【幕間】兄と弟、姉と妹の婚約破棄四重奏(後編)
お待たせしました。
「どうやら門閥貴族間での癒着が思った以上に深刻な事態のようですね。おそらく今回の婚約破棄騒動の当事者を直接手引きしたのはキエザ子爵ですが、便宜をはからせたのは、シントロン侯爵家、オルティス辺境伯家の両家であるのは間違いないところでしょう。それにしても、国王陛下主催の晩餐会に身内とはいえ、無関係な人間を紛れ込ませた……となると、今回の騒動に対する不敬罪に加えて、国家反逆罪も視野に入れて調査すべきではないでしょうか?」
そこへヴィクトリアの冷静な指摘が加わり、さほど大きな声ではなかったにも関わらず、耳をそばだてていた王族のごく近くに位置していた、準王族クラスの最上位貴族の口から口へと話の内容が伝播され、ほどなく会場中へと波紋のように広がった。
結果、冷ややかな視線と嫌悪感が、渦中の婚約破棄騒動の元凶であるバカ息子バカ娘から、製造と管理責任者たるその父親たち(逸早く卒倒して別室へ運び込まれた母親たちは、ある意味幸運だったのかも知れない)へと向けられることとなった。
無論、中にはシントロン侯爵家、オルティス辺境伯家とも同じ穴の狢は多数いたのだが、そこは厚顔無恥な王侯貴族の当主たち。こっそりと招待されていなかった関係者を、隣室の控え室へと退避させて、自分は関係ないとばかりすべての罪を両当主にかぶせて、全面的に弾劾する側へと立ちふさがる。
「「…………」」
言葉にならずに歯の根も合わない様子で震えるシントロン侯爵とオルティス辺境伯。
もはやこの段階で貴族社会では終わったわけであるので、身の破滅が確定したも同然であった。
「シントロン侯爵領には王国でも屈指の貿易港があったな。そしてオルティス辺境伯が治める東辺境領は、紛争地域もしくは睨み合いが続いて決して気の抜けない他の西南北を守る辺境伯領と違って、ここ百年ほど隣国と問題が起きたことがないという、名ばかりの辺境伯と化している。軍事費に予算を使わずに済む分、今回の婚姻関係による経済効果は抜群であろう? 試算では王国内の物流の二十%ほど牛耳ることが可能となるな」
そんな国内屈指の大貴族ふたりを見据えて、今回の婚姻関係がもたらすであろう結果と目論見を淡々と口にするローレンス王太子。
実のところは隣に侍るヴィクトリアが、扇で隠した口元で囁く台詞をそのまま喋っているだけなので、好むと好まざるとにかかわらず棒読みになっているだけなのだが、感情が見えない口調と冷めた態度――単に大根役者のため演技する余裕がないだけなの――が相まって、妙な威厳と迫力に見えるのだから世の中よくしたものである。
(やはり世の中大切なのは肩書と見栄えですね。中身がスカでも虚飾だけで問題ありませんから。お金や名声、名誉は後からついてきますが、先天的な要因はいかんともしがたいですもの。若くて顔が良くて御しやすい殿下は、正直申し上げて尊敬も愛情もありませんけど、婚約者としてはやはり超優良物件ですね)
しみじみと痛感しながらカンニングの手伝いを続行するヴィクトリア。
一方、どこか見世物を見ているような余裕のある態度で、この騒動を眺めていた貴族たちに衝撃が走った。
『――な、なんだとっ……!』
『国内の流通の二割だと!? とんでもないことだな』
『ああ、右から左へ動かす関税だけでも、下手をすれば王家の財源にも匹敵するのでは?』
『それにもまして必要物資を握られるとなると、特に北部では命綱を握られたも同然ではないか!?』
具体的な数値を示され、差し迫った脅威が鮮明になったところで、『何がなんでもこの機会にシントロン侯爵家とオルティス辺境伯家は潰しておかねばならぬ』という共通した危機感が芽生えた。
派閥などで普段は(表面上はともかく内心では)反目していても、出る杭を打つことと、自領の障害となり得る誰かの足を引っ張るとなると、率先して協力し合う――または旗幟を変える――ことに一切の躊躇がないのが貴族というものである。
