預言の聖女は侍女に仮面を剥がされた模様①
フォルトゥム王国憲兵隊の隊長ウーゴ・デチモ・キエザ子爵との会見を終えたローレンス王太子が、げんなりした顔で自室に戻ってきた。
なお憲兵隊は軍警察もしくは国家憲兵とも呼ばれ、市民に対する警察権を持つ憲兵(軍隊内部の法執行機関でもある)という立場で、平時にあっては非常に強権を持った存在である。
そのため是非にとのウーゴ憲兵隊長の面談を受けざるを得なかったローレンス王太子であったが、正直なところ始めから乗り気ではなかった。
何となれば当人の人となりが嫌なのだ。
年齢は四十歳手前くらいのガタイのいい中年男だが、とにかく出世欲が強くて、派手で目立つ仕事ばかりを選り好みする傾向にある。実績を上げる事よりも上の者に自己顕示することが、評価されるための唯一の方法だと思っている節があって鬱陶しい。おまけに下手に年齢を重ねて実績はともかく経験があるものだから、上の者や同輩に対する厚かましさに、下の者に対する傲慢さになって表れている。
「うるさくて面倒な男だ」
というのがローレンス王太子の彼に対する評価であった。
出迎えたヴィクトリアを筆頭とした侍女たちが、手慣れた動作でローレンス王太子を礼服から私服へと着替えさせる。
「お疲れのようですね。ホット・チョコレートでもお召し上がりになりますか?」
淡々としながらも当然のように気遣いを見せるヴィクトリア。
「ああ、そうだな。たまにはいいだろう」
ラフな服装に着替えたローレンス王太子が、嘆息混じりに応じつつソファに座る。
ちなみに上流階級が好んで飲んだ飲み物の格としては、紅茶>>>珈琲>>ホットチョコレートとなる。
またチョコレートは薬という側面もあるため、「飲む」のではなく「食べる」と表現するほうが正しい(薬やスープなどは本来は「食べる」ものとされている)。
「――承知しました」
畳んだ儀礼服を抱えて一礼をしたヴィクトリアが、隣室に控えているメイドたちに洗濯物を渡し指示を与えた。合わせて一礼をして音もなく部屋を出ていく他の侍女たち。
待つほどなく、ティーワゴンにカップと銀製のチョコレートポットを載せたヴィクトリアだけが戻ってきた。
なお、王侯貴族にとっては安物の嗜好品とはいえ、水車で挽いて粉にしたココアバターとミルク、砂糖が入って、なおかつ専門の料理人が手がけるホット・チョコレートを口にできるのは、おのずと上流階級の人間に限られていた。
銀製のマドラーでよく溶かしたココアと砂糖、ミルクの入ったティーカップをソーサーごとローレンス王太子の前のテーブルへ置くヴィクトリア。
「――ふう。甘ったるいものも、たまにはいいな」
一口口にして吐息を漏らすローレンス王太子を、ティーワゴンの置いてある壁際まで下がってヴィクトリアが無言で見つめていた。
「それにしてもキエザ子爵にも困ったものだ。市民の娯楽を規制して、興行者を捕縛しろなどと……」
うんざりした顔で愚痴をこぼすローレンス王太子。
「……よろしいのですか、私が耳にしても?」
憲兵隊が関わるってことは内密な話ですよね? 考えなしにペラペラと口外していいんですか?
