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憧憬的感情(戦乙女)01

 

「ようこそお越し下さいました。今回のご利用期間はどの程度のご予定でしょうか?」


 言い慣れたいつもの言葉を、いつもの笑顔と共に発する女性。


 誰にでも見せる笑顔だが、決して感情が込められていない。という訳では無く、心からの笑顔を振り撒き、多くの冒険者と接している。


 巨塔第20階層の"自然街(ユグドアベル)"の片隅の高級旅館である"陽射し亭"。そこの受付を担当する元冒険者であり、若く、凛々しい美しさを持つ女性だ。


「2日間の滞在ですね。生憎と、現在空きのある部屋は"梅"の部屋のみとなっておりますが……よろしいでしょうか?」


 今日も、いつも通りに仕事をこなす受付担当の女性だが、その明るい笑顔の中には、少しばかりの"疲れ"の色が見える。

 "大広間"に紫魔法陣が出現している今、宿泊客の出入りが激しくなっており、単純に忙しい。


 この"陽射し亭"は、高級旅館と呼ばれるに相応しい額の宿泊費を、常に客に求めている。そのため、普段は利用客がここまで多くなることは無いのだが、紫魔法陣のおかげか、かなり忙しくなってしまっている。

 旅館側としては、利用客が多くなるのは喜ばしいことなのだが……この"陽射し亭"は高級旅館の名に恥じぬ"おもてなし"を利用客に提供している。

 忙しいからと言って、その"おもてなし"に手を抜く訳にも行かず、猫の手も借りたい程に、忙しくなってしまっていた。


 とは言え、素人に接客を助けてもらったところで、利用客に失礼を働いてしまうことも考えられる。そのため、結局はいつもの働き慣れた人員で旅館を回している現状だ。


 全ての利用客に満足してもらえる安らぎ空間と"おもてなし"を。

 それがこの"陽射し亭"の営業方針である。


「ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


 美しい金色の髪を靡かせながら、丁寧なお辞儀で、部屋へ向かう新たな利用客を見送る。


「ふぅ……」


 今の客で、この旅館の部屋は全て利用客で埋まってしまった。


 ひとまず……しばらく"受付"の仕事はしなくてよくなったと、ホッと胸を撫で下ろす。


(いけない、表の看板を交換しないと……)


 少し慌てながら、受付担当の女性は旅館の外へ向かう。

 表に立て掛けてある看板を『空室あり』から『満室』へ交換する。


 この旅館を訪れた冒険者に、不快な思いをさせてはならない。


 そのために、空室がなくなれば、速やかにその旨を知らせる看板を旅館の表に掲げる決まりとなっている。

 宿泊しよう。と、せっかく旅館の玄関を通ってきてくれた冒険者に『部屋が空いてないので帰って下さい』などという失礼な状況を生まないための措置だ。


 ――なんとか間に合った。


 そう思いながら、女性は額に軽く滲んでいた汗を拭うが……


「ガーン! お姉ちゃん! 部屋なくなっちゃったみたいだよ!?」

「もう! オトネが森を探検したいなんて言うからじゃん!」


 突如背後から聞こえる少女の話し声に、受付担当の女性は肩を震わせた。


「も、申し訳ございません! たった今、全部屋埋まってしまいまして、明日なら部屋を提供できるのですが……」


 旅館の表なので、まだ玄関を通ってはいない。

 しかし、それでもこの2人の少女は"陽射し亭"を利用しようとここまで足を運んでくれた。にも関わらず、部屋が無いからと、追い返してしまうことになる罪悪感に、受付担当の女性は心からの謝罪を口にする。