「ただし問題もあるな。最近、ドクトゥス共和国――オルティス辺境伯家が国境守備にあたる隣国からの入国者がずいぶんと多い……というかほぼザルという報告書が上がっている。実際、他の辺境伯領に比較して四倍以上の入国者が報告されている。いかに平和とはいえ隣国は共和国。王政に反する政治思想を掲げる国の民を易々と入国させるのは問題ではないかな? それとシントロン侯爵。国内で禁止されている薬物や嗜好品、検疫もできないような珍しい動植物が国内に持ち込まれているという訴えがあって、内偵をしている段階なのだが、その行きつく場所が卿の保有する貿易港という調査結果が上げっているのだが?」
そう続けて両氏を処断するローレンス王太子。
一見すると切れ者っぽいその言動に、若い貴族やご令嬢方は感嘆と憧憬の眼差しを浴びせ、ある程度宮廷政治に慣れた者たちは、このシナリオに関与しているであろう王家のブレーンと諜報機関、そしていまだ衰えぬ王族の威光に改めて畏怖と忠誠を誓い。さらに目端が利くものは、ローレンス王太子の傍に侍るヴィクトリアに対して、戦慄を込めた眼差しを向けるのだった。
一方、王太子であるローレンスの(名目的には)指摘を受けて、国王陛下が有無を言わせぬ口調で、近侍に向かって明瞭に告げる。
「――ふむ。迅速な調査が必要だな。近衛騎兵隊、王命である。シントロン侯爵家とオルティス辺境伯家、並びにキエザ子爵家の立ち入り調査を命じる。抵抗するなら拘束、あるいは最悪その場で処断することを許可する。直ちに行動に移せ!」
「はっ! 近衛第二軍及び第四、第五軍を王都内の町屋敷、並びに夜間飛行部隊を動員して、各領都にある領主館へと向かわせます!」
打てば響く調子で近侍が答え、それを聞いて満足そうに頷く国王陛下。
ぶっちゃけ領主貴族は自分の領地こそが国であり、領地ごと他国に離反しても問題ないわけなので、そうなる前に軍を派遣して領地ごと差し押さえにかかったわけである。
そうした国王陛下の本気度を悟って、へなへなと膝を突くシントロン侯爵とオルティス辺境伯。
「――よ、よくわかりませんが。ともあれアリシア・シントロン侯爵令嬢との婚約は破棄ということで、私は今後はこの愛すべきクラリーサ嬢と改めて婚約をすることを、お集りの皆様方を証人としてここに宣言いたします!」
この期に及んで自分たちの視界の範囲内で泥沼の人間関係を推し進めるドゥイリオ東辺境伯家三男坊。
同時に床に膝を突いていたオルティス辺境伯当主が、頭を抱えてカーペットの敷かれた床に頭を抱えて、「あのバカ者が! 愚か者が!! 戻り次第縊り殺してやる……!!!」と、怨嗟の呻きを発しながら頭を打ち付けるのだった。
「ほほほっ、決まりですわねお姉様! せいぜい妾腹であるエドガルド様と末永くお幸せにぃ!」
ドゥイリオ青年の尻馬に乗って口汚く嘲笑うクラリーサ嬢。
あまりの口の悪さ――正確には貴族言葉ではなくて、こちらが素なのだろう――労働者階級の言葉で喋られたために、大部分の貴族たちが「耳が腐る」とでも言いたげな表情で顔を背けた。
「……妾腹なのは貴女も同様でしょう? 市井に暮らしていたところを、四年前に実母がお亡くなりになられたとのことで、お父様が引き取ったわけですが。……やはり迂闊な行動でしたね」
アリシア嬢の冷ややかな眼差しが、窮地に立たされている実の父親であるシントロン侯爵へと向けられ、恥辱によるものか或いはこの期に及んで自分の間違いを認めがたいからなのか、反射的に顔を背けられるのだった。
「お姉様はいつもそうよ! 私のことをバカにしてさ。自分だけ舞踏会とかパーティとかに出て、家も財産も領地も全部手にしていい気になっていて、ズルいわ! ただ母親が違うというだけで偉いと思っている、卑怯者じゃない! そのくせ『別に好きでお家を継ぐわけじゃない』とかおためごかしを口にして! だったら私がそっくりもらっても問題ないじゃないの!」
そうキーキーとわめくクラリーサ嬢の言い分に、ローレンス王太子が頭を抱えてヴィクトリアに尋ねた。
「……この期に及んで何を言っているんだ、あいつらは?」
視線の先では、ともにドヤ顔を浮かべているドゥイリオ青年とクラリーサ嬢がいる。
「さあ? 見たところドゥイリオ卿は努力や根回しもしないで結果だけ求めるタイプのようですし、相手の方も共依存で傷をなめ合ってナアナアで問題から目を背けて回避する典型的な自己陶酔、自分大好き令嬢のようですので、万事自分に都合の良いように解釈しているのではないでしょうか?」
