預言の聖女は侍女に仮面を剥がされた模様②
『当主、嫡男、次男、来賓である司祭を含め、四人もの犠牲者が出たザンブロッタ男爵家毒殺事件! なんと〈預言の聖女〉アマリア様が、三週間も前に神託を受けていた!』《-リベラ・タイムス紙-》
『待遇に不満を持ったメイドの犯行か!? 預言では日付、死者の数、晩餐のスープが原因とまで的中していた! まさに人知を超えた奇跡であるっ!』《-デイリー・ソラーレ紙-》
『件のメイドは死体で発見! 同じ〝愚者の毒”を使って自殺か?!』《-ソシエダド・インプレッソ紙-》
『まさに〈預言の聖女〉の名に恥じない偉業! 真聖堂教会も異例の特例をもって、わずか十六歳の少女を〈聖女〉に正式認定との噂も!?』《-エークシト・ディアリオ紙-》
『王室も興味津々!! 信頼できる消息筋によれば、某王子殿下も聖女との婚姻に前向きであるとのこと! 王子と聖女というまさに神話的なカップル誕生も秒読み!?』《-ソル・サリエンテ紙-》
『ちなみに本日の王都の天気は晴れのち午後から雨との預言があり。お出かけは午前中に』《-モーニング・グラフィック紙-》
◇
「――ふむ、実に興味深いな」
いつものようにアフタヌーンティーの支度をしているヴィクトリアを横目に眺めながら、煽情的な見出しが踊るタブロイド紙を片手に、椅子に腰かけた姿勢のローレンス王太子が、聞こえよがしに独り言ちた。
「ザンブロッタ男爵家毒殺事件ですか? 確かに男爵を含めて四人もの犠牲者が出たのは異例ですね。使われたのもヒ素――〝愚者の毒”とか〝相続の粉薬″とかいうくらい、身内同士で毒殺する際によく使われる毒ですので、家督相続争いのとばっちりで歓待を受けたゲストは亡くなったという線で、捜査が行われていると聞いていますが」
ヴィクトリアもこの件には興味があるのか、珍しく饒舌に話に乗ってきた。
ちなみに、上流階級の会食の場合、スープを食べる際にはスープポットをまわし食べするのがマナーである。そこに毒を混入されてはひとたまりもないだろう。
なお、ヒ素はメジャーな毒物だけあって、対応策も昔から確立している。単純に純銀製の食器を使えばヒ素に反応して色が変わるのだが、田舎の男爵家程度では当然無理な話である。
まあ食事に招待された場合、マイナイフは持参するのが上流階級のマナーなので、自衛手段として常に純銀製のカトラリーを準備しておくという手もあるが、今回のゲストは教会関係者であったそうなので、枢機卿でもなければ純銀製の食器を常備できるわけもなく、回避することはいずれにしても不可能な話であった。
「いや、そうではなくて……『預言の聖女』というのが、いま巷間で話題になっているようだが、聞いたことがないのか、ヴィクトリア?」
本気で興味なさげな口調で、下級とはいえ貴族家の殺人事件を脇に置いて、『聖女』という単語に妙に含みを持たせた……推し量るような口調でそう尋ねるローレンス王太子。
銀製のティースプーンでサンティー(水で茶葉を数時間抽出してから、氷を入れたりして再度冷やして飲む紅茶のこと)を、軽快にかき混ぜていたヴィクトリアが、
「……新聞に書かれている程度の事柄ならば、仄聞しておりますが?」
ローレンス王太子に真面目な話を期待したわたしが愚かでした。と、慨嘆しつつ素っ気なく応じる。
「どう思う?」
「あくまで『自称・聖女』ですので、わたしからはなんとも……」
そう端的に答えながらも、この結論を先送りした――「私は○○について□□だと思うが、どう考える?」といった明確な問いではなく――曖昧な物言いからして、わたしの発言の揚げ足や、枝葉末節を取り上げて、なんか色々ダメ出しすることで、チープな自尊心を満足させたいのでしょうね……と、即座にアイスティー以上に冷めた思考を巡らせるヴィクトリアであった。
案の定――
