【幕間】兄と弟、姉と妹の婚約破棄四重奏(中編)
「愚かな兄による短慮軽率によって、公衆の面前で侮辱された貴女を守りたい。どうか貴女の恋の下僕である私の手をお取りください、アリシア嬢!」
「………」
自らの台詞に感じ入った様子で、アリシア嬢へ腕を差し出すエドガルド。当のアリシア嬢とはいえば困惑もあらわに、途方に暮れた様子で周囲に視線を走らせる。
「おいっ! なにを勝手なことを言っている。そもそも貴様が口出しすべき問題ではない。おまけに私の婚約者に横恋慕していたなどと、よくもぬけぬけと言えたものだなっ。盗人猛々しいとはこのことよ。所詮は妾の子だけのことはあるというもの。恥を知れ、エドガルドっ」
「きゃ~っ、格好いいですわドゥイリオ様! わたしをバカにしたエドガルド様なんて追放ですわ、ついほーっ」
激昂するドゥイリオ卿に向かって、周囲からのさざ波のような「お前が言うな!」という輪唱のような小声によるツッコミと、クラリーサ嬢の空気を読まない(状況を理解できない?)歓声が響き渡った。
(国王陛下主催の王宮晩餐会。おまけに俺と婚約者のお披露目を兼ねたハレの舞台で騒ぎを起こすとは、馬鹿かこいつら……!?! って、傍から見れば私がやろうとしたことも同様か。なんと無様で滑稽、非常識だったのだっっっ)
眼前で繰り広げられる三文芝居――ことにドゥイリオの一挙手一投足――に、己の黒歴史を白日の下にさらされた気分で歯噛みし、そして周囲から投げかけられる冷たい視線と、
「陛下の目前で騒ぎを起こすなど不敬な!」
「そもそも婚約など家同士の話であろう。公の場で何をしているのだ!?」
「紳士ともあろうものが淑女を晒し者にするなど、貴族の風上にも置けぬな」
「若さ……というよりもバカさと言うべきであろう」
口々に囁かれる呆れ果てた苦言によって、ズバズバと全身に流れ矢を浴び、だらだらと背中に脂汗を流しながら煩悶するローレンス王太子。
周囲の目がなければ、頭を抱えて絨毯の上で悶絶しているところであった。
思わず傍らのヴィクトリアに視線を流せば、満面に湖面のような微笑みをたたえ、芸をするお猿か箸にも棒にも掛からぬ阿呆を眺めるような、生暖かい眼差しを二組の兄弟姉妹へと注いでいる。
直接ヴィクトリアを知らない者の目には、もの静かな令嬢が無垢な笑みを浮かべている……ようにしか映らないだろうが、長年の付き合いがあるローレンス王太子と、今日のためにヴィクトリアに付き従っていた侍女たちと女官たちは瞬時に目配せをして押し黙った。
「「「「…………(終わった。あの四人と関係者は終わったわ……)」」」」
即座に〝触らぬ神に祟りなし″とばかり、視線を逸らす彼女たち。
「――何か?」
ローレンス王太子の視線を感じてか、小首を傾げるヴィクトリア。
「……いや、その……すまなかった」
「? 何がですか? まさかこの頓珍漢な宴に一枚噛んでらっしゃるのですか、殿下?」
一転して疑念満載な口調で問い詰められ、ローレンス王太子は慌てて首を横に振って疑惑を払拭するのだった。
「ち、違う! そ、そうではなくて、その、こうなると私の浅慮な行いをほじくり返されて、小言を言われそうなので先に謝罪をだな……」
途端にヴィクトリアは口元を隠した扇の下で、軽く嘆息をする。
「わたしを何だと思っているのですか? 以前にも申し上げましたが、例のアレはむしろ学生の間に失敗をしたのはよい経験だと思っています。貴族学園というものは、宮廷や貴族社会を模倣し、試行錯誤をする猶予期間であり、ある程度挽回のチャンスはありますから」
――まあ、公衆の面前で失態を演じた場合には、いくら学生とはいえ王太子としての立場が優先されるので、いま現在眼前で行われている三文芝居同様、もはややり直しは利きませんが。
そう胸中で付け加えて、恬淡とローレンス王太子へと語り掛けるヴィクトリア。
「結果から逆算して愚かな行動だと言い放つことは誰でもできますが、過去は過去で取り返しは尽きません。ですがいま重要なのは、過去の失敗を糧に現在を変えることです。殿下はわたしの苦言を受けて最悪の行動を回避されました。ですから同じ失敗を繰り返したのならともかく、いまさら蒸し返すつもりはありません。いちいち狼狽えないでください。そもそも王族たるものどのような状況でも動じずに堂々としていなければなりません。ですが慢心は禁物です。それゆえ失敗は教訓として常に心に刻んでいてください、殿下」
「そ、そうか。うむ。わかった」
安堵しながら、ローレンス王太子は言われるまま威儀を正した。