「それにしたって、言っていることが支離滅裂なのだが」
「私も実物は初めて見ましたが、あれがいま流行りの『ズルいズルい系妹』というものらしいですね」
珍獣を見る目でクラリーサ嬢を凝視するヴィクトリア。
「何だそれは……?」
「要するに甘やかされた妹が、『先に生まれただけで優遇されるお姉様はズルい』と言って、姉のものをなんでも横取りしようとする我儘の一種ですね」
「……いや、貴族家において長子を優遇するのは当然だろう? まして姉妹であればなおさらだ」
「まあそうですね。男子であれば割と洒落にならない後継争いに発展する場合がままありますが(例えば王家の三馬鹿王子とか)、女子の場合はよほど器量に問題があるか、素行に問題がない限り長女が優遇されるのが常ですし――」
ついでのように傍らに控えていた侍女から何やら書類を受け取って、軽く一読して戻したヴィクトリアが、シントロン侯爵の姉妹を交互に見据えながら続けた。
「確認したところ、長女であるアリシア嬢は成績優秀――特に座学においては常に学園のトップ10を維持していて、常々『可能であれば大学院へ進学したい』とこぼしていたとか」
「ほう……」
下級貴族の子女や平民出の学園生の中には、例年五人ほどが大学院に進学するケースもあるが、大部分の貴族の子女は十八歳になれば卒業するのが普通である。
このあたりは悪しき慣習という奴で、「貴族の令嬢はある程度の教養が必要だが、男以上に頭のいい女は可愛げがない」という意見が幅を利かせているため、学歴のある女性はそれだけで結婚の対象から外されるため、結婚を考える貴族の令嬢は学びたくても学べない……というジレンマがあった。
「それと対照に異母妹にあたるクラリーサ嬢は、愛嬌以外の座学もダンスも礼儀作法も壊滅のようですね。例を挙げるなら、貴族の令息令嬢であればほぼ無試験で編入できる貴族学園の口頭試験で、「7×21は?」と聞かれて「そんなこと急に聞かれてもわかんな~い」と答えたという剛の者であり、外側はともかく中身は確かに極めて弱い白痴美少女というのが、在校生の大多数の認識のようです」
それがなぜか「面白い女」としてドゥイリオ青年の琴線に触れ、あれよあれよという間に取り入って恋人扱いされることになり、何人かの心ある者たちが諫めたり、苦言を呈したりしたものの、そのたびに彼らの逆鱗に触れ、あることないこと難癖をつけられることに嫌気と危機感を覚えて、いつしか黙認して放置するようになった……結果、まさかこのような場で、このような暴挙を起こすとは、まさしく青天の霹靂としか言うことがなかった。
「なるほどなぁ。アリシア嬢も気の毒に。意に添わぬ婚約で進学の夢をあきらめたところ、その婚約者が妹に略奪されて生き恥をさらすことになるとは」
ついでに無能な父親のせいでお家断絶の危機でもあるわけである。
本気で同情するローレンス王太子の裏表のない態度に、微妙な表情になって――私人としては良いのだが、公人としては素直過ぎて失格である――ヴィクトリアが辛辣に言い放った。
「そうでしょうか。つまるところ婚約者の動向や妹との関係に無関心であったこと。つまりは自らの怠惰が原因で、あのようなクズ――失礼、下劣な品性の婚約者と異母妹を矯正もしないで放流した結果が、自らに返ってきただけの自業自得とも言えますので、あまり同情はできませんね」
「相変わらず評価が辛口だな」
苦笑いするローレンス王太子の視線が、愛するアリシア嬢を守って兄と対峙するエドガルド青少年へと向けられる。
「――で、お前的にはあちらの弟の方も評価対象外というところか?」
「当然です。私的には兄弟揃ってクズ度合いは同じですね。特に周りの人を巻き込んで断りづらい状況を作るのって、一番タチが悪いと思いますよ。アリシア嬢も断るのに断れない状況で困惑しているではないですか」
ヴィクトリアの言葉に、確かに身動きもままならない様子のアリシア嬢の焦りを見て取って、ローレンス王太子は、ゆっくりと堂々たる歩みで婚約破棄騒動でいまだに膠着状態に陥っている現場へと足を運ぶのだった。
「――なら、このあたりで助け舟を出すとしようか」