「ふふん。ならばお前は知らんだろうが、実際に彼女に対して真聖堂教会が正式に『聖女』の称号を与えようという動きがあるらしい。この間の講釈と違って、現実に年頃の聖女が誕生しそうな情勢であるが、これについてどう思う、ヴィクトリア?」
そうドヤ顔で聞いたばかりの情報を開陳するローレンス王太子。
この人わりと天然でクズだなぁ……というのが、ヴィクトリアの嘘偽りのない感想であったが、ローレンス王太子は当然のように続く言葉を待っている。
――なるほど。先日の『聖女』に関する話を引き合いに出して、わたしに危機感というか、焼きもちを焼いて欲しい……という、貴族的な婉曲なアプローチですね。
機械的にグラスとデザートのズコット(アイスクリームの原型)をローレンス王太子の傍らに置きながら、相手にしないと面倒臭そうだったので、ヴィクトリアはため息をつきたいのを我慢しつつ、とりあえず当たり障りのない相槌を打った。
「まあ、歴代の聖人や聖女など、『なんでこの人物が!?!』と疑問に思える方が、血筋や権力の力で認められている例がありますからね。今回の〈預言の聖女〉アマリアですか……。確か子供の頃から千里眼のような力を持っていて、それが話題になり真聖堂教会の教区長の庇護のもと、百発百中の預言を披露して、現在は王都にて話題になっている少女ですね」
まあ、不思議や魔術、奇跡のすべてを否定する気はありませんが、『十六歳の少女』『神からの預言者』『百発百中』とか、こぞってタブロイド紙が持て囃している現状をみるに、おおかた香具師の類でしょうけれど……と、胸中で続けるヴィクトリアであった。
途端、抗議するかのように窓の外にとまっていたカラスが鳴いた。
気のせいか最近、王宮内でカラスを見かけますね、と思いながら聖女の話題を続けるヴィクトリア。
「ともあれ、新聞に書かれている、彼女に興味津々で娶りたいという奇特な王子というのは、確実にローレンス殿下のことだと思いますが、わたしを捨てて自称聖女とやらと結婚しますか? 別に反対はしませんけど、二回も婚約者を変えるとか殿下の心証がかなり悪くなりますよ?」
「はあ!? なんで私なんだ! ヴィクトリアというれっきとした婚約者がいるのに、素性も定かでない娘に乗り換えるわけがないだろう!」
「……いえ、どう考えても消去法からいって殿下の事ですよ?」
溶けないうちにズコットを口に運び、自分用に煎れたアイスティーを飲みながら、自明の理という口調で説明するヴィクトリア。
『実に興味深い』と口に出した舌の根も乾かないうちから、なぜ心外そうな顔をするのでしょう? まあおおかた聖女個人には興味も執着もないけれど、現婚約者へのマウンティングとして挙げ連ねただけなのでしょうね――と、想像を巡らせるヴィクトリアの脳裏で、ローレンス王太子が描いていたであろう三文芝居が展開された。
『殿下! まさかこのような素性も定かでない聖女とやらを正妻に迎えるおつもりですか!? わたしという者がありながら!!』
『はははは、バカだなヴィクトリア。私がお前以外を妻に迎え入れるわけがないだろう?』
『本当ですか! 嬉しゅうございます、殿下っ!』
『ふふふふふっ、当然だろう。わはははははははっ!』
――とか考えていたのでしょうね。自分が傷つかずに彼氏面ができる。責任感がなくて優越感は満たされる。ある意味、彼氏面よりもキモいですね……と、辛辣な評価を下しながら話を続けるヴィクトリア。
「年齢的に釣り合う王子と言ったらローレンス殿下、デシデリオ殿下、イスマエル殿下の三人ですが、デシデリオ第二王子の女嫌いは有名ですし――」
『戦場で役にもたたん、軟弱な女など目障りですな! 男を生む道具ですな、女などというものは!』
と、普段から公言してはばからない弟王子の言動を思い出して、あ~~……と、なるローレンス王太子。
まあ、実際のところデシデリオ第二王子に限らず、王侯貴族から上流階級まで、いまだに女性蔑視の思想は、男性の間にはびこっているのが現状であった。