と、無言の圧をかけながら確認をするヴィクトリア。
「ああ、大丈夫だ。――というか、半分はお前にも関係がある話だからなぁ」
ヴィクトリアは嘆息するローレンス王太子を眺めながら、こんな夢が服着て浮足立っているような殿下に「大丈夫だ」なんて安請け合いされても欠片も信用できないわ、と思いながらも「――というと?」と、形式的に先を促す。
「いま庶民の間で流行っているという『バーバラ嬢の婚約破棄』という演劇があるだろう?」
水を向けられたヴィクトリアが、
「ああ、侯爵令嬢であるバーバラ嬢が婚約者であるギルベルト公子にパーティ会場で突如として婚約破棄を言い渡され、さらには公子の取り巻きである貴公子たちに囲まれて謂われなき弾劾から冤罪を着せられ、国外追放にされそうになる……ところで、実は密かにバーバラ嬢に懸想していたフリートヘルム王子がさっそうと現れて、快刀乱麻を断つがごとくバーバラ嬢の無実を証明し、すべてがエルザ子爵令嬢――ギルベルト公子を筆頭とする取り巻き貴公子たちとも複数股の関係であった彼女――の狂言と見破り、最終的にバーバラ嬢にその場で求婚してめでたしめでたし。ついでにギルベルト公子たち穴兄弟は貴族籍を失って庶民へと落ち、エルザ子爵令嬢は一族共に処刑されるという、どこかで聞いたような筋書きで、いま王都の女性たちの間で大人気だとか。――それが何か?」
立て板に水で演劇の内容をそらんじる。
途中の表現(『複数股』とか『穴兄弟』とか)に引っかかるところはあったものの、概要は合っているので、ローレンス王太子は微妙な表情で頷いた。
「……うん。で、どう考えてもそれって下書きになっているのは私たちのことだろう?」
「そうですね。エルザ子爵令嬢など実物のナタリア嬢をしっかり模した感じで、天真爛漫。貴族の令嬢とは思えない行動力で何事にもチャレンジ。不貞にもチャレンジで、婚約者のいる男をとっかえひっかえで……まあ、実際には頓馬なギルベルト公子が殿下だったわけですが。それが先ほどの不機嫌の原因――ウーゴ憲兵隊長の要件と合致するわけですか?」
ヴィクトリアの問いかけに――再びモニョるところはあったものの――ローレンス王太子が苦い顔で頷く。
「ああ、〝あのような内容の演劇など王家を侮辱したものであり、即刻中止をさせて劇団関係者を処罰すべきであります!”とのことだ」
まあ舞台裏を知っていれば、確かに間接的に殿下を嘲笑っているも同然の内容ですからね、と妙に納得しながらもヴィクトリアは小首を傾げた。
「別に反体制や政治思想を謳ったメッセージを含んでいなければ問題ないと思いますが? 事実、主たる客層は娯楽に餓えた中流階級以上のご婦人方やご息女たちとのことですし」
ちなみにフォルトゥム王国であっても女性の識字率は高くはない。貴族であっても下級貴族の次女、三女あたりになると、難解な読み書きはできない者も決して少なくなかった。そのため主な娯楽の対象は、小説などよりも、手っ取り早い演劇や歌劇などに偏っていた。
「その上でフリートヘルム王子とバーバラ嬢の〝真実の愛(笑)”に共感して感動しているわけですから、一応仮にもそのモデルとなった殿下と私には、期せずして一時的な熱狂ではない憧憬や羨望を向けられることになり、結果的に求心力が向上してウハウハですが?」
なお結婚に関しては、特に下級貴族や中流階級以上の淑女たちは切実である。どれだけいい男(経済力のある相手)を捕まえられるかが一生を左右するといっても過言ではない(当人は手に職があるわけでもないため潰しがきかず、婚期を逃せば家から放逐される)。
そのため侍女でありながら、まさかの逆転で未来の王太子妃となったヴィクトリアは、まさにお伽噺のお姫様のような存在であり。そんな彼女を選んだローレンス王太子もまた白馬に乗った王子様なのだ。
そういえばローレンス王太子殿下が白馬に乗った姿って見たことないですね。見目はいいのでさぞかし映えるでしょう。逆に似合いすぎて爆笑してしまいそうですが……とか、関係ないことを考えながらヴィクトリアは軽く肩をすくめてみせる。
「そうなんだよなぁ……だが、どうにもキエザ子爵にはその辺の機微がわからないようで、たびたび槍玉にあげているらしい。王家としては問題ないというスタンスなんだが、埒が明かないとみて直接私へ直訴に出たらしい。『王太子殿下を滑稽に貶めた非常に不快な劇です』と言ってな。そんなもの私に言われても反応に苦慮するだけだろうに」
深いため息をつくローレンス王太子に対して、歯に衣着せぬ物言いでヴィクトリアが合の手を入れる。
「殿下からの『その通りだ』という言質を取りたかったのでは? まさか言ってないでしょうね?」
「言ってない。庶民の娯楽までいちいち口出ししていられるか!」
面倒くさそうにホット・チョコレートを一気にあおってローレンス王太子が吐き捨てる。
「殿下の場合、適当に言いかねませんから。というか、ウーゴ憲兵隊長もそのあたりの失言を期待していたのでしょう」