そんなふたりの様子を窺いながら、国王陛下がアルカンタル公爵へとささやきかけていた。
「アルカンタル公。聡明かつ明朗。まさに端倪すべからざる存在であるな、ヴィクトリア嬢は。まさに王太子妃――将来の国王を支え、ひいては国家の安泰に欠かせない存在――ゆえに愚息にはやはり彼女こそ相応しい……いや、必要不可欠と確信いたした」
「ははは。あの気性はパトリシアよりも、我が妻によく似ておりますな。それがしも若い頃は――いえ、いまだに尻に敷かれて頭が上がらないものでございます。まあ、夫婦円満のコツは妻に逆らわないこと、とも申しますので」
「なるほど、違いない!」
「「はははははははははっ!!」」
そんな王国のツートップである父親同士の馬鹿話をよそに、婚約破棄騒動は佳境に入った様子で、激昂するドゥイリオ卿の抗議を小馬鹿にした風情で軽く聞き流しつつ、エドガルドは大仰な仕草でアリシア嬢へ情熱的な口説き文句を並べてている。
いずれにしても自分たちの世界に完全に没頭して、周囲の視線も言葉もまったく気にしていない風情であった。
「ああーっ、シントロン侯爵夫人!?」
「しっかりされて、オルティス辺境伯夫人っ!!」
耐え切れなくなったのは両家の夫人たちのようで、蒼白になって卒倒したり頽れたりしたところを、慌てて周囲の者たちが支えメイドたちの手を借りて控室へと運び出すのだった。
そんな騒ぎも何のその、兄弟同士の当てつけを続けているオルティス辺境伯家の三男、四男を眺めながら、ローレンス王太子は微妙な表情でヴィクトリアに語り掛ける。
「……貴族家の跡取りが当主の座を巡って骨肉の争いをするというのはよく聞く話だが、何もこの場でやらなくてもいいだろうに」
「そうですね。侯爵家に婿入りする予定であった兄のドゥイリオ卿がズッコケたので、自分が後釜に座るつもりで見得を切っているのでしょうが、本来は家同士、家庭同士の話し合いで決めるのが常識だと思いますが、なし崩しで事を押し切りたいのか、よほど兄君に恨み骨髄なのか、自分が優秀だと喧伝したいのか……いずれにしても兄君と同じ舞台に立った時点で、あまり頭がよくないのは確実ですね」
そう切り捨てるヴィクトリアの言葉に軽く首を傾げるローレンス王太子。
「そうか? ドゥイリオ卿よりはまだマシだと思えるが」
するとヴィクトリアは、相変わらず節穴な婚約者の目を一瞥して、
「相対的にそう思えるだけです。上が底抜けの馬鹿なので、自分が頭がいいと勘違いしている凡人の典型ですね。殿下とイスマエル第三王子の関係とも共通していますが、自分で思っているほど切れ者ではないですよ、あっちもこっちも」
ある意味不敬な王室批判だが、ヴィクトリア自体が半ば王室の一員――王女に比肩する立場なので、ぎりぎりグレーゾーンの身内話になっている。
「悪かったな、抜けた兄で」
憮然としながらローレンス王太子は手にしたグラスを傾け、軽く舌と喉を湿らせてから苦々しく、自分とイスマエル第三王子との関係を、眼前の兄弟に当てはめて吐息を放った。
「……なるほど、イスマエルも内心では敵視している可能性があるわけか。それゆえ潜在的な敵と見なして隙を見せるな、と言いたいわけだろう?」
「少し違いますね。〝敵”というのは相手に敵い得る力があってこそ敵と言えるものです。相手の足を引っ張り不幸を喜ぶ行いや性根は誰からも敵とは見なされません。殿下は周囲の状況を俯瞰して大局を見据える目を養ってください。細かな策謀や小手先の計略などに目を向けることはありません。そういったことに囚われる人種は自爆するのが常ですから」
そう口に出したところで、ふと何事か小考し出したヴィクトリアだが、不意に「腑に落ちた」もしくは「ピースがハマった」という感じで、
「――あら。もしかして……?」
ギリギリ隣にいるローレンス王太子と随員に聞こえる程度の小声で囁いた……かと思うと、侍従に命じて何やら帳面のようなものを持って来させ、その場でパラパラと速読を始めたのだった。
「どうしたヴィクトリア。何か気になることでもあるのか?」
交響楽団が控えめなメロディを流す以外、シンと静まり返った会場の中心で、アリシア嬢と初めて会った日から、自分がどれだけ惹かれていたのか。だが兄の婚約者と知ってどれだけ苦しんでいたのか。兄を無視して切々と訴えているエドガルドの口説き文句に若干辟易しながら、ローレンス王太子はそう尋ねる。
なお会場の男性陣のほとんどが眉を顰め、女性陣は年若い令嬢は好奇心とロマンスに目を輝かせ、分別がつく年齢層は困惑とストーカーを見るような警戒心をあらわにし、ご夫人方は呆れと不快感を示していた。