いわゆる『レディーファースト』――女性を先に通したり、先に食事を勧める習慣にしても、その起源は諸説あるものの、建物の扉や門は先に女性を潜り抜けさせるのは、安全を確認するためであり、いざとなれば男性が女性を盾に使うためである。
また先に食事に手を付けさせるのは毒見をさせるため……という説があるくらい、『女性は男性の隷属物である』という意識が根付いているため、デシデリオ第二王子の暴言も許容されているのだった。
「――そういう意味では、ローレンス王太子の好みはよくわかりませんね。若い娘をとっかえひっかえする成金貴族のように、こじらせてはいないようですが……」
グラスを口に当てながら、小さく呟くヴィクトリア。
鈍感なのか馬鹿なのか大物なのかは不明だが、普通の男はいわゆる『トロフィーワイフ』(若くて綺麗で「あたし難しいことわかんな~い」という馬鹿――従順な妻)を持つことをステイタスにしている。
※なお、真聖堂教会の教会法では夫婦とは「子供を作る」ための契約であり、女性の側が年齢や病などで子供が作れなくなった場合、男性側の訴えで離縁することが可能となる。
そのため、家同士のしがらみのない貴族や上流階級の男性は、コンペティションを行うように、次々と若い妻に乗り換えるのも珍しい事例ではなかった(上流貴族になると妻にも教養が求められ、それが故の貴族学園であるのだが)。
実際、先日の婚約破棄騒動でローレンス王太子を筆頭に、学園の高位貴族である貴公子たちがコロッとナタリア嬢に手玉に取られたのも、むろんのこと媚薬の影響が大きいが、何よりも『デキる』『聡明な』婚約者や恋人に辟易していた彼らが、
「ナタリア、学園のことも貴族のことも、ぜんぜんわかんないですぅ♡」
と、無知を全開にしていたため、『自分より劣る>男としての優越感>庇護欲』という段階を刻んで、彼女に夢中になったわけなのであるので、あっぱらぱーな女が好きなのかと思えば、お世辞にも愛想もなく、口を開けば苦言を呈する自分を婚約者に選ぶばかりか、普通に政治の話も振ってくる――政治は男の仕事というのが、いまだに絶対的な価値観の世である――何を考えているのやら……いえ、何も考えてない顔ですねこれは、とローレンス王太子のプリントだけは整っているが、ペラペラの顔を眺めながら確信しつつ、続く推測を開陳するヴィクトリア。
「もう一人のイスマエル第三王子は現在エーブ・リエタース公国との貿易交渉のため、外遊中ですので時期的に外れます」
ま、単なるアリバイ工作で、タイミング的にこのゴシップ記事の出どころもイスマエル第三王子の近辺で、疑心暗鬼によるわたしと殿下の離間工作の一種でしょうね。バレバレですが。と、胸中で続けたところで、ふと、気になったヴィクトリアが、「ところで」と不意に話題を変えた。
「普段なら『王家に対して不敬である!』と大騒ぎをするウーゴ憲兵隊長は、この件については問題視していないのですか?」
根も葉もない憶測を垂れ流しにしているゴシップ紙に対して、激昂して憲兵隊を出動させてもおかしくはないと思うヴィクトリアであったが、
「いや……。いまのところ特にそういった話は聞いていない……な?」
そういえば普段ならこれ幸いにと怒鳴り込んでくるところだが、この件に関しては特に陳情も苦情もないので、正直安堵していたローレンス王太子であったが、冷静になって考えてみるといかにも不自然である。
「田舎とはいえ一教区長が後見人になっている自称聖女に関することですから、さすがに手出しができないといったところでしょうか?」
基本的に教会の権威は昔に比べると堕ちたとはいえ、いまだに王家に比肩する発言力と影響力を持っている。
そもそも法治国家であるフォルトゥム王国においても、王国法とは別に教会法が幅を利かせ、教会税として収入の十分の一を取られているのがその証であった(農民の場合は四割が税金で、なおかつ地主は地代を徴収するため、実質的に手元に残るのは三~四割である)。