要するに殿下が浅薄で与しやすいと軽んじられたのではないかしら? 実のところは『王家を軽んじている』のはウーゴ憲兵隊長そのもので、自分がそうなので他人もそうと考えているということですね、と分析するヴィクトリアであった。
「……何とか理由をつけて罷免できないかな、キエザ子爵。前々から目障りだと思っていたんだ。もっと生真面目で実直な人間でないと、憲兵隊の隊長にはふさわしくないと思うのだが」
言われてみればなるほどと頷けるヴィクトリアの推測に、ローレンス王太子が本気の口調で相談を持ち掛ける。
「それも問題ですね。真面目過ぎる人間が組織の上に立つと、一見組織はクリーンになったかのように見えますが、内情はギスギスして人間関係が悪くなり、かえって不正が地下に潜って組織が腐敗・崩壊する原因にもなりかねませんので、あの程度の愚物が表立っているほうが旗幟が鮮明でわかりやすいとも言えます」
つまるところ上に立つものは清濁併せ吞む度量が必要ということです、とのヴィクトリアの答えに、
「ぐぬぬぬ……」
納得できないという顔で歯噛みするローレンス王太子。
「ホット・チョコレートのお代わりはいかがですか?」
「いらん。しかし……貴族はともかく、庶民の間で婚約破棄の話が盛り上がるとはな。貴族と違って結婚も離婚も自由だろうに」
ウーゴ憲兵隊長の更迭の話はどうにも難しいとわかって話を変えたローレンス王太子だが、それを聞いたヴィクトリアのただでさえ無表情な顔が、まるでヴィザードのように固まった。
なお『ヴィザード』というのは貴族の女性が外出の際、日よけのため顔全体をカバーする仮面の名称である。黒いビロードを貼った仮面で、目のところにガラスがハメ込まれた穴が開いていて、ものが見えるようになっている。
白い肌を保つための女性の防具だが、「不気味だ」と男性からのウケは非常に悪かった。
「……最近は少しはマシになってきたかと思ったのですが、相変わらず頭の中がお花畑ですね、殿下」
「なんでいきなり非難されなければならないんだ、私が!?」
「考えなしにバカなことを口に出しているからです」
逆上するローレンス王太子に対してもヴィクトリアの舌鋒は緩まない。
「よろしいですか? トンカラ村の農家の三男ハンスと幼馴染のアンナが所帯を持った、という話ならともかく、一般的な庶民――きっちり市民税を払って教会名簿に記載されている真っ当な国民のことですが」
基本的に税を収めていれば、農奴だろうが悪人だろうが悪魔だろうが『国民』というのがヴィクトリアのスタンスである。
なお、一般的な貴族の認識としては、中流階級以上もしくは著名人以外は、路傍の石も同然でほぼ眼中にない。
「まさかとは思いますが庶民の結婚を、家族知人を呼んで結婚式を挙げて、新婦がブーケトスをして、新郎が新婦のスカートの中に潜り込んで左足の太ももにつけている靴下留めを口で外してガータートスをした後は、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをしておしまい……とか思ってませんよね!?」
絶対にそれくらい軽く考えていますよね? と暗に言葉の裏で問い詰められたローレンス王太子は視線を泳がせた。
ため息をつきたいのを我慢して、ヴィクトリアは『結婚』の概念について噛んで含めるように説明を続ける。
「よろしいですか。言うまでもなく結婚とは我が国、並びに周辺諸国の国教である『真聖堂教会』で、神の御前において愛を誓い合うものです。当然、離婚ということは神への誓いを破る背信であり大罪ということになります。事実上不可能でしょう。もっとも男性の場合は『妻が不義密通を働いた』といって姦通罪を着せることで、法律上離婚することは可能ですが」
女性の場合は寡婦にでもならないと再婚はできないので、いざとなれば亭主を毒殺するか、間男と共謀して闇討ちにでもするくらいしか方法はありませんけれど、と付け加えるヴィクトリアの補足に、
(離婚するために速攻で毒殺を考えるヴィクトリアって……)
いまさらながらそこはかとない危機感を覚えるローレンス王太子であった。
「つまり結婚した以上、王侯貴族から庶民まで、離婚などあり得ないのです。まあ、王侯貴族は側室や愛妾を増やすことは可能ですが、一夫一妻制が原則である庶民にとっては絶対ですので、十分にわきまえてください、殿下」
念を押すヴィクトリアに、「なるほどなぁ」と鷹揚な態度で納得するローレンス王太子。
「ちなみに殿下以外のデシデリオ第二王子とイスマエル第三王子に婚約者がいないのは、政治的な理由によるものです。実際あのふたりに関しては、他国へ婿入りすることがほぼ決まっています。なぜなら周辺の弱小国が国際政治の中で何か行動するときに、『〇〇国王女の婿候補であるフォルトゥム王国の王子』がいれば周囲はおいそれと手出しにくい。ですので『婚約者候補』は常に必要ですし、また多ければ多いほど都合がいいということになります。つまり目に見える餌ですね」
なお、帝国時代の栄光の残滓によって、いまだにフォルトゥム王国は他国の宗主国――一段高い立場にあるという矜持が強い。そのため王太子に関しては国内の有力貴族から王太子妃を選び、たとえ大国の王女であろうと側室に留め置くのが代々の伝統であった。