鹿爪らしい表情でそうヴィクトリアに告げて、ローレンス王太子はよく通る声で四人に向けて言葉を放った。
「そこまでだ! 双方言い分もあろうが、この場は私とヴィクトリア嬢との婚約を祝う席である。水を差すような騒動は控えてもらおうか!」
そこまで具体的に言われて、初めて自分たちがしでかしたことを悟ったらしい、ドゥイリオ青年の顔が強張り顔色が変わった。
一方、クラリーサ嬢は間近にまみえたローレンス王太子の美貌を前に、全く臆することなく黄色い嬌声を放つ。
「きゃ~~っ! ローレンス様よ~。格好いいわ~。素敵っ!!」
その傍若無人さに、ローレンス王太子に向けて咄嗟に臣下の礼をとった他の三人は、声にならない呻きを放った。
(ナタリア嬢もこんな感じだったな。魔薬で感覚が麻痺していたとはいえ、なんでこんな下品で無教養な女に魅かれたんだろう? ヴィクトリアに比べれば黄金と屑鉄も同然ではないか)
当時の俺はまったくもって気が狂っていたのだなぁ……と、そんなことを内心で慨嘆しながら、ローレンス王太子はクラリーサ嬢をガン無視して、一方的に言い放った。
「この騒動は我が預かる。追って沙汰を告げるゆえ、全員、会場から退室するように。――衛兵!」
その一言で、待機していた衛兵が集まってきて、やんわりと四人とついでにオルティス辺境伯とシントロン侯爵を拘束して、粛々と会場から退席させるのだった。
「ちょっと! なにするのよ! あたしを誰だと――!」
最後まで状況を理解できずに騒ぎまくっていたクラリーサ嬢を抜かして。
「さて、思いがけない余興があったが、どうか諸君。我が息子と将来の伴侶を祝うパーティを、引き続き楽しんでくれたまえ!」
続いて国王陛下の鶴の一声がかかり。合わせて宮廷楽団が演奏する陽気な音楽を皮切りにして、晩餐会は何事もなかったかのように再開されたのだった。
◇ ◆ ◇
「それで、結局どうなったわけですか?」
後日、お茶の時間にヴィクトリアが何気ない口調でローレンス王太子に事の顛末を尋ねた。
「どうもこうも。シントロン侯爵領は大幅に削られ、貿易港は王室の直轄領へとなり、ほぼ街道から離れた僻地が残るだけとなった」
さすがに大貴族だけあって完全に粛清するとはいかなかったらしい。
「オルティス辺境伯家は伯爵家へと降格され、現当主は蟄居の上、長男が当主の座を継いでいる。それと問題を起こした三男と四男は勘当されて平民落ち。ま、例のキンキンうるさかった侯爵家の妹の方も元の平民に戻されて、半ば無理やり三男と結婚させられて、いまでは何もできない旦那の代わりに働いて赤貧に喘いでいる……との風の噂も聞くな。それとオルティス伯爵家は移封で、植民地であるジャーピル島の総督ということになった」
チョコレートを茶うけに紅茶を飲みながら、ローレンス王太子がそらんじる。
「ジャーピル島というと、島民のほとんどが反王国派の激戦地では?」
「その通りだ。これで文字通り国の守りという仕事に従事出来て本望というところだろう。それとシントロン侯爵も責任をとって家督を遠縁の男子に譲って、田舎に引っ込んだらしいな」
「それではアリシア嬢は?」
「こちらは希望通り王立貴族学園の大学院に進学するとのことだ。あとついでにウーゴ憲兵隊長……キエザ子爵は数々の汚職と犯罪行為が露見して、当然のように王国憲兵隊の地位から解任。現在は牢屋暮らしだが、まあ良くて鉱山送りだろうな」
うるさい奴がいなくなって助かった、と安堵の吐息を放つローレンス王太子。
それを聞いて軽く肩の力を抜いたヴィクトリアが、いつものように勝手に自分の分の紅茶を淹れて飲みながら、
「そうですか。まあ因果応報。収まるべきところに収まったというわけですね」
「まったくだ。私もつくづく他山の石とすべきだと実感した」
納得したように紡いだ言葉に、しみじみとローレンス王太子が同意するのだった。
(……この殊勝な態度がずっと続けばいいのですけど)
そう内心で嘆息しながら、ともかくも「その通りですね」と相槌を打つヴィクトリア。
紅茶の香りとともに、一見すると和やかな空気がふたりの間を流れるのであった。
8/16 修正しました。
8/16 すみません体調不良のため、感想に返信できておりません。体調が戻り次第返信させていただきます。