「あはは。いいのいいの、部屋がなくなっちゃったのなら仕方ないよー」

「そうだよお姉さん、ちょっと残念だけど……まぁまた来るよー」


 こうしてタイミング悪くやって来てしまう冒険者や、『満室』という看板を掲げているにも関わらず、玄関を通ってくる冒険者はどうしても存在する。

 そんな時はいつも、受付担当であるこの女性が誠心誠意謝罪する。

 大抵の冒険者達は、この少女達のように寛容に振る舞ってくれるのだが、中には無理な要求を迫る冒険者も存在する。

 そんな心無い冒険者には若女将が対応してくれるのだが、今回はその必要は無さそうだと、心底安堵する。


「申し訳ありません。またのお越しをお待ちしております」


 もう一度、軽くお辞儀をして、踵を返して立ち去る少女達の、揺れる桃色の髪を見つめていた。


「変態のお兄さんが、オススメの旅館だって言うから楽しみにしてたんだけどねー」

「だからオトネが森を探検するとか言い出さなければ泊まれてたんだってば」

「えー? お姉ちゃんも乗り気だったじゃん……………」


 少しずつ遠くなる少女達の話し声が耳に入る。


(変態のお兄さんって……どんなお兄さんなんだろ)


 呼び名はちょっとアレだが、少女達の声質には好感が込められているのが分かる。

 可愛らしい2人の少女に懐かれていながら、『変態』と呼ばれる"お兄さん"に、会ってみたい。

 なんて思いながらも、受付担当の女性は旅館へと引き返す。


 "変態のお兄さん"のことは置いておいて、


 ――まだ大切な用事が残っている。

 最近は、寧ろそっちの方が仕事よりも大切だ。


 玄関に入るなり、大きく伸びをしてから、受付担当の女性は奥の部屋を目指し、廊下を歩く。


 本当は、もっと急ぎたい。出来ることなら、その部屋まで走って行きたいところだが、宿泊客、従業員共に、旅館内で走ることは許されていない。

 "高級旅館"であり、自分がその従業員である以上、それを侵すことは出来ないのだ。


 急ぎたい衝動をなんとか堪え、受付担当の女性がやって来たのは、


 "陽射し亭"に2つしか無い、最高級の部屋である"松"の間だ。


 "陽射し亭"の最奥に位置する場所にある2つの部屋。その1つである、この"松"の間に宿泊している冒険者の世話を、任されていた。


 この部屋で、ずっと眠ったままの冒険者。

 顔色は悪く、肌は白い。

 "魔力欠乏"状態に陥ったまま、魔力が回復しない"能力異常"という状態になってしまった不運な冒険者だ。


 僅かに上下する胸が、彼がまだ生きている証だが、その残り少ない魔力はいつ失われてしまうのかは分からない。


(……今の私に出来ることは、これだけ)


 もう何本目になるのか分からない"魔力薬"を、眠っている冒険者の口へ運び、飲ませた。


 本来なら、冒険者の魔力を劇的に回復させる薬だが、今の彼には殆ど効果はない。

 しかし、こうすることで少なくとも"現状維持"は出来ていた。

 魔力の回復は叶わずも、残された魔力を失わせることを防いでいた。


 既に、ユティアに渡された数多くの"魔力薬"は使い切り、現在は自らで用意した物を使用していた。


『どうか、ロワ君のことを……よろしくお願いします』


 この旅館を出ていく前のユティアの言葉を思い出す。


(ロワ……か)


 ――その後に続く名前は?


 それが気になって仕方がない。


 "ロワ"。

 "ロワ"という名の冒険者を、1人知っている。

 というか、その名を知らない冒険者なんて、この世界には存在しないだろう。


 眠っているロワの左手に視線を向けるが、そこには何も無い。


 "無印"だ。


 この受付担当の女性の知っている"ロワ"という名の冒険者は、

 勇者パーティーの"王者のロワ"のみだ。

 100階層級冒険者であり、左手にはそれ相応の"巨塔記録"が刻まれている筈。

 だが、その"王者のロワ"も一部の冒険者の間では死んだと噂されている。


 しかし、


 ――その噂は……真実では無かった。


 と、この女性は確信していた。


「私は……貴方にずっと憧れていたんです」


 ロワの頬に手を添えながら、呟いた。



少しでも気になったら、ブックマーク! ですよ?

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