そうした付帯事項をヴィクトリアはついでのように補足する。
「――つまり、今後も王国内の公爵家の令嬢であるヴィクトリアの地位を脅かす王太子妃候補はいないということか」
「ええ、非常に不本意ながら――」
満足げに得心したローレンス王太子に対して、こちらは死んだように澱んだ目つきで同意しかけたヴィクトリアであったが――。
「……ああ例外がありましたね。真聖堂教会で認めた『聖女』であるなら、公爵家令嬢よりも格上になります」
「『聖女』だと!?」
微妙に色めき立つローレンス王太子。
「はい、殿下の嗜好のど真ん中である聖女です」
ポルノグラフィティの隠してある天井裏のあたりを眺めながら、首肯するヴィクトリアに対して、焦った様子でローレンス王太子が立ち上がって――さり気なく視線の間に立ち塞がりながら――問いかける。
「いいや、あくまで架空の存在という意識で考えたこともなかったのだが……いいのかお前は? 万が一聖女とやらに取って代わられても?」
「別に構いませんけれど」淡々と答えようとするヴィクトリアだが、珍しく吹き出しそうになるのを堪えるように、口元のあたりを引く付かせる。「殿下が……ぷっ……聖女を選ばれるというのなら。くくく……わたしからは何も申せません」
殊勝な口調とは裏腹のヴィクトリアの不自然極まりない態度に、さすがのローレンス王太子も不信感丸出しの表情になった。
「ヴィクトリア、お前、『聖女』について、何か隠していることがあるだろう?!」
「べ、別に……調べればわかることですが」
笑いの発作を押さえながらヴィクトリアが生返事をする。
「いますぐ教えろ! 『聖女』を妻に迎えることの何が滑稽なんだ!?」
王子が聖女を娶るという、お伽噺ではよくある展開のどこに笑いのツボがあるのか、認識の齟齬に危機感を覚えて問い返すローレンス王太子に、どうにか平常に戻ったヴィクトリアが種明かしをする。
「殿下は真聖堂教会の聖者調査機関というものをご存じですか?」
「いや、聞いたこともない」
「そうですね、一般的には表に出てこない組織ですから。この組織の目的は奇跡を起こしたとされる聖職者の真偽を調べ上げることにあります、そこには私情や感傷、宗教家としての思い込みはありません。彼らは徹底的に、なおかつ合理的に数年をかけて、まずは聖職者の人格、思想、行動、言動、人生のすべてを調査して破綻はないか、聖職者として相応しいかを確認します」
そこまで一気に喋ったところで、ふと口調を変えて、
「仮に殿下が王族として相応しいか調査されたら一発で失格でしょうね」
「…………」
ヴィクトリアの軽口に黙り込むローレンス王太子であった。
「そうしてその人物が合格点をもらえたところで、起こった奇跡をこれまた数年かけて調査して、奇術や錯覚ではなく、また合理的に解明できないとなると、とりあえず『奇跡』として報告し、これが真聖堂教会本山で認められると、その人物に『福者』という称号を与えます。騎士見習いみたいなものですね」
「お前の説明だと、奇跡や教会に対するありがたみが微塵も感じられんな」
「そんなことはありませんよ。きちんと教会税を払っている以上、わたしも敬虔な真聖堂教会の信徒です」
その判断基準そのものがおざなり感が半端ないのだが、と思うローレンス王太子。
「そうして『福者』が、再びなんらかの奇跡を行っていることが判明した時に、初めて『聖女』に列せられるのですが、当然ながら同様の調査が繰り返されるわけでして、どんなに若くして奇跡を行ったとしても、『聖女』とされるのは存命であれば、最低限五十から六十歳を過ぎてないと無理ということになります」
「……はァ……!?!」
そう結論を口に出したヴィクトリアの言葉に、ローレンス王太子の口から間の抜けた声が漏れる。
「ですから聖女というのは、六十、七十当たり前……ということで、殿下があえて正妻に迎えたいというのでしたら、わたしは潔く身を引いて、一生涯を侍女として過ごしますが?」
「――いやいや、ちょっとまて! 詐欺だろうそんなの!?」
現実を前にその場に頽れるローレンス王太子を後にして、ヴィクトリアはカップとソーサー等を回収して、ティーワゴンを押してその場を後にするのだった。
ヨーロッパの中世(5~13世紀)における神聖ローマ帝国時代には、離婚に対するタブーはありませんでした。そのため適齢期(12~17歳)で結婚した夫婦(ほぼほぼ家同士の見合い結婚)は、合わないと思えばさっさと離婚して再婚を繰り返していたため、これに対する反発として離婚をタブー視するキリスト教が隆盛を極めることになりました。まあ、15世紀にイギリス国王ヘンリー8世は、離婚したがためにカソリックから独立したイギリス国教会を立ち上げたわけで、結婚離婚問題は非常に面倒な話になります。
ガータートスについては、なぜかアジア諸国ではウケが悪いためほとんど行われていませんw
まだちょっと忙しいので、続きは遅れます。申し訳ございません。