「……やはりいま騒ぎを起こしている四人のうち、オルティス辺境伯令息の弟君であるエドガルド卿とシントロン侯爵令嬢の妹姫クラリーサ嬢は、招待客の名簿にもありませんね。それに招待状に添付されたダンスのパートナー欄にも記載がない――つまり不法侵入者ということになりますね」
「――なに!?」
さすがに看過できないとばかりにヴィクトリアから帳面を受け取って、一通り目を通すローレンス王太子。
国王主催の晩餐会で、さらに言えば王太子の婚約者であるヴィクトリアのお披露目を兼ねたセレモニーでもある。当然ながらローレンス王太子も参加者名簿には目を通して暗記していたが、さすがにその身内や随身の細かな顔ぶれについては把握していないのであるが、とはいえ通常はそういった者たちは別室で待機しているのが常であり、本会場であるこのホールまで足を踏み入れられるのは、正式な招待状を持った者か事前に許可を得た者たち――付添いや、何らかの理由で夫が参加できないため夫人をエスコートする付き添いの騎士など――と定められている。
街中で開かれるありきたりなダンスパーティならともかく、国王陛下主催の晩餐会に招待状のない者が参加するなど、いかに高位貴族であろうと当然のことながら不可能であった。
ただし余興のダンスタイムには、招待客が未婚の娘を別室から呼んで、お見合いか合コン感覚でダンスを踊らせることもあったが、これについても事前に招待状に曲名と順番が書かれたプログラムが配布されており、招待客――たいていが母親――がそこの横にある空欄に、予め令嬢の氏名と踊りたい相手の名前を書くのが決まりであった。
ちなみに人気が高いのは家督と財産を継げる嫡男であり、二男、三男になるとがっくりと指名が落ちる。
人気の令息は気に入った相手と複数回(四回以上同じ相手と踊るのはマナー違反とされる)、主にポルカを踊るのが通例であり、最初に演奏されるカドリールを踊るのは最も位の高い男女――今回はローレンス王太子とヴィクトリア――で、続いてワルツ、ポルカ等と踊りの形式は変わるのだった。
ともあれ招待客の名簿には『ドゥイリオ・エスタバン・オルティス』の名前はあってもエドガルドの名はなかった。そしてダンスのパートナーとしてもクラリーサ嬢の名は記載されていない。
自然、あのふたりはこのホールへ足を踏み入れる資格はないということになる。
「どういうことだ? 警備の者はなにをやっていた!?」
国王陛下夫妻、王太子殿下とその婚約者が揃っている会場に、高位貴族の子弟と言えど易々と通した警備のザルさ具合に、さすがにローレンス王太子の声も剣呑な響きを含む。
事態の深刻さに気付いた侍従たちが血相を変えて、それでもエレガントな身のこなしで会場の内と外へ散るのだった。
ほどなくひとりの近衛兵(制服と襟章からロイヤルガードの中隊長クラス)がやってきて、ローレンス王太子に対して床に片膝を突いて、深々と頭を下げる最上級の礼を取る。
「王室師団所属、クライド・ヴィンス・オールポート准爵であります」
「オールポート准爵。貴殿が警備責任者であるのか?」
ローレンス王太子の問いかけに、オールポート准爵は若干口ごもってから、「……いえ」と弱弱しく首を振った。
「今回の警備責任者は王国憲兵隊のウーゴ・デチモ・キエザ子爵でございます」
「「「「「――はあぁぁ!?!」」」」」
予想外の答えに、聞き耳を立てていた周囲の人間ともどもローレンス王太子は素っ頓狂な声を放つ。
「なぜ王宮の警備を憲兵隊で行うのだ!? そもまったく違う組織であろう! 横紙破りどころではない、なぜ近衛がキエザ子爵に従う?! どんな理由だ!?!」
矢継ぎ早の詰問に、オールポート准爵はダラダラと汗を流しながら必死に答弁するのだった。
「そ、それが、小官にも不明で……ですが、以前よりキエザ子爵がこのような大きな催し物の際に、責任者代理として参加することがままあり、我々といたしましても暗黙の了解で認められているものかと……」
「そんなバカなことがあるか! キエザ子爵はどこだ?」
反射的に周囲を見回すローレンス王太子に、オールポート准爵は平伏せんばかりに身を縮ませ、
「おりません。騒ぎに気付いて速やかに王宮より退去いたしました」
血反吐を吐くような口調でそう答えた。
「――なっ!?」
唖然とするローレンス王太子。
その背後ではヴィクトリアが、独自に調査をしたキエザ子爵による汚職の実態についてのレポートを、随員を通して国王陛下へ献上していた。