「教会法に教会税か……。一つの国に二つの頭があるようで面倒臭いな。一本化できればいいのだが」
ローレンス王太子が案外含蓄のある発言をする。
あら、意外と目の付け所はいいわね。と、軽く瞠目するヴィクトリアであったが、ここで褒めると増長するのが目に見えているので、とりあえずこの話題をローレンス王太子の課題として、頭に叩き込めるように落とし込んだ。
「まあ基本的に教会法は聖職者の保護と人としての規範を謳ったものですので、さほど害はないのですが、たまに羽目を外した地方の司祭などが、勝手に『初夜権』などを徴収するなどという噂も聞き及びます」
「初夜権だと!? うらやま……けしからんっ!」
沸き立つローレンス王太子。
「あくまで噂です。ですが、基本的に性に関する罰則は厳しいですからね、教会法は。特殊性癖や同性愛は処罰対象ですし、自慰行為は罰金に相当しますし……あ、殿下の場合、合計で年間金貨三枚に相当していますので、念のために毎年その分を殿下のお小遣いから教会に寄進しています」
当然のようにいらん情報を追加するヴィクトリア。
「なんだそれは~~っ!? お前、人の小遣いを勝手に使うな!」
「仕方がないでしょう。お小遣いとはいえ基本的に殿下の諸経費や旅費、私のような使用人への給金、衣装代など多岐にわたる各支出に使われる半ば公金です。管理をするのも私どもの務めです」
この時点で、すでに婚約者に財布を握られていることに、遅ればせながら気づいて危機感を覚えるローレンス王太子であった。
「まあ教会の手前、無駄な出費を抑えるためにも、殿下の右手と下半身は少し抑制されたほうがよろしいかと」
「くっ――おのれ真聖堂教会めっ。私が王となった暁には、教会法と教会税を撤廃させてやる!」
私怨に燃えるローレンス王太子を焚きつけたヴィクトリアが、さらに燃料を投下する。
「そうですね実際、今回の件であの後先考えないウーゴ憲兵隊長が沈黙を守っている理由としては、教会から袖の下をもらっている、もしくは新聞社(ついでにイスマエル第三王子も結託して)からも鼻薬をかがされているという方が、説得力があるような気もしますし」
「なんだとーーっ!?!」
ヴィクトリアの推測(邪推?)に激昂するローレンス王太子。
「あくまで推測です。きちんと裏を取るべきでしょうね。――調査しますか?」
「そうだな。ぜひ調査するべきだ」
明確にローレンス王太子から言質を取ったヴィクトリアは、それに付随してついでにマスコミが勝手に外堀を埋めようとしている、『〈預言の聖女〉アマリア』についても、背後関係を洗い直ししようと決めたのだった。
と、ローレンス王太子とヴィクトリアの会話がひと段落ついたのを見計らったかのように、窓の外にいたカラスが飛び立っていった。
◇ ◆ ◇
王都に幾つもある教会のひとつ。
修道女の格好をした黒髪の少女が、二階の窓から顔を出して行儀悪くも大きく口をあけていた。
「……酸っぱい。しばらくは雨だ」
そう呟いた少女の周囲――木の枝や屋根の上、窓のひさしなど――に、バラバラとカラスが集まってきて、てんでバラバラに鳴き声を放つ。
まるでその鳴き声の内容がわかるかのように、ふんふんと頷いて聞いていた少女だが、
「そっかぁ、王子様の傍に邪魔者がいるんだ。じゃあいなくなってもらったほうがいいかな~」
屈託のない口調でそう言って、にへらぁという嫌らしい笑いを浮かべるのだった。
※初夜権というものは明確な資料は存在しません。たぶん時代劇的なファンタジーかと思われます。
なお、中世の教会法では、子作り以外の性行為は否定されていましたが、なぜか売春はOKという謎。自慰行為も子作りに関係ないので、一回ごとに罰金で銅貨50枚とかの犯罪でした。
なお、作中に出てくる『トロフィーワイフ』という造語は20世紀に入ってから生まれたので、時代的にちょっと先取りしました。もっともその単語はなくても、金持ちのおっさんが若い娘を妻にして、うわぁ……という世間の目はあったようですが。