることで妥協することとなる)。
ともあれ、やり手であるフィオレンツァ上太皇后に会えることを、期待しているヴィクトリアであったが、さしもの彼女も予想していなかったことがある。
いかに聡明な才女であろうとも――否、なまじ有能で、自分のことは自分で判断し解決できる人物であるがゆえに――周囲の人間との隔絶というものを推し量れずに、また老いと寿命というものを前にして、『奇蹟』や『神秘』という若い頃は鼻も引っかけなかった曖昧なものに知らず傾倒し、結果的に取り返しが利かなくなっていることがあるということを。
結果、三カ月後の誕生パーティの席で、フィオレンツァ上太皇后はローレンス王太子に当然という形でとんでもない提案をしたのだった。
「ローレンス。貴方に足りないのは教会や伝統貴族からの支持です。法衣貴族や役人、一般大衆に迎合するのはいいですが、おもねることとは別です。方便としても彼らに迎合することは必要でしょう。王族にとって最大の敵は、実は内部の敵であったりすることはままあることは――残念ですが、現実であり、現状でもあります。伝統や神秘を尊重しようという姿勢を鮮明にするためにも、アルカンタル公爵令嬢との婚約は一時棚上げして、〈預言の聖女〉であるアマリア様との婚姻を視野に入れ、お付き合いをすることをわたくしは勧めます。彼女はとても素晴らしい方ですから」
「は――はあ……!?!」
思いもかけぬ話に、思わずマナーも忘れて唖然とするローレンス王太子と、同時に眉をひそめる国王エルベルトⅢ世陛下とレアンドラ王妃。
一歩離れた場所で引き合いに出されたヴィクトリアは、密かに嘆息してしみじみと感慨に耽るのだった。
(ボケているのでしょうか、この方は……?)
いかに怜悧で鳴らした方でも、晩節を汚してはすべてが台無しですね。わたしも気を付けなければ。と、そう心に誓うのであった。
※『高貴なる義務』はもともとフランス語の『高貴さは義務を強制する』を英語訳した際に微妙に翻訳されたものです。
もともと言い出したのは貴族本人ではなく、18世紀の知的階級であり、それを作家が好んで使うようになったために民間にも流布して、貴族本人も世間の同調圧力に負けて社会規範として順守するようになったもので、割と近世の話となります。
※なお、ローレンスの祖父に当たる先々代国王はフィオレンツァの実子ではなく第二夫人が産んだ長男です。フィオレンツァ王妃(当時)には娘が三人しかおらず、いずれも国内外の王侯貴族へ嫁いでいます。
実のところ王家直系というのは何度も断絶ギリギリを繰り返しているので(中には絶対に国王と血のつながっていない不義の子だろうという限りなくクロな人物もいて)、そのたびに親戚筋にあたる公爵家から妻を迎え入れて延命を図っています。
そのため逆に通常であれば血が濃すぎないように(経験則から近親婚は失敗が多いことが知られているので)、王配は公爵家ではなく侯爵家くらいから選定されます。
ヴィクトリアの場合はさほど王家との血のつながりもなく(四代くらい遡ればありますが)、家柄、才知ともに申し分ないということで、王配として申し分ないといったところで元老も満場一致で了承した経緯があります。




